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辞書の話④番外編~「ユリシーズ」翻訳の面白さ!

 辞書の話③の中で、齋藤秀三郎著「熟語本位英和中辞典」を強烈に押した人、柳瀬尚紀さんの話をしました。「熟語本位」の辞書そのものにも大変興味を持ち、古本屋で2冊手に入れたと書きましたが、激オシした柳瀬尚紀さん自身にも興味を持ち、他の著作にも触れてみようと思ったのです。

「ジェイムズ・ジョイスの謎を解く」(柳瀬尚紀著/岩波新書/1996)

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 ジェイムズ・ジョイスはアイルランド出身の小説家、20世紀の作家の中でも重要な地位を占めています。独創的かつ画期的な「ユリシーズ」(1922)や最後の長編小説「フィネガンズ・ウェイク」(1939)などで知られています。小説の舞台の多くがアイルランドを基礎にしていて、首都ダブリンを舞台にした「ユリシーズ」は、地図を横に置きながらダブリンの街並みを思い浮かべながらじっくり読みたいと思わせるものです。ダブリン行きたいw

 「ユリシーズ」は、主人公レオポルド・ブルームの行動を中心に、ダブリンのとある一日(1904年6月16日)を詳細に表した小説です。タイトルの「ユリシーズ」はオデュッセウスを英語化したもので、つまりホメロスが書いた古代ギリシアの長編叙事詩「オデュッセイア」に対応しているものなのです。

 その「ユリシーズ」の第12章「キュクロープス挿話」の面白さの裏には何があるのか?いったい、主人公と話している<俺>とはいったい誰なのか?著者の柳瀬尚紀さんは自身の英語翻訳の膨大な知見や語彙の用法や語源を丁寧に辿りながら追求していきます。まるで推理小説を読みのめり込んでいくような体験をした書籍です。

「ユリシーズ」の第12章、いわゆる「キュクロープス挿話」は、次にように始まります。

ーおお、ジョウ、と俺が云う。元気かよう?見たか、あの煙突掃除の野郎、俺の目ん玉をブラシで危うくえぐるところだったぜ。-煤とは縁起がいいやな、とジョウが云う。いま話してた老いぼれ金玉は誰だ?-トロイ爺公よ、俺は云う、警察にいた。どうにもおさまらねえや、さっきの野郎が箒と梯で通行妨害しやがったと訴えてやりてえ。

 柳瀬さんは、冒頭の引用のあと、こう始めています。

<俺>とは何者だろうか?まず<俺>であることは間違いないだろう。しゃべる口調から、とても女は想像できない。

 ここから著者の推理がはじまるのです。<俺>は、ダブリンの社会の底辺に位置づけられている煙突掃除屋にさえまったく無視されていること。「鑑札もねえ分際でってな」(trading without a licence)の一文から、いったい何の「鑑札」かを類推し、「ふてくされた声をあげた」(let a grouse out of him)のgrouseはスラングで不平、不満で、その声を上げたのが何者かを探っていくのです。

 様々な類推をしたのち、柳瀬さんが出した仮説は、

「<俺>は犬である。」

 <俺>を犬と解釈すると、従前の翻訳であった誤読、平坦さや不明瞭な描写がすっきりするというのです。ちなみに前出の<俺>とジョウとの会話はこうなるとのこと。

ーわん、キャン。わんわんうー?きゃん、きゃんきゃんきゃんわん、わんきゃんうーうーきゃんきゃんきゃんきゃんきゃん。-煤とは縁起がいいやな。いま話してた老いぼれ金玉は誰だ?-キャンわん。きゃん。うーきゃんわんわん、わんきゃんわんきゃんきゃんきゃんきゃんわんわん。

 本書ではこのあと、仮説とした【<俺>=犬】をじっくり、かつ大胆にも解明していくのです。出来れば原文と翻訳の対比を傍らに、本書をじっくり解説していきたいところですが、大変な時間と文字数になるので、実際は「ジェイムズ・ジョイスの謎を解く」を手にとって読んでみてください。

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ちなみに著者の柳瀬さんは大の猫好きだったそうです。

最後までお読み頂きありがとうございました。


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