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福讐

 これは、復讐だ。
 彼の原型となった人間への。
「それで、僕は何をすればいいんですか?」
 ミドルティーンの少年が、そう聞いてくる。亜麻色の髪と、優しげな瞳。私の脳裏に不愉快な記憶が喚起される。
 私は目を細めた。内心では顔をしかめていたけれど。
「ある人間を、殺してほしいの」
「えぇっ、嫌ですよぅ」
 プログラム通りの反応。この少年の意思決定論理は、命令の遵守よりも人格の偽装を優先する。そういう風に、私が造った。
 だけど、この少年の原型となった『彼』の扱い方なら、私はよく心得ている。
「嫌……? そう、残念」
「は、はい」
「困ったな……キミがやってくれると思っていたから……」
「い、嫌ですって」
「このままじゃ私、彼に殺されてしまうかも」
 少年は眉を寄せ、一丁前に懊悩する。もちろん、単なる偽装であり、本当に悩んでいるわけではない。
「……わかりました」
「何をわかったの?」
「あなたの命を守れという命令なら、喜んで従います」
 私は弱弱しい微笑を見せながら、少年にずい、と近づく。
「そう……そうね、考えてみれば『誰かを殺せ』なんてキミには酷な命令だったね。ごめんなさい、配慮が足りなかったみたい」
「は、はい」
 その時、爆発音がして、研究室を揺るがした。端末の横に築き上げられたディスクの山が崩れ落ちる。
「……時間は、あまりなさそうね」
 思わず、笑みを浮かべる。それが毒々しいものにならないよう、気を付ける。
「状況が、よくわからないんですが」
 少年は――少年の姿をした人形は、眉尻を下げ、口を引き結んだ。一見すると泣きそうな表情。オリジナルの『困った顔』を、彼は完璧に真似して見せた。
「いいわ、説明してあげる」
 私は足を組替えた。
「ここは、戦争のために構築された様々な技術を管理し、世間から隠し通すための施設よ」
「はぁ……」
 再び爆発音がする。
「で、ここを破壊するためにテロリストどもが侵入してきてるの。大国の破壊工作員だって話もあるけど、ま、どっちでもいいわ」
「そいつらからあなたを守るのが、僕の任務なんですね」
「そういうこと」
 人形は拳を握った。
「よーっし! じゃあ早く脱出しましょう!」
 急に立ち上がり、私の手を掴むと、彼は駆け出した。
「きゃっ! ちょ、ちょっと!」
 せっかちなところも、オリジナルと同じだ。事情を知らなければ、私ですら本物の『彼』と見分けがつかないだろう。だからこそ――癇に障る。

 施設は広大な上に、入り組んでいた。真っ白なリノリウムの迷宮を、私は人形の少年に手を引かれながら走る。時々、爆発音が轟く。
「あ、誰か来ます」
 人形が、やや警戒の混じった口調で言う。
「私以外の職員はもう脱出してるはず。多分、敵ね」
「了解です。どこかに隠れてて下さい」
 私は柱の影に身を潜め、少しだけ顔を出す。
 少年は、通路の角に身を寄せて、その先をうかがっていた。
 やがて、足音が聞こえてくる。五人程度はいそうだ。
 角から、数体の人影が伸びてくる。あと数秒で、彼らは角の位置まで到達し、私たちの存在に気づくだろう。
 だが、その直前。
 人形は、ぱっと壁から身を離し、角の向こうにいるであろう敵の眼前に姿を晒した。そして彼らが狼狽の声をあげるより前に、突進してゆく。
 打撃音と銃声がその場を満たした。兵士たちの悲鳴とうめき声が和音を奏でる。
 ……数秒後、音が収まった。少年が角からひょっこり顔を出してくる。
「もういいですよー! 全員眠らせましたー!」
 屈託のない笑顔。この人形は、オリジナルとなった『彼』の人格のみならず、戦闘技術をも寸分たがわず再現されている。鋼鉄ではなく生体素材で体が造られているのも、『彼』の瞬発力や器用さ、柔軟性などを完璧に模倣するためだ。
 五人程度では、たとえ銃器を持っていようとも相手にならない。
 私が角を曲がると、少年は倒れた兵士たちの所でうずくまっていた。
「何してるの?」
「応急処置です。味方の誤射を受けて怪我した人がいまして。……これでよしっ」
