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休職中期 同僚とご飯にいったら泣けてきた

こんにちは。だるだるダルメシアンです。
適応障害と診断され、1ヶ月半お休みをいただいています。

休職の中期(とはいえ初期に近い)に同僚とご飯にいきました。
まだまだ自分の中で解決できてないんだな、と身に染みてわかったので記録までに。


ご飯の予定


休職に入って間もないときに、仲のいい同僚からご飯に誘われました。
当初は少し前に行く予定だったけれど、1人が体調を崩したため延期になっていたものです。

みんなのお仕事が忙しくない時期を合わせるのも大変だろうし、
ここで行かない決断をしたら次回以降ご飯行きづらい気がするし、
なにより変わらず誘ってくれたことが嬉しい

と思い、行くことを決めました。

当時は、
会社をお休みできたことに安堵しつつ、急に抜けてしまったことに申し訳なさを感じていたので、変わらずに接してくれていることが本当に嬉しかったのです。

ご飯当日


到着前


休職から2週間ほど経ち、いよいよ当日。
体調的には問題なく、それなりの距離を電車に乗らなければいけませんでしたが、そこには不安はありませんでした。

とはいえ、正直気持ちとしては、
行きたい:行きたくない」の比率が「40:60」くらい。

みんなと変わらず話せるのか
というか何を話せばいいのか

みたいなことを前日から考え、行く気力が落ちていたからです。
もちろん、仕事をしていたときはすごく仲のいい同僚たちで、だからこそ前々から予定をしていたわけで。会いたいは会いたいんですが、なかなか大手をふって行きたい!!という状況ではありませんでした。

いよいよ本番


いよいよです。
先に1人着いているのが見えたので、意を決して席に向かいました。

「久しぶり」と声をかけると、相手は拍子抜けするほど普通で、
「あれ?私昨日まで一緒に働いてた?」と錯覚するほどでした。

後から遅れてきたメンバーも、何も変わらず。

「なーんだ、大丈夫じゃん」と最初は思っていました。

しかし、
仕事の話になるとちくっとする。

私が抜けた後が気になる
けど、
抜けても全然大丈夫だったよ〜 は、「私いなくても変わんないんだ、、」ってなるし、
抜けてほんと大変だった!! は、それはそれで「ほんとごめんなさい、、、」ってなるし、

どっちの答えも、もしくはそれ以外の答えも聞きたくない
と思う自分に気がつきました。

そして、みんなも私には触れないわけです。
私がみんなの仕事に触れないのと同じで。

もし逆の立場で、私は働き続けていて同僚が休んだとしたら、きっと私も久々に会った初日は何も聞けないと思います。

けど、それはそれで腫れ物に触られるような感じがして、
なんだかこの場にいていいのだろうか、、、
みんなと同じ土俵に立っていないのが辛い、、

と苦しくなっていました。

でも、仕事と関係のない話題は楽しくて。
疲れはしたし、頭の中はぐるぐるだったけど、
やっぱり何より普通に接してくれることが嬉しくて、みんなと別れる時には「きてよかったな」と心から思えたのです。

帰宅して


しかし、、、
電車に乗って最寄駅に着いた時には疲弊していました。
このままでは家に帰る体力なくなるかもと思い、駅近くの商業施設に立ち寄り椅子に座ったが最後。動けなくなりました。

みんなと最後まで走りきりたかったのに
自分の仕事をやり遂げたかったのに
ハッピーに終わって、大手をふって元気な状態で休みをとりたかったのに

あと、たった1ヶ月だったのに
悔しいし申し訳ない

みんなが優しい
けど、そこにはもう肩を並べている私はいない
同じ立場でみんなと話せない

悔しさと申し訳なさがすごい勢いでやってきて、
息苦しさ

頭痛
無気力
という休職初期の症状が戻ってきました。

振り返って


まだ会うのは早かったな、と今なら思います。

2週間休んで、さらに2週間の休みが確定していて、
みんなと走りきることはできないのは分かっていたんです。

例えるなら、
試合に向けて頑張っていたのに、試合1ヶ月前に骨折して出られないことが確定した感じ。
みんなは普通にそこに向けて今日も明日もがんばっているのに、自分だけがそこで肩を並べていない。

もうそこに戻れないのはわかっているのに、
まだ諦められていない、悔しいと泣いてしまう自分が残っていたことを知りました。

これを書いている今は、もうご飯当日から1ヶ月以上過ぎているけれど、
それでもまだ、今会ったら同じ気持ちになってしまいそうです。

きっと時間が解決するんだと思って、気長に付き合っていきます。