04号への橋渡し日記 1213-1219
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ミュージシャンを「魅力的な異性」「理想的な異性」と見るか、「音楽家」と見るか。この隔たりは大きいが、視線の質がそもそも違うので、かえって意識されにくい。
たとえば矢野顕子の熱烈なファンでもないのに「愛がなくちゃね。」を、かつてテープで何度も何度も聴いた。その音が身に染みて残っている。それでも矢野顕子という存在を、異性としては一度も見ていない。異人か超人か、ほぼ非現実的な存在なので性的な何かを感じろと言われても無理なほどだ。
しかし坂本龍一や高橋幸宏を魅力的な異性として見ている女性は多いだろうなと、そこは理解できる。
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音楽を音楽として、余計な情報なしで聴けるという経験は素晴らしい。コンビニでたまたま耳に入る、ラジオからたまたま流れてきた、書店やレコード店でたまたま聴いた。そういう出会いで好きになれるという経験は、一目ぼれに近い。
では、ノーマルな出会い方は何かというと、言葉から入って音楽に至るケースが多いのではないか。趣味として「音楽」を好きになって、積極的に紙媒体やネット経由で知ろうとすればするほど「タイトル」「歌詞」「批評」といった、言葉の領域が入り口になってくる。とりわけタイトル抜きで音楽に接するのは難しい。「何とか賞を受賞」「チャートで何週連続一位」「売り上げが何万枚」。みな同じように、目で言葉を経てから耳で音楽に触れる。目はジャケットやルックスも見ている。
つまり音楽ファンは、お見合い相手の写真を見て、プロフィールや分析レポートを読むように音楽情報に接している。音楽を聴く前に、写真や言葉で何かを整えている。出会う前から評価をしている。泳ぐ前の準備体操の達人になっても仕方がない。
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大塚さんについて書かれた文章や、大塚さん自身が書き残した文章を読んでいると気が滅入ってくる。これはある程度、彼女に接した人はみな感じる重さ、辛さ、苦さ、どうしようもなさである。
『人生には2つのことしかない。やりたいけど、できない。できるけど、やりたくない。』
というゲーテの言葉を思い出す。
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精神治療の方法で、幼児の時点まで退行させる話を何かで読んだことがある。患者を幼児のように扱って話かける、そんな素人のお芝居がどのくらい効果を持つのか疑問だが、子供の頃に見たテレビ番組や、漫画やアニメを見直すことでちょっとした安らぎを得るくらいのことは誰でもしている。
ちなみに私は川島透監督「チ・ン・ピ・ラ」を35年ぶりに観直して懐かしさに浸り、80年代初頭の渋谷を描いた作品なのだと気づいた。「渋谷系」の隆盛から数えるとおよそ10年前の渋谷である。脚本には「明日に向かって撃て!」や「スティング」の影響が伺える。
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「チ・ン・ピ・ラ」は発音されるときには必ず「チンピラ」になってしまう。同様に「い・け・な・い ルージュマジック」も「いけないルージュマジック」である。
それならEPOの「う、ふ、ふ、ふ」は「うふふふ」になるかというとそうならず、「うふふっふ」になることが多い。EPOのアルバムには「う・わ・さ・に・な・り・た・い」というタイトルがあるが、その収録曲は何と「うわさになりたい」である。こうなると何が何だか意味不明だ。しかし名曲なので許してあげよう。
https://www.youtube.com/watch?v=CzA6YAK8E28
これらの「・」が間に入る言葉は四文字のものが多い。逆に言うと四文字の言葉は「・」が似合うのだ。
「う・わ・さ・の 姫子」
「さ・す・が・の 猿飛」
「ホ・レ・た・ぜ 乾杯!」
「た・そ・が・れ マイラブ」
「と・き・め・き メモリアル」
「ほ・し・く・ず ロンリネス」
「き・ま・ぐ・れ オレンジロード」
「う・わ・き・な パレット・キャット」
などなど。どれもすんなり受け止められそうである。
マッチの歌で「ためいきロ・カ・ビ・リー」というのもあった。これは「た・め・い・き ロカビリー」とどちらを選ぶかで作詞の松本隆が悩んだのではないだろうか。
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大塚さんは確か大島弓子の漫画が好きだったと、本人から聞いた記憶が少しだけある。検索してみると少し作品名が出てきた。「ダリアの帯」「ダイエット」など。
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「FAKE」は大塚さん周辺や、ごく一部のFG好きにとっては有名なファンジンである。このタイトルは確か「Funny Angel, Kinky Edge」の頭の文字を取ったものだ。
彼女自身も含めて世の中の何もかもが「偽物、まがい物」だと開き直り、かつ指摘して、攻撃して、傷ついて、勝ち誇って、敗北して、有耶無耶にして。そしてある人はこの世からいなくなり、ある人は何がどうなるという訳でもなく日常が山あり谷ありで続く。
同じように日本社会が「FAKE」であるという指摘を続けている森達也の映画や書籍と比較すると、「FAKE」というタイトルそのものすらいかにも未熟である。
「そんなこと知ってるよ!こっちも偽物だけど、お前だってそうだろ!」と言い返すためだけに予め開き直っている。若気の至りである。当時、大塚さんは大学に入りたてのホヤホヤだったので仕方がない。
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