それはCさんについての噂でした。Cさんと私はあまり話したことはなかったけれど、快活そうな子だという印象がありました。やはりBさんと同じクラスでした。 <4>CさんがCさんのお母さんに「わたし、もうBさんの言うこときくのイヤや。そやけどBさんが怖いんよ」と言った、らしい。 お母さんは「辛抱しなさい。仲言さんみたいに、何を言われても何をされても平然としてなさい。仲言さんは偉い。あんたも見習いなさい」と答えた、らしい。 ちがう。 この噂を聞いたのは、例によってうちの母
ずっと読んでくださったみなさまの中には、こう考えられたかたもいらっしゃるかもしれません。 「Bさんにこれほどのことをさせるぐらい憎悪をかきたてたのだ。まわり子たちも誰ひとり味方にならないし、かえって便乗するほどだし、むしろ仲言のほうに非が、原因があったのではないか?」 当然です。 私自身もそう考えずにいられなかったのだから。 正直なところ、私ほどそのことについて長く深く考えた人間はこの世にいない、と言っても過言ではありません。 「どうしてこんなに目にあわなきゃなら
大きな黒いビーズに心惹かれました。地味にならないように…としたら何だか重くゴツい感じになりました。秋冬向けかもしれません。
いっそ、続きを書くのはもうやめにしようかと、さえ考えました。 書き始めたころに想像したよりも、ずっと骨が折れる作業だと痛感しました。記憶の底をガリゴリ掘り下げていって、できたゴロゴロの小山をごちゃごちゃあさって仕分けするのは、この老いた身をかなり消耗させるものです。それら大小形さまざまな石ころの中には、綺麗にきらきら輝いて「ああ。まだ手ばなしてなかったんやな。よかった」というものもあります。しかし素手で触れるのもためらうような、鋭いトゲトゲのものもドロドロのヘドロがこびり
『すてきにハンドメイド(2013)5月号』を参考にしました。
ここで、私が今Bさんのことを『ザネリ』と呼ぶようになった決定的な事件をしたためます。 その時はただ似たようないじめっ子だと思っただけで、こんなふうに比較して分析めいたことをするようになったのはずっと後、大人になってからでしたけれど。 『銀河鉄道の夜』を初めて読んだのはいつだったか?Bさんとのことがあった以前なのか以後なのかも憶えていませんが、それはもともとうちにあった古い文庫本でした。おそらく父が学生のころ買ったもので、カバーはなくなって、ページは色あせて何ヶ所も剝がれ
大粒のジェイドと紺の丸小ビーズとクリアなソロバンビーズで、シンプルなペンダントネックレスを作りました。これからの季節にいいかもしれませんが、首がチクチクしがちなので、ハイネックの上に着けようかと思います。
①理由があること ②正義があること ③さらに①と②を強固なものにするために敵の言動を見逃さないこと ④わが身を守れるものを必ず調達しておくこと ⑤仲間を増やすこと 今回もこれらをあげておきます。 「目え(方言で目をめえと発音します)赤い」 女の子の声が耳に蘇ります。つい最近聴いたように。 「…でも、あの子の声はほんまにこんなやったかなあ?」 わかりません。私はこのごろやはり寄る年波には勝てず、物忘れがひどいのだから。 そう。この間テレサ・テンを思い出せなかったの
大昔のスカートで小さなトートバッグを作りました。
①理由があること ②正義があること ③さらに①と②を強固なものにするために敵の言動を見逃さないこと ④わが身を守れるものを必ず調達しておくこと ⑤仲間を増やすこと こう列挙してみると、なんだかどこか冒険の旅のRPGのようで楽し気な感じさえしますが…。これらは何か?というと、いじめる側の法則というか、論理というか…ほとんど信仰に近いのではないかと私は考えています。まるで神聖な戒律であるかのように忠実に従い、もしも自分立場が危うくなりかけても、時としてぎりぎりまで…最
セールのはぎれで小物を作ることがあります。 ぺらぺらした感じになりましたが、これからの季節にはいいかもしれません。 作り方は『NHK すてきにハンドメイド(2013)4月号』を参考にしました。
高校2年のころ。季節は憶えていません。でも、爽やかな早朝だった、ような気がします。 私は日課の犬の散歩に出かけました。 3代目ペペ(うちの犬は代々ペペと名付けられました。オスでもメスでも。母が頑として譲らなかったのです)と田んぼの畔をとてとてと歩いていたら、丁字路が見えてきました。いつものコースでした。 私たちから見て左側から自転車の二人乗りがやって来ました。 チリチリのパーマで膨らませた前髪をニワトリのトサカのように逆立てたリーゼントの、青年がママチャリを漕いでい
スパイラルあみというのだそうです。レシピは『はじめてのビーズ・レッスン(主婦の友社)』からです。
<暴力の描写があります> 小学校、多分4年生の時のバス遠足で起こったことから、始めようと思います。 もうなにぶん昔のことなので、記憶からがさっと抜け落ちてるところも、ところどころあるようです。そもそも、どこに行ったかさえも忘れています。担任の先生も、途中から代わった産休の臨時教員のかただったか、どうだったかも。 それでも、今でもこの目にかなり鮮明に残ってることがあります。 帰りのバスの中でのことでした。私は後ろの方の席に座っていました。 すぐ前にいたA君(仮