「あら、優しいのね」
 もちろん、私がそう造ったのだ。唾棄するしかない偽善。だけど再現性を高めるには必要な要素だった。
 人形が、気絶させた兵士から拳銃を拝借する。
 彼らが目を覚まさないうちに、私たちは移動を再開した。
 十分ほども走りつづけたあたりで、彼は言いにくそうに声をかけてくる。
「あのー、ところで、なんですけど」
「なぁに?」
「その……出口って、どっちですか?」
「……キミ、それも知らずに、走ってたのね」
 息を弾ませながら、私は答える。愚鈍なのもオリジナルと変わらない。
「あっち。あの大きな、扉に、入って」
 ……もちろん、嘘。あの扉の先に出口なんてない。まだ脱出してもらっては困るのだ。
「了解です! ……あの、大丈夫ですか? 少し休みますか?」
「……そうね、そう、させて、もらうわ」
 走り疲れたのは事実だし。
 壁を背に、座り込む。乱れた息を整える。彼も隣に座り込んだ。
 ……少し、テストをしておこう。
「ねえ」
「はい?」
「キミの名前は?」
「急にどうしたんですか?」
 彼は戸惑いながらも答えた。オリジナルの名前を、正確な発音で。
「じゃあ、私の名前は?」
 やはり彼は正しく言い当てた。
 まぁ、このあたりにはぬかりなどあろうはずもない。
「キミは、自分がどうしてこの研究所にいるか知っている?」
「あなたを護る兵士としての任務のためです」
「どうして私を護るのかしら」
「あなたは優秀な科学者です。あなたの開発する技術は、貧しいこの国の軍備を飛躍的に充実させる効果があると期待されています」
 よし。偽装記憶はうまく定着しているようだ。
 私は身を乗り出し、彼に顔を近づけた。
「それだけ?」
「えっ」
 少年は身を引いた。
「キミ個人の理由はないの……?」
 まっすぐに彼の瞳を見つめる。
 とろん、と垂れ気味な、彼の瞳を。
「ぼ、ぼ、僕個人の……ですか?」
 人形の頬に、朱が差す。
 ふふん。
 オリジナルが抱いていた、私への好意すらも、完全に再現できたようだ。
 完璧だ。もはやこの少年は、オリジナルと何も変わらないと言っていい。
 私はクスクス笑う。冷笑が混じらないよう、注意しながら。
「ごめんなさい、困らせちゃった? 行きましょ」
 立ち上がる。
「は、はい……」
 おずおずと、彼もついてきた。
 笑顔の表情とは裏腹に、私の胸は黒々と濁っていた。
 彼のしぐさも、記憶も、私への恋も、寸分たがわずオリジナルと同じ。
 だからこそ、オリジナルであるあの男が許せない。
 あの男は、この国を裏切った。敗色濃厚だったあの大戦で、彼は敵国に寝返った。当時勤めていた兵器研究所に敵国の兵団が押し寄せ、包囲されたとき、彼は躊躇いもせずに私の手を振り払い、投降したのだ。
 以来あの男は、敵国の尖兵となって、自分の故郷の人々をたくさん殺し回った。

 ただっぴろい研究所の中を、私たちは彷徨った。
 脱出口からは順調に遠ざかっている。
 もちろん、私の前を行く人形はそんなこと知る由もないだろうが。
 たまに遭遇する敵小隊を蹴散らしながら、私たちは次第に敵の本隊へと近づいていった。
「あの……何だかどんどん敵の方へ近づいてませんか?」
「隠された脱出口付近に、たまたま敵が陣取っているのかもしれないわね。どちらにせよ、そこの脱出口からじゃないと安全に避難できないわ。行きましょ」
「は、はぁ……」
 私の下手な嘘に、少年は素直に従う。まるで犬のように。
 オリジナルの彼も、そうだった。
 ――はじめて会ったとき、私も彼もまだ子供だった。
 私は兵器開発の天才として。
 彼は対人戦闘の天才として。
 私は自らの天才さを鼻にかけた傲慢な少女だったけれど、彼は違った。いつもにこにこ笑って、仔犬のように私のあとをついて回った。護衛のためと言っていたけれど、本当はかまってほしかっただけなのだ。私は一発で見抜いた。
 まぁ、でも……嫌、というわけではなかった。
 なのに。
 キリ、と歯が鳴る。
 所詮はその慕情も、圧倒的な暴力を前にすれば容易く霧散してしまう程度のものだったのだ。平時は私に尻尾を振り、襲われれば敵に尻尾を振る。
