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人生を後押ししてくれたモロッコの盟友に会いに行った時の話

自分の地元、旭川にモロッコからの国費留学生として来ていた友人、アフメッド。家族を連れて日本まではるばるやってきた。

庭で採れたトマトを見せてくれるアフメッド

アフメッドとの出会いは、コロナ禍に突入した2020年。
「英語で学ぶ、世代を超えた学び舎」を立ち上げたいと意気投合した地元の高校の先輩と立ち上げ準備をしていた中で、「良い先生がいるぞ」と先輩が連れてきてくれた。

コロナ禍でも学ぶ喜びをと、共に「英語で学ぶアフタースクール」を立ち上た。一緒に楽しみながら、英語も学ぶ場作りを作った盟友だ。

自然の中で豊かに学ぶ

モロッコでも高校の先生として英語を教えているアフメッドは、語学に堪能だ。第一言語はモロッコ内で少数民族のアマゼフ(Amazigh)語を話し、第二言語はアラビア語。第三言語のフランス語、第四言語でスペイン語、そして第五言語の英語(!)も流暢に話す。

もちろん、モロッコの人たちが皆多言語に通じている訳じゃない。主言語であるアラビア語だけ話せる人が多く、英語は基本的に通じない。

アフメッドももちろん、最初からペラペラだったわけじゃない。貧しい環境で育ったアフメッドは、最初は英語どころか他の言語も話せない状態だったが、自分で学ぶ喜びを見つけ、貪欲に学んだ(きっと自分や家族の生活を、人生を変えるため、という点もあっただろう)。

ある時は壊れかけていたラジオを拾って来て自分で修理し、ラジオが聞こえる丘の上に登り、そこで外国語を聞きながら勉強したという。日本人からすると信じられないようなストーリーだが、本当の話。

僕が「留学に行きたい」という気持ちも応援してくれ、留学に必要な英語の書類も一緒に、とても丁寧に見てくれ、応援してくれた。

僕の留学が実現できたのも、アフメッドのおかげでもある。

「日本に住みたい」という夢も話してくれ、共に実現の道を探ったりもしたが、中々外国に継続して住むのというのはどうしても難しい。アフメッド自身の留学期間が終わり、家族と一緒にモロッコに戻ったアフメッド。

僕が北欧に留学した時には、「アフメッドの住むモロッコへ遊びに行く!」とアフメッドと約束していた。そんな自分の夢がかなったのは、留学1年目が終わった2022年の夏休み。

ヨーロッパから、アフリカ大陸が見えた!

出迎えてくれたアフメッド。早速、現地の料理をご馳走になった。

羊の肉とオリーブ、卵とどでかいナン、フルーツをご馳走になった
日本でも共に過ごしたアフメッドの家族。奥さんのラティファもアフメッド同様、母語に加えてアラビア語、スペイン語、フランス語、英語がペラペラの超すごい人だ

アフメッドの家族とも再会! とっても嬉しかった〜。

家でもご馳走に。印象に残っているのは、デーツを常用フルーツとしてぱくぱく食べていることと、モロッコの一部の地域だけで取れる貴重な「アルガンオイル」(写真真ん中)をパンにつけて食べる。美味しい…

アフメッドを始め、モロッコの人たちは、とても親切。滞在中は、日本人もびっくりするようなおもてなしをして貰った。

アフメッドの話で記憶に強く残ったのは、「モロッコは日本より貧しい。でも、餓死する人はいない。なぜなら、食べ物に困っていたら、生きることに困っていたら、誰かが手を差し伸べるから」という話だ。

アフメッドの教え子さん。現地の伝統的な服を着てお迎えしてくれた。

アフメッドと一緒に市場を歩いていると、働いている教え子がアフメッドを見つけて「先生! ご馳走させてください!」とかけよってくる。 アフメッドが生徒から尊敬され、慕われていることがとても伝わってきた。

今でもFacebookでのやり取りがあるが、元気にしているようだ。

モロッコ、とても素敵な国だったなぁ。
思い返すと、感謝が湧いてきた。

アフメッド、ありがとう。また会いにいくよ。

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