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夜天を引き裂く #16

  目次

「秋城さま、こちらでございます」
 花の潤みを含んだ声で導かれながら、秋城風太はちょっとどぎまぎしていた。
 艶やかなロングヘアーが、目の前を揺れながら先行している。女性としては長身で、風太よりわずかに高いくらいなのだが、左右にある肩幅はちょこんと小さく、そんなあたりに「女の子」を感じて余計にどぎまぎした。
 華道部部長、詩崎鏡香である。なぜか片耳イヤホン型のヘッドセットを着けていて、凛々しい印象だ。
 絶無に言われて駅前で待機していたのであるが、予定時刻を過ぎても連絡がなく、困惑していたところへこの人が現れたのだ。
「絶無さまより委細窺っております。どうぞこちらへ」
 というわけで言われるままにとぼとぼとついていっているのだった。
 風太は足を早め、鏡香の横に並んだ。
「あ、あのっ」
 動揺を表に出さないように話しかけようとして失敗。軽く自己嫌悪。
「はい?」
 眼尻にほんのりと微笑を乗せながら、彼女はこちらを見る。
 ――うわぁ綺麗だ。
 また動悸が激しくなる。しかしこれは別に一目惚れとか運命の出会いとかそういうものではなく、単に異性に免疫がないだけである。その証拠に、界斑璃杏の鮮やかな金髪や口の端から覗く八重歯にもどぎまぎしていたし、久我加奈子のくりくりした愛嬌のある瞳やよく動くポニーテールにもどぎまぎしていたし、あと苦しげに吐息をつく黒澱瑠音の生白い肌や染められた頬にもどぎまぎしていた。特に最後の破壊力は絶大で、一瞬しか見ていないにもかかわらず、今思い出してもちょっと前かがみになる。バレると久我さんに殺されそうなので、この感情は墓場までもっていくつもりだった。
 自分の節操のなさが、風太はちょっと嫌いである。
「え、えと、どこに向かっているのでしょか……」
 努めて感情を殺そうとして、もごもごと不明瞭な口調になってしまったが、どうにか伝わったようだ。
「界斑璃杏のいる場所ですわ」
「えぇっ」
「わたくしども華道部は、絶無さまのお志を陰から支えるべく、人・物・情報を探し出す手腕に長けております」
 部としてそれはどうなのだろう。
「培われた諜報能力を活用いたしまして、学校への襲撃の直後から界斑璃杏を捕捉、尾行しておりました。絶無さまは、ご自分が決戦に臨まれる間、必ずや界斑璃杏がよからぬことを考えるであろうと予期しておられたのです」
 ――それで、僕か。
 胸ポケットから、ふかふかした感触を取り出した。手のひらサイズの哺乳類である。
『ふーた…なに…?』
 もぞもぞと動き、こちらにつぶらな瞳を向けてきた。折り畳まれた翼膜と、小さな足、そして鼻面の短い子犬のような顔がある。しかし、丸っこい体つきの上に体毛がやたら豊かなので、全体的には「茶色い毬藻になんか生えてる」と言った方がいい。
「あ、寝てた? ごめんね、これからまたキミの力を借りたいんだけど、いいかな?」
『あとで…あそんで…?』
「うん、いいよ。なにしようか」
「あらかわいい。その子が秋城さまの悪魔ですの?」
 隣から詩崎さんが覗き込んできた。肩同士が触れ合い、かすかにいい匂いがした。
「そ、そ、そうなんですよ……っ」
 声が上擦る。肩ですらふにふにと柔らかかった。いったい他の部分はどれほど柔らかいのかと思う。
「こんにちは、ちいさな悪魔さん。わたくしは詩崎鏡香といいます。あなたのお名前は?」
 短い鼻面がひくひくと動き、不思議そうに詩崎さんを見上げた。
『ぼく…ルアフェル…』
「素敵なお名前ですわね。どうぞよろしくお願いいたしますわ。……撫でてもいいかしら?」
 しばらく二人で街中をてくてく歩いていると、詩崎鏡香はヘッドセットのマイクに手を触れ、誰かと連絡を取り合った。ひとつうなずくと、「こちらですね」と足を速める。
 やがて、ビルの角で携帯電話を耳に当てている少女が目に入る。こちらに気づき、泣きそうな表情を浮かべた。
「部長~、心細かったです……」
「鯉村さん、頑張ったわね。お疲れ様。彼女の様子は?」
「また従える人数が増えました。ざっと十五人ほどです」
 ちらりと少女は背後に視線を投げる。詩崎さんほど美人ではないが、愛くるしい顔立ちの女の子だ。
 ――なんなんだ華道部。この世の天国か。
 性懲りもなくどぎまぎする自分の馬鹿さにうんざりしはじめる風太。
「たぶん、昼間の学校の時と同じように、怪物を植え付けられているんだと思います」
 鯉村さんは自らを抱きしめて身震いした。
「正直、怖いです。あの子ぜったいなんかやりますよ。絶無さまは本当に来てくれるんでしょうか……」
「大丈夫、心配ありませんよ。さ、あなたはもう本部にお戻りなさい。あとはわたくしたちが引き継ぎます」
「はい……失礼します」
 通り過ぎざま、風太にもぺこりと会釈していった。
 ――がんばるますっ。
 思わず敬礼した。隣で詩崎さんが微笑んだ。なんとなく、子供とか仔犬を見るような笑顔だったが、努めて気にしないことにした。

「無理無理無理無理!」
 その五分後、風太は速攻で弱音を吐いていた。
 すでにルアフェルと骸装しており、常人を遥かに上回る速度で全力疾走。
 両脇に、二人の人物を抱えている。
「加奈子さま、お久しぶりでございます。いつも絶無さまにはお世話になっております」
「わぁ、きょーちゃんだーっ。奇遇だねーっ」
 ――この人たちはなんでこんなに落ち着いてるんだっ!
 右脇に詩崎鏡香、左脇に久我加奈子。二人はキチン質の外骨格に鎧われた腕の中で、なぜかのほほんと挨拶を交わしていた。
 そんな場合ではないのである。

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