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自律そして自立

はい

今回は前回の続きという形で、子供に対して過保護・過干渉を行うことでどういう未来が待ってるのかについて思う所をシェアしていければと思います。

自分の子供に対して可愛さのあまり何でもかんでもやってあげる、ミスしないように先回りして大人が対応する、仮にミスをしたら子供は全く悪くなくそこに関わっている人が悪いと不満や批判を行う。

確かにその時々、その場面場面で大人が尻をぬぐう形でやると子供はある種被害というかやってくれた、何もなかった等で過ごしていくわけだが、これは本当に子どもの為なのか?

親の勝手なエゴで子供を自分の「モノ」としてみていないか?

少なくとも親と子供は身内であり家族であるが、別々の「ヒト」と考えていかないといけない。

多くの人は自分の非を認めることをしたくないので他人のせいにしてしまいがちだがそれを親の都合で子供までも一緒に悪くない。
子供の言っていることを一切の疑いもなく鵜吞みにしてそれが正しいと認識している人があまりにも多い。

そういうことを続けてしまうとその子供はどう考えるかというと、何かあれば親がやってくれる、自分で取り組まなくなる、社会で生き抜いていけなくなる等その子の3年後5年後10年後をイメージしてもらえれば容易にわかることです。

子供が死ぬまで親が面倒を見る気でいるならそれでもいいかもしれないが、原則親が先に死ぬことになるのだから果たしてどういう考えでそう子供に接しているのか気になるところではある。

子供が立派に生き抜いていくためにはあえて関わらないというのが大事になってくる。
関わるところと関わらないところのバランスというのは難しい部分がありますが、こういうのを意識してやっていかないといけない。

何か取り組んだことに関して大人が先に答えを知っていても教えない。
子ども自身に考えさせて答えを導くようにしていくことやその過程でミスをさせることも重要になってくる。

そういう風にして学習というのをしていきサポートという形の教育を行っていくことが生き抜いていく力を身に着けて皆の思う立派な人になっていくのではないかと思う。

学校というのは教育機関でありそれを今は近所だからここしかないからという理由だけで選択しているにも関わらず子供の問題に毎度関わり自分の都合の良いことにしていっているのは本当に狂っている。

自分の考えに即している学校や子供への教育を親自身が学ばず調べずで放棄しているのに近所の学校に押し付けるのは言語道断。

方法としては転校とかオンラインスクールとか海外等いくらでもあるのだが、ただ単に面倒くさいとか子供に時間やお金を使えない等というのが大きな理由、つまり自身の責任、問題なのに学校側へ何でもかんでも要求する。

学校の目的がなんだかずれてきているというので先進国の中でも劣っている結果も出ていると考えています。

また近日、この事へついてのことを自分の整理含め書いていければ思います。

では!

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