 まさに犬のような男。
 私はこの数年間、どうすれば彼に復讐できるかを考えていた。
 その成果が、この人形だ。
 どれだけ彼を完璧に模倣しようが、この少年は感情など持ち合わせていない。ただ、そう見えるように偽装しているだけ。私の指から伸びる糸に絡みつかれた、哀れで愚かな人形め。
 オリジナルとなった人間とともに、暗い暗い闇の中へ落ちていくがいい。
「敵です」
「そう、撃退して」
 私は冷ややかに命令する。
「数が多すぎます。さすがに敵も、僕たちの存在を認識して狩り出しにかかったようです」
「そう」
 私は口の端をわずかに吊り上げる。
 計画通りだ。今まで無意味に兵士を倒してきたのではない。すべては、敵兵の指揮を執っているであろうあの男に、私の存在を知らしめるためだ。
「囲まれないうちに逃げましょう」
「そうね」
 少年に手を引かれ、私は駆け出した。
 曲がり角に入り、通り過ぎようとしたところで、足が止まる。
「遅かったみたいね」
「くっ……」
 彼は歯を噛み締める。
 前方には、敵兵十数人。後方を振り向くと、やはり十数人の兵士が現れる。
 総勢三十人程度だろうか。全員がアサルトライフルをこちらに向けている。
 少年一人であれば、この状況からでも突破はできるだろう。だが、私の護衛が使命の少年は逃げられない。
 私は左右を見回し、目的の人影を捜す。
 そして、暗い笑みを浮かべる。
 ――いた。
 正面の集団の中に、兵装を纏わず、顔を剥き出しにした、青年の姿があった。
 亜麻色の髪、端整な顔立ち、引き締まった長身。かつて、とろん、と潤んでいた眼は、刃物のように鋭くなり、ふっくらとしていた頬は少しこけている。見るからに尉官以上の階級にいそうな黒い軍服が、よく似合っていた。
 彼だ。
 人形のオリジナルとなった人間。あらゆる近代戦闘技術を吸収した、歩兵という兵科の究極的な完成形。
 私に恋をし、
 私が恋をし、
 私を裏切った、その男。
「久しぶりね。ずいぶんかっこよくなったじゃない?」
 私は嘲弄を込めて声をかける。
 青年は険しい目でこちらを見ている。
 そして、歩みだす。味方を押しのけて、私たちの前に立つ。
「……あぁ、久しぶりだね」
 痛みをこらえる表情で、少年に眼を向ける。
「……君は、どういうつもりでそんなものを造ったんだ……」
 ビク、と、私を庇うように立ちはだかっていた少年の肩が震える。
「どうでもいいじゃない、そんなこと。あなたの目的は何? この子かしら?」
 私は後ろから人形の首に腕を回し、抱きしめた。その体は、震えていた。
「あの……」
 少年が、何かを噛み殺したような小声で話し掛けてくる。
「どうしてあの人は僕に似ているのですか? 『造った』って、どういうことですか?」
 人形には、自分が造られた存在であるという自覚がない。当たり前だ。そんな情報があったらオリジナルを完璧に模倣させることができない。
「その話はあと。まずは生き残ることを考えましょ? キミの使命はなぁに?」
「あなたを……護ることです」
「そ。じゃあどうする?」
「見たところ、あの男が指揮官のようです。捕縛して、人質にします」
「できるの?」
「やります」
 私は少年から身を離した。
 瞬間――
 人形の姿が、かき消えた。
 ダン! という強烈な踏み込み音が追従する。風を追い抜く突進だ。
 周囲の兵士たちが、慌しく銃の向きを変えた。
 青年はそれを手で制し、軍服の懐から拳銃を引き抜く。無造作に発砲。
 人形は顔色も変えずに跳躍。空中で優美な弧を描きながら青年に襲いかかる。
 鋭い打撃音が、少なくとも五回は鳴り響いた。
 人形は、宙返りしつつ敵の背後へ着地する。硬い音を立てて、拳銃が床を転がった。
「驚いた。一発もらってしまったよ」
 青年は、さも痛そうに手を振りながら、自分の銃を見下ろした。
 その後頭部へ、別の拳銃が突きつけられる。
「手を上げてください」
 人形が振り向きざまに拳銃を突き出したのだ。
「……本当に、驚いたな。まさか君のような存在を造れるなんて」
 素直な驚きの声を上げる青年。恐怖は微塵も感じられず、手を上げる様子もない。
