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アート(とその所有者)は文化の継承者である

 今、研究上の関心から、アートの値段や来歴の扱いについての本を読んでいる。これがなかなかに面白い。アートの価格はどう決まるのか、どうして持ち主が移り変わっていくのか、その移り変わりが何を意味するのか、そうしたところにもいろんな物語があることが分かった。山口桂さんが著した「美意識の値段」という本が読みやすく、著者の熱も伝わってとても面白い。

  特に伝運慶作・木造大日如来坐像の取引に関するエピソードは、著者本人も奇跡的かつ大きな成果として語るだけあってものすごい熱量が伝わった。そんな国宝級の品がどうして売られるのか、そして買う側もどういう気持ちで買うのかというのが、自分の陳腐な先入観を超えるものだった。実際、これほどの品を買う人なのでお金持ちなことは間違いない。しかし、そういった人がアートを買う理由は、税金対策だとか、応接室を華やかにするだとか、そんなちゃちな理由ではないらしい。実は売る側も、買う側も背後にある覚悟は似ていて、売る側は「これほどの作品を維持し続ける保証ができなくなった」というもの。美術品は繊細で、湿気や日照環境などに細心の注意を払わなくてはならない。それが貴重なものほど、わずかな劣化も避けたくなるものである。なので、作品を守り続ける責任を負えないとなれば、潔く相応しい所有者にゆだねるというわけだ。そして買う側も、ただの高級志向ではなく、歴史的な品、優れた作家の残した仕事を守る栄誉を得たいというところがある。実際、美術品には来歴の記録が残るものも多く、どこの美術館やどんな人物が保管していたのかを都度記録することもあるそうだ。優れた作品を、劣化させずに守り抜くという覚悟が必要で、ただ買い取りさえできればよいというわけではない。セキュリティや維持費用も含めてケアしていかなくてはならない。しかし、偉大な作品の歴史の一期間を共に歩めるという栄誉は確かに何事にも代えがたい。

アートへの敬意と経緯は国境を超えてもいい

 さらに著者が熱く語るのは、この作品が海外の人に購入されるかもしれないという批判を受けたことへの反論だ。日本の作家の作品を国外に流出させたくない、日本人以外にこの作品の良さを理解して、ちゃんと扱えるのかという批判もあったらしい。しかし、海外の購入者たちは先に挙げたような、作品を維持して守る覚悟をもってその栄誉をうけるべく購入に動いている。作品と作家、それまで守り抜いた所持者たちに敬意を払っていることが多い。それほどの敬意を払える人が海外にいるならば、むしろ海外に出て日本人以外の人々にこの作品を知ってもらうきっかけを作ってもらうのも良いのではないか、という趣旨の反論を展開している。買い取った人だけでなく、作品そのものがその置かれた場所で文化や技術の伝導役になる、と考えるのは面白いし、たしかにその通りだと共感した。
 このケースだけでなく、世の美術館、博物館にある作品たちも、その場所に置かれていることには意味がある。単に美術館・博物館のカテゴリー(西洋美術、東洋美術、現代美術など)で分けているから、というだけではない、その土地やその館の歴史に照らし合わせて、作品が置かれていること自体に意味やポリシー、使命があるのだろう。来館者がそれを正しく読み取らなくてはいけないというわけではないだろうが、それを考えることは美術館・博物館を訪れる一つの楽しみにはなるだろう。

 そんなわけで、どうもアートの価格というのは、単に技巧や作家のネームバリューだけの問題ではなく、それまでの歴史・来歴、栄誉といった要素も含まれているらしい。創造性研究でもアートを題材にすることは多いが、アートが持つそういった要因が価格を左右すること、逆に価格にそういった思いが込められていることを知っておくのは重要だと思い知らされた。

(9月6日から9日まで、日本認知科学会第40回大会での発表のため、更新ペースが落ちます。ただし、大会で見かけた面白い発表などは紹介するかもしれません)

 

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