私のザネリ<5>

 いっそ、続きを書くのはもうやめにしようかと、さえ考えました。
 書き始めたころに想像したよりも、ずっと骨が折れる作業だと痛感しました。記憶の底をガリゴリ掘り下げていって、できたゴロゴロの小山をごちゃごちゃあさって仕分けするのは、この老いた身をかなり消耗させるものです。それら大小形さまざまな石ころの中には、綺麗にきらきら輝いて「ああ。まだ手ばなしてなかったんやな。よかった」というものもあります。しかし素手で触れるのもためらうような、鋭いトゲトゲのものもドロドロのヘドロがこびりついたものもあるのです。
 かといって、始めたものはいちおう決着させないと…。だからなるべく簡潔に述べようと思います。

 間が持たない。
 この言葉に尽きます。
 教室で、学校でひとりでいると、間が持たなくて、どうにもこうにもいたたまれません。
 授業中はまだいいのです。むしろ近くの席の子とお喋りしないのは良しとされます。
 しかし、授業以外の時間というものは、学校生活の中で存外かなりの割合があるものなのです。
 休み時間。給食。掃除。先生が何かの用事でなかなか教室に来ないぽっかり空いた時間…。
 通常ならまだいいのです。行事の日は最悪です。遠足。運動会。球技大会。写生大会。工場見学…。なんで小学校ってこんなにイベントが多いんでしょう。
 私だけひとり。みんなは楽しそうなのに。すぐ近くにいるのに、すごく遠い。
 身の置き所がない。手をどう下ろせばいいのか、足がこの地をこう踏んでいいのかも、不確かな感じがして…。
 私はここにいちゃいけない。ここにいてごめんなさい。
 自分がまるで白いシャツに飛んでしまったインクの染みように感じて…。
 でも、ここにいるしかない。
 だから、ただ時間が速く過ぎ去ってくれるのを願って…。
 まさしく針の筵。ごく軽いほうかもしれませんが拷問を受けていたようなものです。十歳の子が。

 おおげさだとおっしゃるかたもいらっしゃるかもしれません。
 でも、かつてこんな報道がされたのを憶えておられるでしょうか?
 企業が人員削減を余儀なくされる。しかしながら諸事情で表立ったリストラははばかれる。それで対象と定められた人を自ら退職するよう仕向けるのに…仲間はずれにするのです。同じ職場の人たちが口もきいてあげない。仕事も与えない。そこにいてもいないものとして扱う。暴言や暴力は隠れて…。規模は違えどやってることは基本的に小学生と大差ないでしょう。
 ただ、壮年の男性でも耐えられないのです。家族を養わないといけない人であっても。必死で持ちこたえたとしても、心身を病むのも無理もないぐらい過酷なのはきっと確かでしょう。

 そんな私でも存在を認められる時がありました。
 いたぶられる時です。
 だんだん思い出してきたのですが,Bさんの配下としてその命令を守らさせれていたのは皆女子で、男子はほとんどいなかったようです。
 男子はおそらく「なんか知らんけど仲言はやらかしてどえらい強そうなBに嫌われたらしい」という程度。もしくは「なんか知らんけどハミゴ(方言で今の言葉でいうボッチ)になってる」という感覚だったのかもしれません。
 問題は「なんか知らんけど弱ってるやつ」を放っておいてくれないことでした。見逃してくれないのです。
 「こういうやつはこんなふうに扱ってもかまわない。いや。こうしなければならない」となぜか考える男子がしばしばいるのはどうしてでしょう?やはり勇者としてのつとめだと思い込んでるのでしょうか?
 別の記事に殴られたことを書きました。あれは子供時代にうけた暴力のなかでも一、二を争うほどひどいものでした。それと同様に一、二を争うほどの暴言もまたあったのです。
 「なんでえ、いつもひとりでいてんの?寂しないの?」
 この言葉のとおりに、純粋に私を気づかってるのでも疑問に思ってるのでも、もちろんありません。純粋をよそおうとして失敗していました。その男子はニタニタ笑って目がギラギラしていたから。絶句してうろたえる私の様子を、ジロジロ観察して嬉しさを隠せなかったのです。
 …あれから四十数年過ぎても、この言葉は私にとっては一番のパワーワードです。私の「らっこの上着が来るよ」と言ってもかまわないでしょう。
 今でもその子を思い出すこともありますが…。その時じゃなくて現在のその人のことを。その五十数年の人生の中で、なすすべもない孤独な境遇に陥ったことはただの一度もないのだろうか?と。そしてそれを揶揄されたことは?…。私が考えてもしょうがない、考えるべきことではないのですけれど。

 仲間はずれからも、なぶられるのからも逃れるために行ったのは図書室でした。図書室という場所があって本当に良かったと思います。給食を口に押し込んだら、走って行きました。あの空間が心底ありがたかったのです。本を読めたこともですが、寂しいままでも息ができました。周りの目を気にせずに。
 図書室がなかったら、私という存在はつぶされて砕けていたかもしれません。でも、まあそうとうにねじくれてゆがんでしまったのも、しょうがないのでしょう。お察しの良いみなさまはとうにお気づきのことと思います。

 その後のBさんと私については『私のザネリ<6>』で綴ります。
 
 
 
 
 


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