 人形は亜麻色の髪の中に銃口を押し込んだ。
「撃ちますよ。手を上げてください」
 青年が頬を歪め、わずかにみじろきをした。
 同時に人形が引き金を引く。銃声が鳴り響く。
 ――直後、人形の身体が吹き飛んでいた。
 裏拳を振り抜いた姿勢で、青年は口を開く。
「押し当てたのはまずかったな。首を回すだけで簡単に銃口をそらすことができる」
 長い脚がぶれたかと思った瞬間、倒れた人形の腹へ軍靴が叩き込まれた。
「げぅ……っ!」
「さて」
 青年は、痙攣している人形に手を伸ばすと、顔面を鷲掴みにして持ち上げた。手足がだらりと垂れ下がる。
「君は、なぜ俺と同じ顔をしているんだい?」
「……知ら、ない……」
 指の間から、人形の大きな瞳が覗く。ぐらぐらと揺れている。生まれて初めて相対する真の強敵に対し、恐れを抱いている。
 当然だ。あの人形は、あくまでこの研究所で私につきまとっていた時点での模倣品。対して、青年――すなわちオリジナルの方は、五年間ずっと戦場に身を置いていた。五年のブランクが、そのまま二人の差である。
 ――さぁ、とうとうこの時がやってきた。私の復讐が、成就する瞬間だ。
 私の人形が彼に敗北することはわかっていた。五年前のデータしかなかったために、あれ以上の能力を持たせることができなかった、という事情もある。
 だが、仮に現在の彼以上の戦力を持つ人形を創ることができたとしても、私はやはり、あのままの性能で彼に向かわせたことだろう。そうでなければ意味がない。
 ――かくて、状況は再現される。
 少年は、自分が恋した女性を守るために戦い、しかし圧倒的な力を前に敗れ去った。
 自分の力ではどうにもならない状況にはじめて直面し、心底から恐怖を味わうことだろう。自分が守るべき人物と、自分自身。二つを天秤にかけ、懊悩することだろう。
 そして、ひとつの決断を下すことだろう。
 ――彼に見せ付けてやるのだ。
 力に屈し、愛するものを裏切り、敵に尻尾を振る人間の姿が、どれだけ醜いかを。彼は、見た目も中身も昔の自分と同じ存在が、かつてと同じ状況で浅ましく命乞いをするさまを、客観的に見せ付けられるのだ。そして、自分が五年前、どれだけ卑劣な裏切りを働いたか思い知るのだ。
 私はもうすぐ殺されることだろう。だけど、そんなことはどうでもいい。最大限、嫌な思いを彼に味わわせられるならば、他のすべてをあきらめてやる。
 ――さぁ、状況は固まった。人形め、早く私を裏切りなさい。涙を流して命乞いをしなさい。あなたの存在価値なんてそれだけなんだから。
「そうか。じゃあ君の創り主に聞いてみようかな」
 青年は振り返り、私のほうを向いた。眼が細まる。
 その瞬間。
「あの人には、手を出させない!」
 宙吊りにされたまま人形が、爪先を跳ね上げた。
 ――え?
 青年はあっさりと手を離し、蹴りをかわす。構わず、人形は腹の底から叫びながら襲い掛かった。拳、直蹴り、貫手、肘、裏拳――とどめに回し蹴り。流れるような連撃。
 が、ことごとくいなされ、かわされる。まるで相手にならない。
 ――どうして……まだ向かっていくの……?
 青年は回し蹴りの脚を取る。そのままヴンと振り回して床に叩きつけ、喉を踏みつけた。
「ぎ……っ!」
「君は不愉快だ。昔の俺に、あまりに似すぎている」
 静かな声。人形の眼に、はっきりと怯えの色が走る。
「これ以上邪魔されたら作戦終了時刻に間に合わないな」
 彼が感情のこもらない声で、そう呟いた。
 もがく人形。
 無駄。あなたにその男をどうにかできる力なんてないの。さっさと暴力に屈しなさい。
「……めだ……」
「ん? 何だって?」
 彼は耳を寄せる。
「あの人だけは……だめだ……ぁ……っ! やめて……あの人……殺さないで……! 嫌なんだ……なんでもするから……あの人だけは……っ!」
 ……何よ、それ。
 気づけば自分の足が一歩二歩と後退している。何かに追い詰められるように。
「そうか……そういうことか」
 穏やかな声。彼は人形から脚をどかし、立ち上がった。
「ならば、君と俺の目的は同じだ」
 ……え?
