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#好き025 PERFECT DAYS

シアターを出たあと、見える世界が変わった。

平山の日常の生活が淡々と描写される。その暮らしぶりは楽には見えず、質素で単調である。客観的に見ると、社会から孤立し、経済的にも精神的にも豊かには見えない。Perfect Daysなどとは、ほど遠く感じる。

しかし、その平山の日常を繰り返し観察をすると、暮らしの中には様々なルーティンがあり、平山がそれを大切にしている様子がうかがえる。そして平山は、その日常の中に小さな喜びを見いだし、質素ながら平穏な暮らしをしていることがわかる。他人と比較をしなければ、平山の生活は案外豊かなものにさえ感じてくる。

さらに平山を観察する。繰り返しのような日々でも、一日として同じ日は無く、小さな変化や出来事が日々訪れる。そして平山と、平山に接する周り人の言動から、平山の暮らしをより深く想像する。すると、平山の日常が、はかなく尊いものだと感じ始める。そして自分も「こんなふうに生きていけたなら」と思い始める。それと同時に、Perfect Daysとは何なのかを考えさせられる。

そんな映画だった。
偏見まみれの感想をいわせてもらうと、多くの成人の日本人は、開始20分でこの平山の暮らしぶりに、尊さと豊かさを感じたのではないかと思う。一方で、若い人または文化的な価値観が異なる人たちは、平山をより観察することで、そのような価値観の存在を少しずつ感じたのではないかと思う。
そこには、禅や、花鳥風月や、詫び錆びや、謙虚さなどの日本文化の美意識が、都会の喧騒の中で慎ましく暮らす平山の日常に織り込まれている。ドイツ人の監督により作られた作品のためか、そのような価値観になじみのない人に向けて作られているためか、その主張はいささか強めではある。

そんな訳で、個人的にはドラマチックが過ぎたかな、と思わないでもない。
この作品は、はじめの1時間の部分が2回、何ならはじめの30分の部分が4回繰り返されていたとしても、十二分にその魅力が楽しめたんじゃないかと思っている。ドラマチックなことなど起きなくとも、時計の針のように規則正しい生活を繰り返したとしても、そこには木漏れ日のようなゆらぎがあり、1日として同じ日はなく、今日という日を積み重ねることで、私たちはPERFECTと思える日々を育むことができるのではないか、と思わせてくれる。まるでケチを付けってしまったようだが、それを可能にしているのは、映像や演出や演技や音楽によるものであり、この作品が最高であることに変わりはない。

それと、ほんの些細なことではあるが、一つ物申したいことがある。
役所広司のことはKAMIKAZE TAXIのころから大好きなのだが、孤狼の血すばらしき世界など、堅気ではない役を演じることも多く、今作でも、もしかしたらそのイメージが垣間見えてしまうのではないか、と小さな不安を抱いていた。ところがだ、実際に作品を見終わってみると、そんな違和感は微塵も感じることなく、あらためすごい役者だと思った。
そんなことを考えながら、Lou Reed のPerfect Dayの素晴らしいピアノソナタとともに、最高の余韻に浸りながらエンドロールを眺めていた、その時である。スクロールされてゆくスポンサー企業の一覧の中にDaiwa Houseの表示が目につく。せっかく余韻に浸っていたのに、一瞬あいつ(ダイワマン)が脳裏によぎる。あえていうなれば、それが残念だったと思う。それを除けば、10段階中10の映画である。


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