見出し画像

説明がわからないのは話し手のせい?聞き手のせい?

こんにちは
突然ですが、皆さんは誰かの説明がわからなかった経験ありませんか?
同様に誰かに説明したのに伝わっていない(=聞き手がわかっていない)経験ってありませんか?
絶賛中間管理職を堪能中の私が「話し手」「聞き手」両方の観点から(なるべく悪口にならないように)考えていきたいと思います。

そもそも説明がわからない=話が通じない理由

なぜ?説明がわからないことが発生するんでしょうか。
(ちなみに今回の想定は話し手も聞き手も日本語話者です。)
ちょっと検索してみたら下記のWebページが出てきたので少し紹介します。

理解とは、相手の言いたいこと(メンタルモデル)を自分のメンタルモデル(理解したこと)として作り直すこと。

「教えて!わかるを生み出す理解のしくみ」
https://www.shibuya-univ.net/report/detail/980/

理解についてとてもわかりやすく書いてあります。
相手の言いたいことを自分の言いたいこととして作り直すのは、今までの経験則からしても腹落ちします。

上記からわかるのは「理解」はあくまでも受け手側の現象であり、相手の言いたいメンタルモデルを作り出せたかは、受け手側しかわかりません。
そうすると受け手側がメンタルモデルを作れないことが悪いのでしょうか。

ただそんな単純な話でもなくて相手のメンタルモデルが不明瞭であれば、おのずと自分の中で作るメンタルモデルも不明瞭になります。突き詰めれば、相手の不明瞭なメンタルモデルを自分の中でも不明瞭なまま作りなおしたのであれば、ある意味「理解」はできているとも言えます。
そもそも自分の中でメンタルモデルを形成=自分の言いたいことを整理できてる状態で会話をしないと、いくら受け手側がメンタルモデルを作り直しても本当の意図とは異なる「理解」ができあがる可能性が高くなります。

で、結局悪いのはどっち?

正直、どっちもどっちですね。
先ほど「理解」は受け手側でメンタルモデルを作る。と書きましたが、自分の言いたいことをメンタルモデル化するという観点まで入れるとメタモデルは話し手、聞き手の両方が作る必要があるので「理解」がうまれない現象は両社に原因があると思います。

犯人探しじゃない解決手段

ここまでくると読んでいただいた方もピンとくるかもしれませんが、結局共通のメンタルモデルを作ることが目的だとすると、話し手と聞き手が一緒にメンタルモデルを作ることが一番の近道だと思います。
よくよく考えてみれば、良い上司に部下から提案してそれが何が良いかを上司がヒアリングするときって「理解」の部分でスムーズにいくことが多いと思います。お互いが相手を理解するためにメンタルモデルを作りをするために努力しているから。そして、一緒にメンタルモデルを作るために忖度なく会話ができる土壌=心理的安全性があることが、お互いが理解しやすい土壌になるのではと感じています。

まとめ

ここまで考えて言えるのはお互いがお互いを理解する=メンタルモデルを一緒につくる努力する。そしてその土壌を作る=心理的安全性のあるチームを
作ることが、さまざまな事象の理解を促進するキーポイントになるだと感じます。
皆さんも自分の仕事に当てはめてみて、違い意見があればコメントバックいただけると幸いです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?