 太い笑みを浮かべる青年。戸惑った顔でそれを眺めていた少年も、やがて理解と喜色が顔に出てくる。
 次の瞬間、二人は弾かれたように別々の方向へ飛んだ。周りを囲んでいる敵国の兵士たちに、襲い掛かったのだ。狼狽の叫びは、凄まじい打撃で次々と沈黙させられてゆく。
 何が、起こっているのか。なぜこんなことになっているのか。人形はともかく、なぜ彼まで兵士と闘っているのか。私は二人の大立ち回りを呆然と眺めることしか出来なかった。

 兵士たちがようやく二人をはっきり敵だと認識し、銃を向け始めた時には、すでにその数は半分になっていた。二人は視認すら難しい俊敏さで飛び回り、手刀や拳を鋭く振るう。次々と兵士を気絶させてゆく。銃声がそれに被さり、混乱に拍車がかかる。
 ――数分後。
 立っているのは、少年と、青年と、私の三人だけになった。
「……どう、して」
 自分でもおかしくなるほどかすれた声。二人は私の方を向く。そして歩み寄ってくる。彼らが近づいてくるうちに、私は一つの真実に気づいた。一瞬呼吸が止まった。
 少年の姿をした人形は、肩や腕に銃傷を負い、透明な人工血液が流れ出ていた。
 それは別にいい。彼は人形だ。赤い血など流すはずもない。
 しかし、青年からも同じように透明な液体が流れているのは、
 それは、
 つまり。
「あなたも……人形……?」
「あぁ……俺は、君の恋人が遺した、最後の複製体だ」
 まっすぐに見つめてくる。何かをこらえるように、眼をすがめながら。
「俺の目的は、君をこの国から脱出させ、戦争とは関わりのない普通の暮らしをさせること。それが、俺のオリジナルの遺志だ」
「何……それ……」
 声が震える。全身が、震える。何か、とてつもない刃物を突きつけられた感覚。
「五年前、敵の襲撃を受けたオリジナルは、一つの交換条件を敵に提示した。人造の歩兵を造るにあたって最高の素材となる自分を提供する代わりに、即時撤退すること。さもなくば、一人でも多くの兵士を道連れに死んでやる、と。オリジナルの強さは敵国にも知られていたし、彼らの目的はあくまで兵器情報の奪取。リスクとリターンを考え、敵国はオリジナルの提案を呑んだ」
 青年は目を伏せる。
「そして月日が経ち、一ヶ月前――完成した強さを身に付けたオリジナルは、身体や思考のデータを採取され、そうして作られた人形が期待通りの戦闘能力を発揮することが確認された瞬間……用済みとなり、処刑された」
 私は、ゆっくりと膝を突いた。心が、麻痺していた。俯き、床を見る。
「処刑と時を同じくして、造られた人形の意思決定論理に狂いが生じた。人形は自分の使命を思い出した。愛した人がいる、と。その人を救おう、と」
 何、それ。そんなの、聞いていない。知らない。わからない。聞きたくない。
「う……あ……」
 足音が近づいてくる。すぐそばでしゃがみこむ。顔を上げると、そこには少年の顔があった。
「逃げましょう」
 彼も、まっすぐに私を見つめてくる。
「この国だって、戦争が終わればあなたを戦犯として処刑する気です」
 そんなこと、わかってる。わかってる、けど……
 そんなあっさりと気持ちを切り替えるなんて、できない。
 私は、この時になってようやく自分の体に涙を流す能力があることを思い出した。
 二人は、私が落ち着くまで、じっと待っていてくれた。

 ●

 一週間後。僕たちは、海の見える丘に立てられた、ちっぽけなお墓の前に来ていた。
「これから君はどうするんだ?」
 そんなわかりきったことを聞いてくるこの人に、僕は苦笑を向ける。
「決まってます。あの人を、ずっと守ります。ずっと、ずっと」
「そうか……」
 お墓の前には、一人の女性が屈み込んでいる。潮の匂いを含んだ風が、彼女の黒い髪を波打たせた。眼は伏せられ、その口はしきりにごめんなさい、ごめんなさいと繰り返している。透明な雫が、頬を伝っていた。
「ならば、俺と君は志を同じくする相棒と言うことだ」
「みたいですね」
 彼女が立ち直るのは、もう少し先になりそうだ。どうすれば彼女が心から笑えるようになるのか。今の僕たちには、まだわからない。道のりは、長いだろう。
 だけど、彼女がオリジナルのために泣いてくれるのだけは、少し、うれしかった。

【完】

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