うしろあたまの思い出

 <暴力の描写があります>
 
 小学校、多分4年生の時のバス遠足で起こったことから、始めようと思います。
 もうなにぶん昔のことなので、記憶からがさっと抜け落ちてるところも、ところどころあるようです。そもそも、どこに行ったかさえも忘れています。担任の先生も、途中から代わった産休の臨時教員のかただったか、どうだったかも。
 それでも、今でもこの目にかなり鮮明に残ってることがあります。

 帰りのバスの中でのことでした。私は後ろの方の席に座っていました。
 すぐ前にいたA君(仮名)が振り返って、ちょっかいをかけてきたのです。私の容姿のことをけなすようなことを言ってきました。まあ、こんなことはほぼ毎日のようにありました。A君に限らず誰かしらから。
 私はやめてほしいと言ったのですが、きいてくれません。これもいつものことでした。A君はかえってますます勢いづいてひどいことをはやしたてました。私もいちいち言い返して…。言い争いになりました。よくあることでした。そこまでは。
 私がなかなか折れなかったせいか、いきりたったA君が手を出してきました。そんなことも珍しくはなかったのですが…その力がそれまでになかったものだったのです。
 ガッ!…と凄まじい衝撃があって、あっと思う間もなくゴッ!…ともっと激しい衝撃が…。
 A君は拳を私の頭と顔に叩きつけたのです。身体が大きくて体育の授業ではスターの、おそらくほぼ手加減のない力だったでしょう。
 瞬く間に頭蓋骨と頬骨が、火がついたようになりました。
 ここまで酷い暴力をうけたのは生まれて初めてでした。
 ひっぱたかれたり蹴とばされたりは、いつものことでした。
 だけどそれらは「痛めつけたい」というよりも「からかいたい」「馬鹿にしたい」というものだった、と思い知らされました。
 息がつまりました。涙があふれて、ダーっとッ流れてとまらなくなりました。
 そんな私の様子に満足したのか、A君は前に向きなおったのです。
 その後ろ姿は「もうこのぐらいにしといてやる。つべこべいうな」と言ってるようで…。A君の坊主頭と日に焼けた首筋を見てたらブワーっと怒りが吹き出してきて、抑えられなくなったのです。どうしても。
 その背中をボン、ボンと叩きました。ひっくひっくしゃくりあげながらも。
 振り向いたA君は激昂して、ガキッ!ゴキッ!と…。
 「なぜおまえはこんな悪いことをするんだ⁉」と言ってるような目で、私をにらみつけていました。
 私は床にしゃがみ込んでしまいました。
 でも、N君がまた背中向けるとどうしても堪えられず…私ボンボン…A君ガキ!ゴキ!…ボンボン…ガキ!ゴキ!…が繰り返されたのです。
 私にとっては長い間でした。永遠に続くかと思えるほど。
 「どうしてやり返すのか?」と皆さんは思われることでしょう。
 「やり返さなければ、少しの間辛抱すればここまでひどい目にあわないだろうに」と。
 本当にそうです。痛いし、辛いし、怖いし、恥ずかしいし、絶対に勝てないし、こっちも…運が悪けれけばこっちが悪いことにされるし…。
 わかっていました。いいことなどひとつもない。むしろますます事態は悪化するばかり…だけど私はそうせずにいられなかったのです。どうしても。
 …それからのことはあまり憶えていません。
 ことはおさまったのでしょう。私が力尽きたか、A君があきたかして。
 バスは学校に着いて、解散したのでしょう。
 家に帰って、母がこぶのできた頭とはれあがった顔を冷やしてくれたようです。
 でも、親は学校にもA君のおうちにも、何かを訴えかけるようとはしなかったでしょう。
 うちの親はずっとそうでしたから。

 ここまで書いてきて、皆さんは、表題の『うしろあたま』とはA君の後頭部のことだと思われたでしょう。実はちがうのです。
 次の日、だったか数日後だったか、私は担任の女性の先生に呼び出されて訊かれました。誰かが喋ったのでしょう。私はことのあらましを、その今では顔もすっかり忘れてしまった先生に伝えました。ちゃんと伝えたられたかもわかりません。でも、その先生が「その時X先生はどうなさったの?」と尋ねた時、表情を曇らせたのはなぜかよく憶えています。
 私は「なにも」と答えました。他に答えようがなかったから。

