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不登校の内申点

不登校生徒の内申点についての記事を目にしたので、自分なりに感じたことを書いていこうと思う。


自分は中学卒業と同時に働き始め、受験の経験がなく、分からない部分もあるので、あくまで不登校経験者の視点で考えていきたいと思います。

まず、不登校経験者としても、内申点は当然通学し課題提出や学校内での活動を前向きにされている生徒が評価点が高い。進学にも有利。これは当然だと思います。

教員の方々も、学校内で活動しない生徒を評価することが困難でしょうし、フリースクールで出席日数は計上されても評価そのものは在籍校でのものになるわけですから、外部の方が評価する訳にもいかないでしょう。

何より、不登校が悪いということではないにしても、家庭、学校で問題を抱えながらでも通学を継続し、集団生活に一定度参加している生徒に不満感、不公平感を生じさせてはならないとも思います。

近年、発達障害、ADHDなどを原因として、スケジュールに沿った活動、集団活動が苦手なお子さんもいるとは思うのですが、義務教育の一般校で、個別の配慮にも限界がある。

教職員皆さんの環境改善など、職務のスマート化が進めばより一層対応ができなくなることも出てくる。不登校であっても塾、オンライン講座などで、受験に必要な学力を得ることもできるとは思うのですが、義務教育ではない高校、大学となればそもそも通学できない時点で単位が不足し進級、進学ができない。不登校枠の評価ができたとしても、通学ができなければ、通信制などを利用する現状とさして変わらない。

必要なのは、不登校となった時に当事者たる本人、親が、未来を見据えられようにサポートできるFPのような存在ではないのかなと思う。通学していれば掛かるはずの諸経費をそちらに回す形でもよいかもしれない。

不登校=進学に不利

厳しく感じるかもしれないが、当然のこと。

社会人となれば、そもそも全てが自己責任。大半の仕事は、通勤し仕事をしなければ報酬はない。仕事自体も自身で獲得しなければならない。
自分に合わせてもらえることなど稀なことで、自分が合わせないといけないことも多々ある。

先にも語ったように、自分も経験者として不登校が悪いとは思わない。

最初は【学校に行けない】

だとしても、暫くすれば、それは自身の

【学校に行かない】という一つの選択だと思う。

不登校となった間もなくは、心が病んで気力も無いかもしれない。
それでも、学校に行かないという大きな決断ができたのなら、周囲の助けは必要であっても、不登校である自分を踏まえた将来を考えることはできるはず。

教育環境の改善や、新たな評価基準、枠組も勿論成されるべきではあるけれど、不登校を踏まえた人生設計を一緒に考えてくれる存在が必要なんだと自分は思う。

大人になった今、過去を振り返り感じることや実体験。厳しいことも書きつつ、誰かのエールになれば良いなと思い書かせていただきました。纏まりのない文章かもしれませんが、ご容赦ください。


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