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【第1話】BuddyCompass創業に至るこれまで

こんにちは、BuddyCompass広報担当です。

BuddyCompassはたくさんの方々に支えていただきながら、高石のフルコミット開始から無事2年目を迎えることができました✨ 実は私たちが掲げるミッション「モノクロな世の中をカラフルに」や、地域や観光・宿泊、婚礼という事業領域は、高石が過ごしてきたこれまで、特に会社員として勤めていた4年間の日々が大きく影響しています。
そこで今回は、BuddyCompass創業に至ったこれまでを、高石に聞いてみました。

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社会のために、苦しみながら働く?

僕が起業を決めたのは、社会人1年目の冬ですね。
当時NTT系のシステム会社に勤めていたのですが、ここでBuddyCompassを一緒に創業し、CMOを務めてくれているりっちゃん(田井中)と出会いました。実はりっちゃんとの時間が、起業のきっかけと言っても過言ではないかも。

2016年、入社後の研修を経て僕は金融業界向けの開発プロジェクトに配属されました。すごく衝撃的だったのが、そこで働く人たちの目が死んでいたこと。毎日ハードな業務量に追われ表情も暗く、ただひたすら1日を働く…。今でもあの光景は忘れられないです。
そんな姿を見ながらその中で自分も働いてという激務の中で、なんだか言い表しにくい気持ち悪さ、変な世の中だな、といった違和感を感じていました。「社会のために」「人を幸せにするために」働いているはずなのに、なぜ働いている側は心身を削り毎日苦しい思いをしなければいけないのだろう。

もやもやした苦しい考えは膨らみ、生きている意味を毎日自問自答しながら、徐々に心を病んでいきました。毎朝吐いてたし、背中もずっと痛くて、心の悲鳴が身体に顕著に現れてましたね。

そんな日々を過ごす中で、同期で親しかったりっちゃんが心身の疲労で倒れたとの連絡が入ったんです。本人とは連絡が取れず、自分が毎日「死のうかな」と思っていたこともあって、もしかしたら死んでしまったのではと恐怖を感じたことを強く覚えています。友人と探してどうにか連絡は取れたのですが、やっぱりこれまで感じてきた社会や仕事に対する気持ち悪さ、違和感は「あ、やっぱあるのかも」と思ったんですよね。

あと、目の前の親しい人が倒れるほど病んでしまった時に救えない自分もなんか嫌だ、誰かの助けになれる自分でいたいと思いました。後日、食事をしながらりっちゃんと色々な話をして、結論「そんなに自分を犠牲にする面白くない仕事なら、休職して起業しよ!」と、お好み焼き屋で起業を決めました。

なんで起業?というところに関しては、働いてみて、仕事に費やす時間はものすごく長いとシンプルに思ったのと、社会や人を幸せにするための仕事なのに働いている人が苦しんだりつまらなかったりする状況への疑問が強くて、仲間と青春して働き、社会や人を喜ばせるという仕事のスタイルがあって良いのではないか、自分が体現できるのでは?と思ったから。
だから、起業以外の選択肢は思いつきませんでした。

自分の力量では、まだ出航(起業)できない

起業を決意したものの、当時社会人1年目の僕はさて何から行動すれば良いのか、さっぱり分からずでした。りっちゃんを含む3人程で、起業を目的に読書やリサーチ、アイデア出しを定期的にしていたのですが全然前に進まずで、正直起業するのがこんなにも難しいとは、思いも寄りませんでしたね笑

何をすればいいのか、本当に分からなかった。

【引用】週刊少年ジャンプ2010年44号のワンピース扉絵

試行錯誤を同じ場所で繰り返し1年になる頃、起業が口だけになっていないかと、ふと冷静に考えるタイミングがありました。口だけになっている自分が嫌だったし、自分が尊敬するルフィさんは、やると決めたらちゃんとやってるなーと。
見つめ直すと、今の自分の力量ではまだ出航(起業)できない。ただこのまま今の会社にいても起業に繋がる力はつかない。そんな結論に至り、まずは転職して力をつけることにしました。りっちゃんに話すと、あっさりOK。

そして修行の場として選んだのは、リクルートです。
当時ウエディングムービーの制作を個人で請け負っていたのですが、自分がもうあの映像を超えるものは作れないかもと思うくらい気持ちを込めて作った映像があって。そのご夫婦は、結婚式後も子どもが生まれたら家に招待してくれたり、僕の転職のタイミングでもすごく気にかけてくださり、感動の瞬間に立ち会うこと、依頼を超えて付き合いが続くほどの感動を贈れた体験に、今思えばビジネスの醍醐味を感じたんだと思います。

なので、一番起業に近い道は何なのか?とかなり悩みましたが、悩んだ末、自分が一番熱量を持てそうだと思ったリクルートのウエディング事業(ゼクシィ)を選びました。人生初の、関西生活がここから始まります。

転機となったクライアントとの出来事

心機一転、新しい人生の新鮮さとドキドキを抱えながら関西に移り、リクルート勤務が始まったのですが実は超絶人見知りなので、最初の1ヶ月は電話の声が小さいと怒られる日々でした笑
ただ起業を一度ストップして関西に来ているので「負けちゃいけないな」との思いで、夜中まで仕事して、夜中から勉強して、土日もずっとビジネス書を呼んで経営について学んで…という毎日をがむしゃらに過ごしていました。