 「引率の教師はいたのか?いたのなら、なぜ止めなかったのか?」と、途中で思われたかたも多いことでしょう。
 いらっしゃいました。何か事情があったようで担任の先生ではなく、知らない中年の男性の先生でした。私たちのすぐ近く、前に一つ隔てた補助席に座っておられました。このかたは止めるどころか立ち上がりもせず…こちらを振り向くことさえしなかったのです。一度として。
 ですから、「うしろあたま」とはこのX先生ので…名前も忘れてしまったのに、強烈な印象が残って…七三分けをテカテカに固めた、ちょっと薄くなって地肌がすけた後頭部と、ポマードがついたのかぬらぬら光る黄土色の首が、いまだに目に焼きついているほどなのです。A君のよりもあざやかに。
 私は止めて欲しかった。切実にそう願ってた。痛い苦しい時間をすぐに…みじめに屈伏させられる前に…終わらせてもらいたかった。でなければ、せめてこっちを見て欲しかった。『私』がいる、こうしていると存在を認めて欲しかった…。
 子どものわがままだとわかっています。…でも。
 でも、止めませんか?普通?
 教師の仕事の範疇ではありませんか?面倒でも、厄介でも。
 なぜX先生が止めなかったか、いろいろ考えました。
 「子どもたちのもめごとは子どもたちだけで解決させるべきだ。それで不当な状況に置かれやりきれない思いをする子がいても、我慢をおぼえるのはかえって将来その子のためになるのだ」という、当時かなり支持を得ていた謎理論でしょうか?
 しかし、一度も確認もしないというのは…。
 気づかなかったというのは、まずありえません。
 そうとうの騒ぎになったはずです。騒いでいたのはA君と私だけではなかったから。興奮してわめく男子がいました。A君のとりまきでした。「やめてよ」と言ってくれた女子もいました。ちらちらと前の席の子たちが振り返っていました。ある子は興味津々。ある子はこわごわと…。最前列の、運転手さんのすぐ後ろの子も。
 もしも、あなたが公共の乗り物に…路線バスでも電車でも…乗っていて、子どもたちが騒ぐけたたましい声が聞こえてきたら、つい見てしまいませんか?おやっと。好奇心というほどでなくとも。
 ひょっとしたら、居眠りしてた?そうだったら熟睡、いや爆睡でしょう。勤務時間中に?子どもはよく乗り物酔いで具合が悪くなるのに…。
 わからない。確かめようがない。確かめられたとしても…どうしようもない。実際A君と私のこともなかったことになったようですし。

 これだけのことだったら、私はX先生のことをさほど記憶していないかもしれません。ある出来事がありました。
 数週間後ぐらいだったか、私は校舎の廊下を歩いていました。たまたまひとりで、他に人影もなかったのです。
 向こうからX先生が来ました。私は何も考えずに横を通り過ぎようとしました。
 するとバアンっと音がしてはねとばされそうになったのです。
 ぶつかるはずはありません。二人の間には十分な距離がありました。
  あっという間に、X先生は行ってしまいました。あの後頭部を見せて。薄暗い廊下でも、やはりテカテカでした。
 音の大きさほどは痛くなかったのですが、突然のことで何が起こったかわからなかったのでしばらく固まってしまいました。
 何が起こったかわかったら、ゾッとしました。心底から。
 すれ違いざまに、X先生は私の肩…胸の近くを手のひらで張りとばしたのです。
 なぜ?どうして?
 仕返し?バスで問題を起こしたから?担任に告げ口したから?
 わからない。でも、いや、だからこそ不気味でした。
 かいま見えたX先生の顔からは、特にこれといった感情を読み取れなくて…失礼ですが「魚みたい…」と思ってしまいました。どこを見ているのか、何をうつしているのかよくわからない目をされていました。
 X先生はずっと無言でした。私はこの人の声を聞いたことがない、と気づきました。授業をうけたことがないので、おかしくはないのでしょうが、先生どうしはけっこうお喋りなさるものです。連絡事項でも雑談でも。そんな様子も見たことがない。
 そもそも、いったいどういう先生だったんでしょう?どこの担任も受け持っていなかったし。当時は教科ごとに教える先生がかわるということもあまりなくて、せいぜい高学年になって音楽の先生が別になるぐらいなものでした。もちろん校長でも教頭でもなかったのです。
 私はむしょうに怖くなって…その後も廊下を歩く時はきょろきょろと確認して、X先生がいなくてほっとするほどでした。
 中学生になって、あれは性的なものでもあったのかもしれないと、思いいたりました。そうであってもなくても、気味の悪い感じは否めないのです。

 X先生は学期の途中でやめられたような気がします。いつのまにか見かけなくなったような。
 私が想像するような人となりでは、ないのかもしれません。
 いわゆる『パートの先生』で、先生のどなたか都合の悪い時にだけ学校に来て代理をしたのではないか?バスの中も、本来の自分の仕事ではなく、どれだけの権限があるのか、判断しかねたとか?単に契約が終わったから学校に来なくなった?ひっぱたいたのは…冗談?
 X先生はありふれた、いやむしろ善良なかたで、巡り合わせが良くなかっただけなのだろうと、考えることもあります。
 でも、あのうしろあたまは忘れられない。
 


 
 
 
 


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