見出し画像

ゆとり教育は誤りだったのか?

ゆとり教育。当時の教育を受けた人たちは「ゆとり世代」と揶揄され、日本教育界の黒歴史として捉えられがちですが、果たしてそうだったのでしょうか。

ゆとり教育というと、詰め込み教育の廃止、指導内容の低レベル化が挙げられるでしょう。これらは結果的に、大学教育に求められる基礎的な学力が不足するという問題を生じさせました。

一方で、「過度な競争の廃止」もあったように思います。運動会の徒競走では、ゴール前で皆が横並びに手を繋いで一緒にゴールするという姿がテレビ番組などで取り上げられ、その是非が問われました。支持しない意見が多数を占めていたと思います。実際、私もその時は、「おかしな事を始めたものだな」と思いました。

しかし、今回は改めて後者について考えてみます。

競争があるからこそ、進歩が生まれる。人は互いに切磋琢磨してこそ、優れた人格が形成される。昔から、そう言われてきました。確かに効率の良いシステムです。しかし、この手法はごく少数の勝者と、圧倒的多数の敗者を産み出しました。また序列が明確となり、格差を生じさせました。資本主義には、この思想が垣間見えるように思えます。資本主義とは基本的に格差があってこそ成り立つ経済システムです。対する社会主義も、指導者やその利権に群がる者たちの腐敗とともに、民衆の意識低下などもあって上手く機能したとは言えないようです。

地球上の生物は種族保存を是としているように見えます。競争により優劣を決定し、勝者のみが自らのDNAを継承していきます。

人間は進化の過程で他の生物と一線を画すような知能を手に入れましたが、種族保存においては旧来のスタイルを維持しています。時代、地域などによってその競争の中身は変わってきますが、現代の日本においては男性は主に経済力を競い、女性は専ら妊娠可能な若さと容貌を競う傾向にあります。女性の経済力は上昇傾向にありますが、いわゆる上昇婚への意識は相変わらず根強く、男性への経済力偏重の構図に大きな変化は見られていないように感じられます。

また以前、ハリウッド映画が扱うの題材のほとんどは、love & thrill であり、もっと平たく言えば、sex & violence である、と聞いたことがあります。人間の関心は、ここから進歩していないのでしょう。

話を、ゆとり教育に戻しましょう。競争を否定する「ゆとり教育」は生物としての人間の感覚を逆撫でする行為だったでしょう。それゆえ受け容れ難く、短い期間で終焉を迎えることとなりました。

遥か遠い将来、生殖が個人、特に女性の手から離れた時に、ヒトは何を競い合うのでしょう。その時に、昔々、極東の小さな国で、「ゆとり」という思想があったことに気付く人がいるでしょうか…

* * *

以上の文章は、川上弘美さんの『大きな鳥にさらわれないよう』を読んだ時に考えたことを纏めたものです。これまで多くの本を読んできたつもりですが、とても大きな衝撃を受けたので是非紹介したいなと思い、「内容に一切触れない感想文」として書きました。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?