見出し画像

夏の箸休め3 国語の時間 続「これはしたり」

再びの「これはしたり」である。
恐らく私はこの言葉に取り憑かれてしまったのだと思う。
さくらちゃんが少女であろうがオバハンであろうが、もはやそんなことはどうでもいいのだ。

さて昨日の考察では「これはしたり」という言葉が、
「やったね!(^^)v」

「やってもおた(ノロ`)シクシク」
または
「なんでやねんヽ(`Д´)ノオイ!」
などを表すことができる言葉であることを紹介した。
しかし他にも用法は多々ある。私が映画や大河ドラマで見聞きしたものだけでも、
「我が意を得たり」
「しめしめ」
「なるほど」
「これは困った」
などがある。
非常に曖昧な言葉とも言えるが、日本語の奥行きを感じさせてくれる言葉でもある。

では現代の日本語に「これはしたり」が持つ多様性と対等に渡り合える言葉はあるのだろうか?

まず思い浮かぶのが「すみません」という言葉だ。
「すみません」は謝罪のみならず、感謝の気持ちを伝える時や、人に呼びかける際にも使えるので、なかなか見どころのある言葉だ。
しかし「これはしたり」に比べると、力不足感は否めない。
「これはしたり」のLvが300としたら「すみません」はLv100くらいだろうか。
また、特殊ではあるが、沖縄方言の「ぬー」という言葉にも多様性を見いだすことができる。たとえば、ウチナンユー同士が殴り合いの喧嘩に至る前段階で

「ぬー(なに見てんだてめぇ?)」

「ぬー(お、なんだ、やんのか?)」

「ぬー(あ?文句あんのかコラ)」

「ぬー(そっちこそ文句あんのか?)」

と、何度もリピートされるわけだが、これはちょっと違うなw

残念ながら、その他の言葉は浅学にして思い浮かばなかった。
外国語に目を向けてみると、

「オー・マイ・ガー(Oh My God!)」

というものがある。
これは近いかもしれない。困った時、嬉しい時、驚いた時などに、アメリカ人はやたらと「オー・マイ・ガー」と叫び、あるいは呟く。
しかしアメリカ人は大仰な身振り手振りで「オー・マイ・ガー」という
言葉を補完するので、言葉自体の実力は「これはしたり」のLv300には及ばない。よくてLv150といったところであろう。
いや、数字の根拠を示せと言われても困る。なんとなくそう感じるだけだ。

本当に他にないのかなあ?
「これはしたりに至る病」に罹患した私は、さらなる思索と調査に没頭した。
そして今朝、遂に「これはしたり」に相当する言葉を発見したのだ。
しかも日本語だ。
その言葉とは






ジャイアント馬場

「アポォ」

だ。
「いやこれは言葉ではない。単なる掛け声、もしくは息継ぎの音だ」などと強弁する方もいるかも知れない。
黙れ!これは紛れもなき馬場さんの肉体言語なのだ。

ありがとうも、
ごめんなさいも、
こんにちはも、
さようならも、
嬉しい時も、
悲しい時も、
痛い時も、
脳天唐竹割りをみまう時も、
16文キックを放つ時も、
コーナーポストにスローモーな動きで昇る時も、
昇るのが遅すぎて、その間に相手が逃げてしまい、仕方なくコーナーポストからスローモーな動きで降りてくる時も、
馬場さんはいつも「あぽぉ」だった。

引退前の馬場さんののんびりとした動きは、もはや伝統芸能を観るかのようであったし、彼が口にする「あぽぉ」は、あたかも人形浄瑠璃で人間国宝の太夫が語りをつけているが如き趣があった。
ことほどさように「あぽぉ」という言葉には高い格調と侘び寂び(わびさび)があるのだ。
これこそ、現代の「これはしたり」である。いや、もしかすると「これはしたり」を超える万能の言葉かも知れない。
しかしこの言葉を操れる唯一のお方、ジャイアント馬場さんもすでに鬼籍に入り、文字通り「死語」となってしまった。
いまや幻の「あぽぉ」である。

ジャイアント馬場よ永遠なれ。

あ、若干論旨がズレたかもしれない。あぽぉ。

しまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?