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入国して一時間で「もう帰りたい」と思った国ほど好きになる

こんな国、来なければ良かったな。

そう思ったことが二回ある。

空港で軽くアルコールを入れて、ちょっとふわふわしながら長い時間飛行機に揺らされて、ようやく辿り着いた「前から行きたかった場所」。

入国審査を終えて、空港を出て、一時間もしないうちに。

ああ、帰りたいな……もう。そう思ってしまった国。

その一つが中欧にあるチェコ共和国だった。

正直言ってチェコにはめちゃくちゃ憧れがあった。
写真で見るプラハの街並みは「まだ現代にこんな風景が残ってるのか」って思うぐらい美しくて、もう本当にそれだけを目的にして行きたいってなって実際にチケット取っちゃうぐらいウキウキだった。

多少不安はあった。もちろんあった。初めて行く非英語圏の国だったし、ヨーロッパ自体も行ったことがなかった。

トランジットってのもやったことないし、今思うとちゃんと事前に調べて行ったのだろうかって改めて心配になるぐらい不安要素だらけだった。

でもチェコに行きたかった。あの風景が見たかった。

そういう決意を持って羽田から飛び立った私は特に問題なくフランスのシャルル・ド・ゴール空港でのトランジットを終えると、数時間でチェコの首都プラハに到着した。

ドゴール空港

ちょっと夜遅い時間だったけど、あとはホテルにチェックインするだけ。明日からガンガン市内観光していくぞ! そういう気持ちだった。

そんな高揚感はすぐに消え失せた。

入国審査を終えて、私は荷物の受け取りのために暢気にベルトコンベアを眺めていた。早く出てこないかな。もうだいぶ暗くなってきたし、早くホテルに行きたいな。そんなことを思っていた。

グルグルグルグルとターンテーブルの上をスーツケースが流れて行く。

集まった人々はそれぞれ荷物を受け取って、楽しそうに空港の外に出ていく。一周目、二周目、三周目。だんだんと少なくなってくる荷物と人の数。

ずーっと見ていると、「あ、この赤いのはさっきも流れてたな」「あ、これもだ」ってわかってくる。そのうち、見慣れない荷物が流れてこなくなってくる。

さすがに嫌な予感がした。気づくと周りに残っていたのは自分を含めて数人だけだった。

空港のスタッフがターンテーブルの方にやってきて、私達のほうに目を向けた。国籍も文化も違う私達だったけど、その意味はみんな何となくわかった。

「もうないよ」

マジか。

その時、私の頭の中を舌を出した犬の顔がよぎった。たぶんHUNTER×HUNTERの単行本だったと思うけど、冨樫先生がエジプトに旅行したときに荷物がなくなってすごい困ったみたいなマンガが載っていたのだ。

そう、確か冨樫先生もロストバゲージして……すげえ困ったんだ。

荷物がなくなって……すごい困ってた。

困ってて……それでどうしたんだっけ?

しばらく考えたけど、結局「困ってた」以上の情報がまったく出てこなかったので、覚悟を決めて空港の人にどうすれば良いか訊くしかなかった。

周りの人の動きをうかがっていると、どうもみんな隅っこにある窓口みたいなところに向かって行くらしかった。私もこそこそとその後ろに着いていって、つたない英語で職員に窮状を訴えた。

当たり前のことだけど、こんなことは日常茶飯事なんだろう。スタッフは慣れた様子で荷物のサイズや色なんかを確認した後、「見つかったらホテルに連絡するから」みたいなことを言って、申し訳なさそうに小さな黒いバッグを渡してきた。

それには一夜を越せる程度の消耗品が入っていて、確か歯ブラシセットとか綿棒とかティッシュが入っていただけだったと思う。

その時の私の所持品は、その黒いバッグと機内手荷物の肩掛けバッグ。中にはホテルのバウチャーと……カード類と最低限の日本円と地球の歩き方。

今にして思えば「まあなんとかなるんじゃね」という感じの持ち物だけど、当時、私はそこまで冷静な判断力を持っていなかった。精神面に追い打ちをかけたのはスマホのバッテリーで、もう既に残量は15パーセントを切っていた。

ホテルの場所は全部スマホの中の地図アプリに記録してあったから、バッテリーが切れたらホテルにたどり着けない可能性があった。(これも今にして思えばバウチャーに住所書いてるんだからどうにかなるだろうって気はする)

モバイルバッテリーも充電ケーブル類も変換プラグも全部預けた荷物の中。

ああ、死んだな。これはもう悲惨な結末しか待ち受けてないな。

本気でそう思った。

そんなわけで、私の手元には初日のプラハの写真は一枚もない。撮影に使用できるバッテリーがなかったからだ。

なので頼りになるのは記憶だけだけど、もう精神的に余裕がなかったので、もうどこをどうやってホテルに向かったのかという記憶が曖昧になっている。

空港から出てバスに乗った。入国してからホテルに向かうまでの交通手段ってだいたい鮮明に覚えてることが多いんだけど、この時はどうやってバスに乗ったのか全然覚えてない。確か、時間的に最後のバスだったと思う。もう少し時間が経ってたら空港に置き去りになっていたかもしれないと思いながら、暗い顔で座っていたと思う。(タクシー使え)