リクルートって自分で考えて行動させてくれる会社なので、いくらでも機会があるんです。当時南大阪エリアに、ゼクシィ嫌いで有名なクライアントさんがいたんですね。私はそのクライアントさんを担当し、何度も何度も足を運んで地道に会話を重ねていくと、ついには支配人が「高石だったら最後の賭けをしたい」と、ゼクシィではありえない価格の出稿をしてくださったんです。社内でも「まさかあの企業が?」「奇跡だ」と噂になるほどだったし、支配人とも毎日毎日色んな話をさせてもらって、自分にとってすごく気持ちが入っていたクライアントでした。

なのに待っていたのは、そのクライアントがブライダル事業から撤退してしまうという結末で、

ものすごく、絶望しました。

こんなに信頼して、こんなにお金を出していただいて、一緒になって頑張ってくださったのに、結局事業を破綻させてしまうんだと。
結婚式の施行も見てたし、素敵なプランナーさんばかりだったのも知ってました。
自分の無力さをめちゃくちゃ痛感して、しばらくは落ち込み悩んでいました。後悔という意味で。

この時から自分の営業スタイルが変わって、売る営業をやめました。

当時、尊敬する上司にこんな質問をしたんですよね。
「ある結婚式場を勝たせたら、隣の結婚式場が負ける。このエリアを勝たせたら、違うエリアは負ける。限られた人口の中で、何かを勝たせることに対してどこかしらに皺寄せがくる構造は、どうすれば良い? ゼクシィって、そんなサービスですか?」

上司から「正直俺もその答えは分からない。高石が思う答えを、まずは信じるしかないんじゃないかな」との答えが返ってきて、”そうなんだな。じゃあ根本的な何かを掴まないと、この疑問は突破できないんじゃないか”と、本気で社会に目を向け始めました。

基本は結婚式場単位での担当制だったのですが、その式場だけ盛り上がっても意味ないなと思い、南大阪エリア全体を盛り上げようというミッションに変えました。中古車屋や不動産屋など色んなところに足を運び、南大阪エリアの活性化のため、結婚式+車+住宅 みたいなありえないパッケージプランを作ったりと奮闘しました。結果、南大阪エリアのマーケットが昨対超えとなり、狭域エリアのイノベーションということで、社内でもたくさんの賞をもらい評価していただきました。

2年目は関西エリア全域を担当し大手企業と関わることが増えたことで、資本主義下において世の中を良くしていくためには、事業作りの重要性を感じ事業再生といった分野に足を踏み入れ始めました。
担当した企業のV字回復を1年で達成し、前年に続き2年連続でMVPを頂きました。

2年目から担当していた関西本社のとある企業さんは、東京でも引き続き担当させていただき、リクルート生活通じて最も苦楽を共にしたクライアントです。こちらの思い出はたくさんあるので、またどこかでnoteを書きたいと思います。

いよいよスタート

リクルート入社時に、起業のため、2年後には東京に帰りたいという話を会社にしていたのですが、2年連続できちんと実績を残すことができたので東京への異動を希望、晴れて約束通り2年の修行期間を経て東京に戻ることになりました。
「2年で営業で1番になって帰ってくる」という宣言を「おおすごいね頑張って」という気持ちで聞いていたらしいりっちゃんからすると、本当に2年ピッタリだし、MVP獲ってるし、有言実行すぎてすごくびっくりしたみたいです。

リクルート勤務と並行しながらではありますが、東京に戻ってすぐ、りっちゃんをはじめ仲間と起業の準備を始めました。修行の甲斐あって、2年前とは比べられないスピードで進んでいきました。
この4年で感じたこと、学んだこと、見つけた大事にしたいこと。それらを軸にし、晴れて、2020年に売上0円でBuddyCompassを創業しました。

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高石、そして田井中が経験した、目の前のことに忙殺され働く日々の中で徐々に息苦しく、世界がモノクロに見えて辛くなってしまう瞬間。仕事だけに限らず、「自由と現実のギャップ」に苦しみ、自分の生き方や目の前のやるべきことに悩み、心を病んでしまう人が心を休めることができる拠り所を、BuddyCompassとして、ワクワク青春しながら創っていく。
そんな想いで、 地域や観光・宿泊、婚礼といったハレの日に携わるクライアント・パートナーの皆さまと、めいいっぱいカラフルな世界を描いていくべく、BuddyCompassは日々邁進しているのですね。

社員自らの体験から生まれたBuddyCompassの軸が、今苦しんでいる方や業界を少しずつでも変えていくきっかけになれると、私も信じています。

これからも、キャプテンの想いやブランディングや事業再生といったナレッジ、日々の活動の中での気づきなどを、本noteでお届けしていきます。宜しければフォローと、第2話もぜひ読んでくださいね✨

起業当時の葛藤はセシーズイシイさんのメディアでも掲載いただいているので、よければ見てみてくださいね^^