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大手製造業を辞めて、僕が土木の中小企業の跡継ぎを決心した理由 3)大学時代その2

ご安全に。べいです。

最近日が落ちるのが目に見えて早くなってきました。
このまま秋から冬になっていくのかなぁとしみじみ感じる今日この頃です。

さて、今回は大学生活その2になります。

※前回はこちら。


①学部時代

学部時代は、いたって「不真面目」な方の学生だったと思います。
単位を取りこぼして留年…とはないですが、60点ギリギリを攻めていくスタイルでした。
化学専攻でしたので、座学に加えて実験もたくさん授業でしてましたが…理科が好きなはずなのに、どっぷりのめりこめない自分がいました。

今思うと非常にもったいない話です。
かといって、外で遊び惚けていたのかというと、そうでもなく、部活(塾講師)にパワーを傾けていた日々だったと記憶してます。
だから、学部でこれを初めて知った!感動した!という思い出はあんまりないんですよね。

今はどうか分からないですが、私の時代は出欠まったく問答無用の講義もあったので、初めの授業と中間テストと期末テストの3回だけで潜り抜けたこともありました。

そんな体たらくのツケは、研究室選びで払うことになります。

②研究室選び

これもまた時代で、かつてはじゃんけんで決めていた時期もあったようですが、研究室を選びにあたっては、希望をとって決めていくことになっていました。

その希望がかなえられる順番は、至極まっとうなことに成績の平均評定順でした。成績の良い子はGPAが3後半なのに対し、私は2と幾何。

希望としては、就職に強いといわれていた無機や電気化学の研究室を選んでいたのですが・・・あえなく惨敗。。。結果としては、第5希望だった環境化学を専攻する研究室になることが決まりました。

ここでの研究室配属が、今後に大きく影響するとは、まだ知る由もありませんでした。(2回目のあおり)

③研究室生活 学部生

研究室は、当時教授以下3名の教員、院生含めて20名以上の大所帯でした。

私はいろんなテーマがある中、木の浄化作用に関するテーマを選びました。
選んだテーマは、一大研究トレンドがあるものではなく、過去先輩が行っていたものの続きでした。

本テーマは類似の研究がほぼないので、評価の方法から模索することになりました。サンプルは木なので、再現性を如何に出すか、試行錯誤の日々でした。

・・・というと大変恰好良いのですが、ここでもまた「不真面目」な学生をしてました。悪い先輩にそそのかされて(ということにして)研究室でダーツをしたり、カードゲームをしたり・・・
先生もかなり呆れていたと思うと、今は心苦しい限りです。

とはいえ、研究も進めないと卒業できませんので、何とか一定のやり方を見繕い、卒業論文としてまとめて、何とか卒業することができました。

進路に関しては、院から旧帝大をまた狙おうかとも考えましたが、せっかく見つけたテーマについて、もう少し進めてみたいという思いもあり、そのまま研究室に院生として残ることに決めました。

( 4)大学院時代 へ続く)



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