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両側乳がんラプソディ #8 家族に伝える

 職場へ戻り一呼吸ついてから、配偶者のYへラインを送る。

 “乳がんだった。全摘の可能性大”

 3分後、返信を受け取る。

 “分かりました。取りあえず気をつけて帰っておいで”

 Yは、それまで心配や先のことを口に出すことは無かった。
 それは私に対する気遣いだったのか、私と同じように予想もしていなかったのかはわからない。
 もしかすると、がんかもしれないと想像したのかもしれないが、私の不安を煽ることせず、静かに結論が出るのを待っていた。
 だからこそ、どんな気持ちでラインを受け取ったのかと思うと胸が塞ぐ。

 電動アシスト自転車で、帰宅の途につく。
 どんな顔をして帰ろうかと考えると、踏み込むペダルにも力が入らない。

 ドアを開け家に入る。
 廊下に出てきた配偶者の顔を真正面で受け止められない。

 とりあえず、病院で医師から言われたことをできる限り詳細にYに伝えた。

「全摘するなんて、ショックだよね。再建しようとは思ってるけど。」

 やはり全摘を気に病む私に、Yは強く返す。

「胸なんてなくてもいいじゃん。命が大事なんだから。」

 きっと私でも同じことを言うと思う。
 それでも簡単に取ればいいよねとは言えないところが、病巣が胸という乳がんの難しさである。

「お酒を飲むのをもっと強く注意すればよかった。食べるものにももっと気を遣えばよかった。」

 Yは結婚して20年の私の生活を振り返り、後悔している様子でつぶやく。

 私の飲酒習慣歴は長い(でも顔はすぐ赤くなる)。
 ラーメンの一人食べ歩きが趣味で、インスタントラーメンも好きである。
 ストレスやプレッシャーもそれなりに抱えている。
 だからといって、それが原因のすべてではないし、それが原因の一つであることを特定することも不可能である。
 がんになった理由を探してもしょうがない。
 ただ、本人ならば諦めもつくが、家族としては何ができたのか、何がいけなかったのかを考えて、自分を責めてしまう気持ちを捨て去るのは難しい。

 ちなみに、その日の夜は二人で外食をした。
 何を食べたいかと聞かれたので、気持ちだけでも元気を出すためにラーメンと答えた。
 ついでにビールも付けたが、心に引っかかるものがあるのか、生ビールの中ジョッキを頼んだのに半分も残してしまった。

 その日の夜以来、ラーメンの食べ歩きからは足が遠ざかった。

 Yの作る食事は、野菜と魚が中心となり、冷食を含むインスタント食品はほとんど登場しなくなった。
 白米には玄米が混ざり、外食も減った。

 翌朝、母親にもラインで伝えた。

 “乳がんだった。全摘かも。両胸ね。”

 返信が来たのは、日も暮れた頃であった。

“嘘でしょ?なんで急にそうなるのかわからないです”

“ショックだけど、気持ち大丈夫なの?それが心配です”

 私の家族(両親と妹二人)は比較的病気から遠いところで生活をしてきた。
 大きな病気やケガを誰も経験していない。
 だから、娘が乳がんを患ったことは母にとっても青天の霹靂だったに違いない。

 さらにその翌日、隣に住む母に会った。
 母も神妙な表情をしている。
 なんと声をかけて良いのかわからなかったのだろう。
 ひとしきり私から経緯を聞いた後、励ますように言った。

「親より先に死なないでね。」

 私だってそう思うよ。
 そうしたいよ。
 でもそれを言われてどうすればいいの。
 心の中で憤る。

 遠慮のない親子関係は時に残酷である。
 娘には長生きをしてほしいという母親の思いがねじれて矢となり放たれる。

 自分ががんであることを知らされることも辛いが、自分を大切に思ってくれている人に自分ががんであることを伝えることも辛い。
 そして、大切な人からがんであることを告げられることも同じように辛いのだ。 
 母の気持ちもわかるだけに、言い返すことはしなかった。

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