君の身がわりに その深い悲しみを 背負うことは できないけれど。I can't carry your deep sorrow on your behalf, but ...

それは僕がまだ30にも満たない頃。大阪アメリカ村三角公園の近く。5階建て雑居ビルの3階にある小さな広告プロダクション。そこで僕はコピーライターだった。今から思えばバブル景気はもうすぐ終わるのだが、僕を含めて大抵の人は知らない。株や不動産を追いかけた人は、なおさら今が続くことを願っただろう。幸いにも僕は株には興味がない。その頃の僕の興味は少し前に40万で買ったアルトサックス。チャーリー・パーカーに憧れて、心斎橋の三木楽器の地下の教室で、毎週金曜日夜7時から8時まで練習した。教則本の譜面もまともに読めずアンブシュアもまだまだ。練習の終わりには、一人で三木楽器の近くのマクドナルドに寄り、ぼんやりとビッグマックセットを食べ、谷町六丁目の独り暮らしの部屋に帰って寝た。今振り返れば孤独だった。カタカナ職業に就いたものの先は見えない。何でもできそうなのに何ができるかわからない。何がしたいのかわからない。努力しようとしても日々の怠惰に流され何もできず漠然とした不安を抱えてしまう。今よりも若く心身ともに健康だったことだけが救いと言えば救いか。ある秋の金曜日の夜、いつものようにビッグマックセットのトレーを持ち、2階のいつもの席に向かおうとすると、先客がいた。僕より少し若い女の子。茶髪のショートボブ。派手なライダースジャケット。挑戦的な濃い化粧。窓の方を向いて、たった一人でビッグマックに嚙り付く。大口を開けて。周りに誰も座れないように、大きなカバンを空いた席に置いたまま。珍しく、その夜のマクドナルドは空いていた。2階には僕と彼女だけ。彼女は一度も振り返らない。泣いている。声上げずに。ビッグマックを齧りながら。その窓が鏡のように、彼女の泣き顔を映す。その時、僕の耳にだけBGMが流れた。5年前にシングルカットされた佐野元春の「TONIGHT(トゥナイト)」。

君の身がわりに その深い悲しみを
背負うことは できないけれど
Baby Baby 明日のことは 誰にもわからない
So take my hand 目を閉じないで
(佐野元春「TONIGHT(トゥナイト)」より)

あれから30年。誰かがビッグマックを齧るのを見かけると、君を思い出す。ありがとう。あの夜、僕の代わりに泣いてくれて。ありがとう。君の涙に救われた。あの秋の夜の、君と僕。僕らは一緒にビッグマックを齧っていた。離れて座っていたけれど…。ねえ君。君は今でもビッグマックを齧っていますか? 涙は、もう乾きましたか? 

追伸

ずいぶん前に僕はアルトサックスを手放してしまった。もう若くないから。ビッグマックを齧ることもない。


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