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ミルクティー

僕は大人になることが怖かった。大人にならなければならなかった、大人のフリをした。これからこんな日々が続くのだろうか。そういうものだと納得したふりをしていた。

大人になったんだから、そんな言い訳で最近できた駅前のカフェに入った。真新しい店内は爽やかで居心地がよさそうだ。夕ご飯どきだからだろうか、人が少ない。どこに行けばいいのか分からずきょろきょろとした僕に、お姉さんがカウンターすすめる。できれば対面になってしまうカウンターは遠慮したかったが、笑顔で促されては断れない。カフェに入ったことを早くも後悔し始めていた。飲み物にコーヒーをすすめられて、僕は2度目の後悔をした。コーヒーは生憎飲めない。小さな声で紅茶を注文する。
『砂糖とミルクは?』「…お願いします。」
ニコッと笑ったかと思えば、お姉さんはくるくると動き回り、お洒落なカップに紅茶を淹れてくれた。

紅く煌めく液体に、煙のようにひろがるミルク。
透明なままではいられない。それはほんの少し混ぜただけで一瞬で全体に広がり、先ほどまで見えていたコップの底を隠してしまう。きれいなままでいられない。彼女はいま自分がいれたミルクと、その結果をみている。目を伏せた彼女は、淡々とミルクをカップに溢す。
できることなら、ずっと子どものままでいたいとすら思う。
おもむろに彼女がスプーンを持ち、紅茶に差し入れる。ぐるりぐるりと回すと、わずかに端に残っていた透明な部分が消えて、全てが濁った。完璧で、均一で、普遍的ミルクティー。暖色の蛍光灯に照らされたあま色の液体は、悲しくなった僕がバカらしく思うほど綺麗だ。なんとなく見惚れいた僕に、彼女がこちらを向いてカップを差し出す。
『はい、どうぞ。』
顔を上げると、彼女がにっこりと笑っていた。
愛想のいい店員さんのような笑みだ。当たり前か。
僕は小さくお礼を呟き、どぎまぎしながら両手でカップを引き寄せる。なんだか高そうな、紅茶のいい香りがする。恐る恐るふちに口をつけて、ゆっくりカップを傾ける。冷たいミルクが注がれたミルクティーは少しだけぬるくなっていて、口を火傷せずにすんだ。口いっぱいに広がるあま色のそれは…、成る程甘くてあたたかくて、思わず音を立てて呑んでしまった。
「おいしい、、、です。」
漏れ出た言葉にとってつけた敬語をつける。小声だったので、注意しないと誰も聞き取れないだろうと思った。顔を上げるとお姉さんが小さいものをみるような優しい目をしていた。と思えば、注文をと手を挙げたお客の方にくるりと向かってしまった。少し安心しながら僕はまたミルクティーを飲んだ。分からないけど、なんだか日常が、少しだけどうでもいい気がした。

#創作大賞2023

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