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夜天を引き裂く #17 終

  目次

『――知恵比べは』
 戦意の猛りと、嗜虐の笑みを滲ませて、言う。
『僕の勝ちのようだなァ……!』
 重騎士の背後から。
 絶無は、そう声をかけて。
 獰悪に嗤った。
 ――見たぞ。貴様の強さの根源を。
 最初に五つ目の円盤が飛来して腕を切断していった時点で、すでにこういう展開を可能性の一つとして予想していた。奴の視界から逃れた一瞬を見計らって、入れ替わっていたのである。
 ――重騎士がその剣技で細切れにしたのは、触手を編んで作り上げたおとりデコイである。
 夜の雲海は、本体を隠す場所に事欠かない。
 無意味とも思える触手攻撃を繰り返していたのは、奴に認識子グノシオンを消費させる狙いもあるが、何より「不自然に雲の中へと延びる触手」を目立たなくさせるため。
 そして――作り上げた偽物には、事象変換を宿らせていた。
 ――奴の全霊を乗せた連撃は、神をも殺しうる絶技だった。その一太刀一太刀に、多大な情念が込もっていた。
 橘静夜の過去が、記憶が、想いが、信念が、絶望が。
 余さず絶無に流れ込んだ。
 そして、見出した
『な……に……ィ……!?』
 振り返る暇など与えない。
 その腕には、すでに触手が幾本も巻きつき、太い筋肉を形成していた。捻じれ、捩りあい、張力を漲らせながら、触手剣の切っ先に回転を加えている。
 ――高貴なる野蛮の騎士。不退転の英雄。その戦いの日々を影から支え、本人すら意識せぬままに魂の核となっていた、あるひとつのファクター。
 恐れを知らぬ暴風のように戦い続ける青年の、強さの根源。
『奪ってやる……』
 引き絞った刺突を、解き放つ。高速回転する切っ先は、狙い過たず重騎士の背中を貫通。
『かっ……!』
 肉を裂き、骨を砕き、そのまま胸部の最重要器官――心臓を突き破る。
 哄笑を放ちながら、絶無は触手剣の刃に無数の返しを形成し、一気に引き抜く。
 ぶちぶちと血管を引き千切り、心臓を抉り出した。
 ……決着は、ついた。
 霊骸装アルコンテスの自己再生能力なら、十数分もあれば臓器を再生させることも可能である。とはいえ、心臓を失って十数分も命を保っていられる道理はなく、ここに橘静夜の命脈は尽きた。完膚なきまでに、尽きた。
 が、絶無の嗜虐心は、そんなものでは満足しない。
 ――ここからが本番だぞ橘ァ……!
 絶無は即座に触手を変形させた。心臓が抜き取られ、血が盛大に噴出するはずのところに肉腫が殺到。
 破れた血管を塞ぐと同時に、簡易的なポンプを形成。心臓の働きを代行させる。
 そして――絶無は、重騎士の体に認識子グノシオンを大量に流し込んだ。
『ザラキエル! 聞こえているだろう。さっさと治癒を進めろよこのグズが』
 信徒たちから信仰心が供されるため、神骸装デミウルゴス霊骸装アルコンテスよりもエネルギー事情に余裕がある。
 その余剰分の認識子グノシオンをすべてザラキエルに与え続けたのだ。
 ――もちろん、普通は無理だ。
 人間が自分の腕力や知力を他人に分け与えられないように、悪魔間でも認識子グノシオンのやり取りなど基本的に不可能。
 今回の治癒現象は、神骸装スェドンザの事象変換を媒介とした応用技なのだ。黒澱さん以外の誰にもできない。
 常ならぬ速度で、再生が進行する。
 血管が伸び、心房を修復し、心室が形成され、力強く脈動を始める。
 治癒の間にも血液を拍出する機能を途絶えさせぬよう、絶無は徐々に触手の領域を狭め、静夜本来の組織に胸郭を明け渡していった。
『――よし』
 触手を完全に引き抜く。
 重騎士の背中を蹴り飛ばす。
『ぐ……っ!』
 よろめきながら姿勢を回復し、こちらを振り返る。
『な、何故……どういうつもりだ久我……!』
 クク、と含み笑いを漏らしながら、絶無は右手を掲げた。
 静夜の心臓が、いまだ脈打ちながら鷲掴みにされている。
『《矜持》の呪い、か……』
 呟きながら、右心房に繋がる大静脈をつまんだ。
 その付け根近くに、冴え冴えと冷たい光沢を宿す金属の環が複雑に絡みつき、食い込んでいる。
『さしずめ、奴隷達が裏切るのを防ぐ枷といった所だな』
 こちらの触手と同じように。
 それは、本体から離れても与えられたプログラムに従って形をゆっくりと変化させつづけてきた。時間の経過とともに、少しずつ心臓に近づいてゆき――やがて、突き刺さる。
 死の運命から逃れるには、植え付けた悪魔に忠節を尽くし、その褒賞として心臓からの距離を離してもらうしかない。
 悪魔たちの最大派閥《矜持の座》。その首魁として君臨する、神骸装デミウルゴスレフィシュル。
 ――どうしてなかなか、興味深いことをする。
『下らんよなァ……!』
 一気に心臓を握り潰した。指の間から、血肉が四方へ飛び散ってゆく。
『どんな気持ちだ? あぁ? 死の運命から逃れて、どんな気持ちだ?』
『あ、ありが……と……っ!?』
 重騎士は、言葉の途中で息を詰まらせた。こちらの様子に気付いたのだろう。
 絶無は腹を抱え、けたたましく哄笑。
『ク、クカカカカッ! 貴様の前途には洋々とした未来が待っているというわけだ。クク、希望に満ちてるか? キキキ、喜びを謳歌してるかァ!? ヒヒ、ハハハヒヘェハハハーハハァッ!』
 やがて笑いの発作をひっこめる。
 唐突な静寂。
『……ずっと、考えていた……』
 地の底で煮えたぎるような、暗く、熱く、陰惨な声だった。
『どうすれば、貴様の心を折れるのか、と』
 手の甲を相手に向け、顔の横に掲げた。
『橘、お前は死の運命に晒されることで、この世のあらゆる利害から解放されていた。どうせ死ぬのだから、という思いが、お前の心から恐れを取り払い、完全なる正義の化身として振る舞うことを可能にしていたのだ』
 その腕に粘液滴る触手が巻きつき、ドス黒い剣を形成する。
死ぬ準備ができたな犬野郎。長い余生を与えた上で、惨殺してやる。お前はもう恐れを知らぬ英雄ではない。踏みにじられることだけが存在価値の、雑魚だァ……』
 濁った嗤笑を後に曳き、絶無は魔風と化して突進した。
『ひ……あ……』
 静夜は、鈍い動きで腕を持ち上げ、身を庇おうとする。
『ハッ、遅ぇ!』
 一閃。漆黒の斬撃が、青銀色の胸板を撫で斬りにした。
 血飛沫が上がる。
『ひい……ひぃぃ……!』
 狼狽の叫び。以前の静夜ならば、決して上げるはずのなかったもの。
『ここからは嬲り殺しのお時間だ。オラ悲鳴を上げろ! 命乞いを聞かせろ! 橘ァッ!』
 濁流のように襲い来る触手の雨が、全方位から重騎士を打ちのめした。

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14,458字

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