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#189_【スタディツアー】国境の島で学ぶ意味 -「国境」編-

弊社では「国境の島・対馬で「学ぶ」と「遊ぶ」を楽しむ旅行商品を提案します」という謳い文句で、旅行企画を作っております。

前回記事で「国境」と「島」は、日本人の大多数にとって異次元のワードになっていそうと書きましたが、日本のすみっこまできて、果たして何が学べるだろうか、という方もいらっしゃるのではないかと思います。

そこで今回は、「国境」と「島」をテーマに、対馬に来たらどんなことを学べるのかについて、改めて紹介していきたいと思います。


交易

昔は航空機というものがなかったので、海を介して様々な文物が行き交っていました。そして、海を渡るにも、いまほど航海や造船の技術が発達していなかったわけですから、島も例外ではありません。

よく「日本で初めての〇〇」と紹介されるものについて、発祥の地を調べると横浜や長崎だったりするものが意外に多いと思いますが、対馬も古くから外国からの玄関口になっていましたので、それを裏付けるものが数多くあります。

【いまでも原種に近い特性を残す「対州そば」です。】
【越高遺跡から出土した朝鮮系土器の特徴が見られる破片です。】
【日本では唯一の石囲の炉です(越高遺跡)】
※朝鮮半島の遺跡では見られるそうです。
【国外で製造されたとみられる陶磁器です。】
【日本と朝鮮の特徴が混ざった梵鐘です。】

国防

最前線にいますと、新しいものや珍しいものが早く入ってくる反面、周囲とのとの関係が悪くなると矢面に立たされますので、緊張感が生まれやすい場所でもあります。

【城山に連なる金田城の石塁です。】
【文禄の役により築城された清水山城です。】
【金田城の石積みの一部は、幕末に修築されたといわれています。】
【半年間芋崎を占拠したロシア軍の兵舎跡です。】
【日清、日露戦争期に建造された芋崎砲台です。】
【対馬沖(日本海)海戦時に沈没したロシア軍艦「ナヒモフ号」の砲身です。】
【昭和初期に建造された豊砲台の砲塔井です。】
【現在の対馬には、陸海空の自衛隊の拠点があります。】
【海上保安部も自衛隊と連携しながら警備活動を行っています。】
【日本の領土の基準となる場所にはこのような案内板が設置されています。】

外交、交流、それらを支える人々

日本の最前線であり、様々なバックボーンを持った人々と交流してきた対馬では、数々の難しい選択をに直面してきました。
そんな一面を表す資料が残っていますし、様々な方が働いています。

【宗氏は日朝の国書を偽装し、朝鮮出兵後の日朝関係を修復しました。】
※写真は改作した朝鮮国書(複製)
【朝鮮国王の印も偽造しました(展示品は複製)。】
【朝鮮通信使が江戸に向かうときは、文化の相違によるトラブルが起きないよう対馬藩の役人が随行しました。】
【朝鮮からの漂流民が集められた漂民屋の跡です。】
【「許しません白い粉、通しません黒い武器」(門司税関厳原支署)】
【病原菌の水際対策を目的とした広報活動です。この時はコロナ前でしたが…。】
【警官が韓国人サイクリストに、基本的な交通ルールの説明をしています。】
【国際免許のドライバーが運転する車に、それが分かるよう貼られるステッカーです。】

近年はVUCAの時代ともいわれますが、国を越えて交流するということは、未知なるものと接触する機会が増えますので、平たく表現しますとハイリスク・ハイリターンな場所といえそうです。

対馬で暮らす人からしますと、もはや当たり前で気にも留めていないかもしれませんが、日本国内で外国との接触ができる場所は限られていましたし、いまの世の中、国境を飛行機で越えることのほうが多いかと思いますので、このような題材がある場所は貴重だと思います。

グローバルで物事を考える視点を得るために、日本と周辺諸国との関係を学べる材料がたくさんある対馬で学んでみませんかo(^-^)。

※長くなってしまいましたので、島編は次の記事で紹介します。

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