バスはプラハ本駅(Praha hlavní nádraží)が終点だったけど、私は降り損ねた。アナウンスがチェコ語だったから、これが終点かどうかわからなかったんだ。(周り見ろ)

バスの中の照明が暗くなって「あ、これはヤバいな」とさすがに気づいて、運転手のおっちゃんに謝って下ろしてもらった。運転手のおっちゃんは「あ、まだいたのか」みたいなちょっと気まずそうな笑顔を浮かべて下ろしてくれた。

数少ない知ってるチェコ語である「Děkuji Děkuji」って言って、おっちゃんと別れた私は、そこからホテルの近くにある「プラハ城」を目的地にして、たぶんカレル橋の方に向かった。ここももうどうやっていったのか覚えてない。歩いて行ったのか、それとも地下鉄を使ったのか。

バスのトラウマがあったから「地下鉄で変なところに連れて行かれるとヤバい」と思って敢えて徒歩を選んでいる気がする。うん、たぶん徒歩だったな。たぶん。

気持ちは色々なことがあってもうだいぶ暗かった。地図を見ながら、がんばってプラハ城に向かった。プラハ城は観光名所なんだから近くに行けば「Prague Castle」とかなんとか看板に書いてあるだろうと思って、テクテク歩いてたんだけど、街には英語なんて全然見当たらない。読み方もわからない文字すらある。Pražský hrad、Karlův most、Staroměstská……。

何ひとつ、わからない。

こんなところで、一週間生きていけるんだろうか。

もうすっかり遅い時間だったが、ヨーロッパ特有の微妙に明るい空も当時は不気味に感じられた。

道沿いのバーで大きな歓声が上がる。サッカーのナショナルチームの試合かなにかを観戦しているようだった。

人々の明るく楽しそうな声を聞いていると、更に気分が落ち込んできた。

もう帰りたい。来なきゃ良かった。

予定通りに行っていれば、もうチェックインしてどこかで夕食を食べて、ゆっくりとチェコの夜を楽しんでいるはずだった。でも、実際は夕食なんて食べられるような気分じゃなかった。チェックインしたら、バッグの中に入れておいたクリーム玄米ブランを食べて……それで終わりでいいだろう。

Red Lion Hotel。それが私の目指していた宿泊地だった。迷いながらフラフラと地図に示された場所に向かう。

相当に長い時間歩き続けて、橋(どの橋か覚えてない)を渡ってようやく見つけたそこはどう見てもただのレストランだった。

「チェックインしたいんですが」

そう言うと、お店の人は「ああ」みたいな顔をして、「ここじゃなくて、もっとあっちの方だよ」というように地図と全然違う方角を指差す。

頭の中にハテナを浮かべながら、私は坂を上っていったが、Red Lionなんてホテルはどこにもない。混乱して結局また元のレストランに戻って訊いた。店の人はとても親切な人で店の外までわざわざ出てきてくれて、全然違う名前のホテルを指差して、「あそこでチェックインするんだよ」みたいなことを言った。また私は「Děkuji」って言って、ようやくホテルの部屋に辿り着くことができた。
(いまだにこれがなんだったのかよくわかってないけど、頭がはっきりしている状態で聞いてたらひょっとしたら簡単な話だったのかもしれない)

「あーしんどい」

その日、ベッドに横たわってそんなことを呟き、スマホの電源を落として私は目を瞑った。

朝が来ると気分はすっかり変わっていた。ホテルの食堂でパンを食べてオレンジジュースを飲んで落ち着いたら、近くの電気屋に行ってアダプターを買って、ドラッグストアで歯磨き粉買って、ホテルに戻ってバッチリ充電したらもうなにも怖い物なんてなかった。

っていうか、メチャクチャ楽しかった。

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歩いてるだけで楽しいの。

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綺麗なとこを狙って撮影しなくても、

ぜんぶこんな感じなの。

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プラハに三日いて、ひたすらずっと街歩きばっかしてたんだけど、その後バスに乗ってチェスキー・クルムロフっていう綺麗な村に行った。

基本的に観光客だらけで生活感があまりなかったこともあってプラハほど感動はしなかったけど、これもめっちゃ良かった。

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運が良かったのかもしれないけど、会う人会う人みんな親切だし、入国したころにはあれほど帰りたかったのに、最終日には「ああ、もっとチェコの色々なところ行っときゃよかったな」って思ってた。

コロナが収まったら、チェコ語とか読めるようになってまた行こう。チェコの歴史を学んで、プラハだけじゃなくて(プラハもまだ回りきってないところたくさんあるけど)もっといろいろな街に行ってみよう。

気軽に外に出られない状況の中で、そんなことを思ってる。

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