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日本語ボランティアとトルコの思い出

トルコ留学の記録を全然書ききれていないけど、もう日常生活を書くことにした。書かずにすべてを忘れてしまう方がよっぽど悲しいような気がしたので。

11月まではずっと忙しく、なかなかトルコを思い出すことはなかった。自分から積極的にそういう体験を話す方ではないので(これには理由があって、また書きたいのだが)話さなければ忘れてしまい、忘れてしまえば話せない。

しかし、サークル活動(?)として行っている日本語ボランティアで久しぶりに思い出すことがあった。

私は日本語を教えるボランティアを週一度している。ボランティアと言っても、日本語を教える訓練として機能している場でもあるので、メンバーが持ち回りで教案を書き、授業を担当し、反省会を行うという高カロリーボランティアである。

私はビギナーの方の授業を受け持つのだが、後期の始まりということもあり、多くの留学生が大学にやってきている。それに伴い、日本に来たばかり、日本語ではほぼ意思疎通が取れないという方もレッスンに来ていた。

そして、その日は私が先生となる授業であった。

授業準備も入念に行い、授業も流れに乗ってきたぞ…!というところで。


スッと手を挙げる方。

「『ちょっと』ってどういう意味ですか」

私が口癖で、「ちょっと○○しますね」と言っていたことに対する疑問のようだ。
質問にどぎまぎしながらも、あの手この手でなんとか疑問を解決する。


「えーと、何話しましたっけ?」というと、

再びスッと手を挙げるその方。


「『えーっと』はなんですか」


やばい!自分がドツボにはまるのを感じる。説明をしようとすればするほど難しい言葉を使ってしまう負のスパイラル。おまけに英語でスッと説明できるほど流暢ではない。久しぶりに汗をじっとりかいた経験だった。

質問が出れば、最善を尽くすのは教師の務め。といえども、伝えることの難しさや他の学習者の前という焦りから、自分のペースが崩れていくのを感じる…。

結果的に、その方は私の授業が終わったとき、わざわざgoogle翻訳を用いて、「今週の先生、ありがとう」と言ってくれたのだ。しかも、アプリに言わせるのではなく自分の口で、(多分)ローマ字を読みながら。

こういう達成感と多幸感があるから結局この高カロリーボランティアをずっとやるんだよな…と噛み締めるが、同時に、「先生という立場ではなかったら、ここまで真剣に質問に耳を貸すだろうか」とも考えてしまう。日常の自分なら、めんどくさくて切り上げてしまうかもしれない。褒められたことではない。


と思いながら眠りに着こうとしたとき、ある思い出が蘇ってきた…。トルコ、最後の一週間。イスタンブール観光をしているときのことである。


トルコ納めということで、私はトルコ料理を食べまくっていた。一週間に詰め込めるだけ詰め込めるよう、今日はコレ、明日はアレ…と入念に計画を立てながら。

その日は、çiğ köfte(直訳すると、「生ミートボール」。しかし、実際には肉ではなく大豆で作られた肉のようなものに野菜を乗せ、トルティーヤのような薄皮で包んで食べる)を食べるつもりだった。

テイクアウトできるものの中では一番安いといわれている çiğ köfte(チーキョフテ)。1つが150円未満、手軽においしいスナックといった感じだ。安いので非常にお世話になった。ちなみにトルコでコロナにかかってしまった時も、自炊も出来ずひたすらこれを食べていた。(栄養的には良くない)

キャベツ、レタス、にんじん、コーンなどが入っている。
ソースも選べ、私のお気に入りは
レモンソースとザクロソースだった。

さっそく注文する。いつもUberのようなアプリでオーダーしていたから、対面でのオーダーはちょっと心配だ。なんとかトルコ語で注文すると、お兄さんが「これ、辛いよ。大丈夫?」と声をかけてくれる。

しかし、私は飽きるほどこの食べ物を食べてきた女。そんなことはもちろん知っていたので、「辛いの、知ってます」と拙いトルコ語で返す。

私の返し方があまりに子供っぽかったのだろうか、お兄さんは優しい笑みを浮かべながら、「知ってるの、そうなの~」と言った感じで応答してくれる。

優しい雰囲気に調子に乗り、ますます「だって、私チャナッカレで一年間(盛ってる)留学してたからね!!」と言う。驚いた、というリアクションを取ってくれたお兄さんに、私はご満悦だったのだが…

お兄さんの顔がふと真剣になる。そして、「いい?イスタンブールで誰かに話しかけられても、『留学生をしていた』って答えちゃだめだよ」と。

「え!なんでですか」と問うと、「とにかく、客引きは相手にしないこと。話し込むのは危ない」ということらしい。

え~~~、でも観光客って思われるより安全そうじゃない?と思いつつもそれを言うだけの語彙力が備わっていないので、フンフン…と聞く私。

お兄さんは続けて、「誰かに話しかけられても、『コンソール』と言いなさい」と言った。

この『コンソール』の意味が全く分からなかった。お兄さんに、「それ、どういう意味ですか?」と聞いても。返ってくる用語が1ミリも分からない。

とにかく言い換えてくれるお兄さん。私がやっと聞き取れたのは「パスポート」という言葉のみ。

「パスポート…?」と私が尋ねると、その言葉から再びジェスチャーも交えながら話し始める。ジェスチャーをもとに推測するところ、「パスポート、受け取る…?」みたいな感じになり(曖昧)、自分の中で、『大使館だ!!!』と結論が出た。(本当に大使館かどうかは知らない)

なるほど、お兄さんは、ずっと「話しかけられても『大使館』っていえば撃退できるからね」と教えてくれてたのか…!

わかった!わかったよお兄さん!みたいな顔をして、サムズアップとともに店を去った記憶がある。


…というのが、私の思い出した記憶。


自分の発した言葉が伝わらない、と思うと煩わしさやめんどくささを感じて簡単に諦めてしまいそうになる。言葉を教える身を志してもなお。

今思い出すと、お兄さんの優しさがその時の10倍染みる。見ず知らずの客、外国人、少し会話を交わしただけの間柄なのに、今日の私と同じような労力をかけて、私の身を案じた提案をしてくれたお兄さん。

こういうことを思い出して感傷に浸り、なかなか眠りにつけず、しかし幸せな気持ちだった。大変だけどまた頑張ろう、と思えるのは、こうした一つ一つが私を形作っているからなのだと日々感じる。


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