私のザネリ<3>

①理由があること
②正義があること
③さらに①と②を強固なものにするために敵の言動を見逃さないこと
④わが身を守れるものを必ず調達しておくこと
⑤仲間を増やすこと
 今回もこれらをあげておきます。

 「目え(方言で目をめえと発音します)赤い」
 女の子の声が耳に蘇ります。つい最近聴いたように。
 「…でも、あの子の声はほんまにこんなやったかなあ?」
 わかりません。私はこのごろやはり寄る年波には勝てず、物忘れがひどいのだから。
 そう。この間テレサ・テンを思い出せなかったのです。
 「あーっ。誰やったかなあ?あの台湾出身の歌手。あの、小柄で色白で丸顔でおかっぱの。あーっ。誰やった?」
 気になり始めると落ち着かず、なんとか自力で思い出そうと、そうとう粘っても無理で、結局スマホで検索しました。なんだか負けたような気分で。
 「…そう。そうそう。テレサ・テンやん。なんで忘れんの?アジアの歌姫を。…そういえば『時の流れに身をまかせ』ってうろおぼえやけど歌えるのに。『つぐない』も。なんで名前が出てけえへんの?…」
 老いとはこんなものです。
 だから、半世紀近く前の記憶など当てになるはずもないのでしょうに。

 小学校3年生の時でした。
 授業中に誰かが言いました。
 「仲言さん(私のことです)。目え赤い」
 Bさんでした。甲高い澄んだ声は教室に良く響いた、ような気がします。
 「目え赤い。真っ赤や。まっかっかや」
 そうかもしれないと思いました。またかと。私はアレルギーのせいで目が充血しやすかったので。でもこんなふうにみんなにいいふらさなくてもいいのに。…①です。
 すると、思いもかけないことをBさんは言い出しました。
 「もしかして結膜炎とちがう?そうや。結膜炎や。絶対結膜炎やわ」
 …なんか強引ではないですか?そもそも、眼科医でもないのにどうして断言できるのでしょう?
 「結膜炎や。伝染る。伝染る!」
 もし結膜炎だったとしても、そんなにも伝染性の高いものでしょうか?Bさんは誰かのせいでひどい結膜炎に罹患したことでもあったのでしょうか?
 「仲言さんに触ったらあかん!近づいたらあかん!伝染されるわ!」
 私はおそろしい、きしょい『病原菌』そのものになったようです。
 「汚い手えで目えいじくったんや」
 私は『不潔でがさつでだらしない子』になったようです。…ここまで②です。
 ようやく先生が制止して、Bさんは黙りました。
 けれど、授業が終わって休み時間になると「結膜炎や!伝染る!」が始まりました。もう、とうに病気がどうこうではなく、ふざけてるのでもなく、ただひたすら私を貶めたいのだろうとわかっていました。私だけではなく、きっとみんなにも。
 「どんくさい」とか「ブ〇」とか「デ〇」とか、からかわれたことはありましたが、これほどの攻撃は…容赦ない理詰め(超屁理屈)の、逃げ場がどこにもなくなるような…初めてでした。
 何よりも、この時のBさんの気迫というか剣幕というか…。誰もに口を挟ませづらい雰囲気があったような記憶があります。
 とはいえ、いつ終わるのかもしれません。もう私はこらえきれなくなり「これはアレルギーやから…」大丈夫だと説明しようとしましたが…。
 やっぱりBさんは「そんなん聞いたことないわ」と取り合ってもくれなかったのです。現在は国民病のようになっている様々なアレルギーも、昭和50年代は確かに少なかったのでしょうが…。
 あげく「そんなんうそや。うそつき。うそつき!」
 『仲言さんの悪い子要素』に『信用できない子』が付け加えられました。…③です。
 『どんなに責められても仕方ない子』になってしまう恐怖。想像していただけるでしょうか。
 「ちがう!やめて!」
 私は叫びました。きっと泣きそうなった…泣いてしまったかもしれません。
 誰もかばってくれる子はいてくれなかったようですが、さすがに気性の激しいBさんもまわりの目が多少は気になったのか、こう言いました。
 「なんで?心配してるんやん」…④です。
 …うそつき。そんな底意地の悪そうな、うきうきした,勝ち誇ったような…まさに、鬼の首を取ったような顔をして、何言うてんの?。
 本当に心配してくれるのなら「大丈夫?」とか「痛くない?」とか「保健室へ行く?」とか「目医者さんへ行ったほうがええんとちがう」とか言うものでしょう。優しい声音とまなざしで。実際、後でそういたわってくれた子たちはいましたから。Bさんのいないところで。
 ですが、そんな優しい子たちも他の子たちも、強い印象を抱いたことでしょう。
 Bさんはこういう子だ。仲言さんはああいう子だ。と。
 その影響は長く続きました。

 それからのことはよく憶えていません。なにぶん大昔のことなので。
 目医者さんへ行ったかどうかも。アレルギーの治療は耳鼻咽喉科でやってもらっていたし、行かなかったのかもしれません。結膜炎だったとしてもたいしたことなかったのでしょう。…もともとどうでもいいのですから。Bさんにとっては特に。

 ただ確かなのは、この時点である『準備』が進められていたということです。
 『私のザネリ<2>』で、これら五つのルールを守るゲームの世界ではいじめを正当化できる、と思ういじめ加害者は…ほとんど自己欺瞞、もしくは自己催眠状態ではないか述べました。
 これは五つのことはルール以前に、ゲームの世界を構築する大事な要素でもあるのでしょう。なにかしらのアイテムをいくつか探して集めたら異世界への扉が開く、みたいなものかもしれません。その世界ではいじめっ子のおもいのままです。王のように女王のようにだってなれるでしょう。…でも『勇者』のほうがいい。『仲間たち』(取り巻き)のリーダーになって凶悪な『モンスター』(私のこと)を退治できるから。存分に剣を振り回せる…。という世界が完成しつつあったのです。着々と。

 それにしても、Bさんも『銀河鉄道の夜』ザネリも私の知ってるいじめっ子たちも、どうしてそんな世界を求めずにいられないのでしょうね。
 そんなにほんとうの世界…現実や日常が嫌なのでしょうか?
 どこかの偉い学者さんたちは、そんな子たちの行動や心理を分析して解説した論文をたくさん著しておられるのでしょう。
 Bさんは恵まれているように見えました。可愛くて、活発で、勉強も運動もできて、友だちとうまくいって…。うちも裕福だったようです。いつもおしゃれな服を着ていました。グランドピアノがあると聞いたことがあります。…親しくない同級生から見た表面的なことばかりですが。
 ザネリのことはほとんど描かれていません。宮沢賢治はあえてそうしたのかもしれません。読者にあれこれ想像させるために。「らっこの上着が来るよ」がこの少年そのもののような感じがします。

 何はともあれ、わくわくする異世界もいじめられっ子にとっては過酷な現実になります。辛い目にあうのが日常なのです。

 ⑤についてはここでは触れません。
 次回『私のザネリ<4>』で詳しく書こうと思います。
 『モンスター』が完膚なきまで叩きのめされるでしょう。
 
 

 

 


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