#117_【旅と学び】鈴木貫太郎記念館
ただいま島外に出張しているのですが、目的地に行く途中、対馬にも縁がある偉人の記念館があるというので、寄り道をしました。
太平洋戦争終結時に総理大臣を務めていた鈴木貫太郎翁の記念館です。
場所は、余生を送った千葉県野田市関宿(せきやど)にあります。
関宿のあたりは、県境が入り組んでいますので、境界マニアの方が好きそうな地帯ですね(^^)。
※割とバスの本数が出ている鉄道の駅は、東武動物公園駅(埼玉県)になります。バスの終点になる「境車庫」があるのは茨城県境町です。3県を股にかけるって、珍しいですね。
鈴木貫太郎翁は、海軍軍令部長、侍従長、枢密院議長などを歴任された方で、有名なエピソードとしては、1936年に起きた二・二六事件で、銃弾を急所に4発受けながらも、奇跡の復活を遂げたという話があります。館内で上映しているDVDに、事件について話すタカ夫人の音声が収められていますが、なかなか壮絶な内容です。気になる方は、Wikipediaにも記述されていますので、そちらをご参照ください。
鈴木貫太郎翁と対馬とのご縁ですが、翁が若い頃、水雷挺長として、竹敷要港部に赴任していた時期があり、対馬沖(日本海)海戦では、第四駆逐隊司令として参戦しています。当時は、猛訓練を行うことから「鬼貫」と呼ばれていたそうです。
日清、日露戦争期の資料を期待したものの、文京区千石の私邸を放火されてしまい、古い資料がなかなかないとのことで、このあたりの調査は自力で頑張らないと、という感じでしたf^_^;)。または、お孫さんにあたる音楽評論家の鈴木道子さんが、書籍などでお話しになっているものを頼りにするか。ちなみに、御年90歳を越えていらっしゃるようですが、ご存命だそうです。
翁の経歴を見ながらひとつ感じたのは、「幕引きの男」ということでしょうか。終戦はいうに及ばずですが、海軍時代にはシーメンス事件の事後処理にもあたったそうです。
ゼロからモノを産みだす人が世間的に称賛されるのとは真逆で、負の事案の後始末については、きれいにまとめられたとして誰からも褒められませんし、まして終戦の時も命を狙われたようですから、いかに大変であろうかは想像するまでもないことですが、それだけ周囲からの信頼が厚い方であったのだろうと思います。
以前、竹林一さんという方が、「起承転結」人材と名付け、周囲の環境や組織の内部が変化することを見据え、いつも適応できるようにするためにどのような人材が揃っているのかが大事、という話をされていました。
たしかに組織には「イノベーター」ばかりいてもダメで、広い意味での政治力を持った人が必要になる場面も出てきますよね。
とはいえ、逃げ出したくなるような危機や重責を担う場面にも対峙してきたその矜持は、一体どこから生まれてきたのだろうかと、大変興味深く感じます。
現在記念館は、2019年の台風19号の影響と耐震診断の結果、展示可能な内容に限りがある状況ですが、2030年を目標に建て替えをしていく予定だそうです。
私が学生の頃の日本史の授業は、小中とも近現代は時間切れで適当に流して終わりという感じがありましたが、翁のような方がいらしたということを、広く知ってもらうきっかけを作れるようになれれば、と感じます。
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