見出し画像

【随筆】時をつかむ

未来が、また、今日、始まる。

時は、繰り返す。

同じ様に、日は沈み。

朝は、またやってきて、季節は巡る。

同じ時は、ない。

時は、いつも始まり。

そっと、変わるための準備期間を与えてくれて。

それを、どう感じるかの選択権は、自分にある。

そして、自分の手で獲得したもので、時の密度が変化し。

降り積もって行く記憶の濃淡が変化して行く。

その変化の有り様で、私たちの感情、心、クオリアが。

時には、油絵のように。

時には、水彩画のように。

時には、水墨画のように。

描かれていくのかもしれない。

一枚一枚描いたそれらを大切にしながら。

また、新しい朝が生まれ、新しい季節がやってくる度に。

そして、日々、何かを見たり、聞いたり、経験する度に。

選択肢の新陳代謝の影響も手伝って。

私たちの感情、心、クオリアも、季節に合わせたかのように彩を変えていくのだろう。

それらの出来事。

そのものや感情ではなく。

その際に、自分自身が感じた感じ(クオリア)こそが大切なんだと思う。

でも、それって、体験から得られる感覚のことだから。

すべてを正しく言語化することは難しいんだろうなって思う。

そして、極めて個人的で主観的なものだから。

同じ経験をしたとしても。

それによって得たクオリアで共有することは難しくて。

解ってあげれないことの方が多いのだろうなと思う。

そんな私たちの感情、心、クオリア。

つまり、私的体験は、どんなに頑張ったとしても、言葉で語り尽くすことができないから。

どうしても、伝えきれないことも多いという事実がある。

残念だけど、諸学問は、その事実に対して、明確に答えられているわけではない。

だからかな。

今まで、当たり前だと思ってきた、この世界や人が、途端に、よそよそしく感じられる時があったけど。

言葉で語り尽くせない事情に依っているだけなんだって気付ければ、なんら恐れる事はないんじゃないかと思う。

世界にも、人にも、直ぐには知れない事の方が遥かに多いのだということを知ればいいだけなのだから。

だけど。

そうであったとしても。

諦めずに。

何度でも。

どうすれば少しでも。

その世界に。

その人に。

近づけるのか?という問いを持ち得た時。

俄然、哲学等の学問や、これまでに得た経験のバリエーションが力を貸してくれる様になる。

直ぐには、全て、理解はできないけど。

何かを学んだ分だけでも、視界は徐々にクリアーになり、新たな視点を授けてくれる。

その時をつかむ度に、思考力と対人力が高められて行き。

地頭が鍛えられて、とても親和性のある世界や人であることを認識できることで、とても愛おしい存在に変わっていく。

だから、ただ、過ぎていくだけの日々は嫌だ。

「諸学の基礎は哲学にあり」

まずは、常識や流行、先入観や偏見にとらわれず、物事を掘り下げて深く考えることが大事。

「顚倒の善果 、よく梵行を壊す。」

大したことのない自分の知恵に溺れた時、必ず自らを窮地に追いやり、滅ぼすことになることを忘れてはならない。

だからこそ、その時を手元に置きたいと願うだけではなくて、その時を得るための努力を惜しまない様にしたいと思う。

そして、つかんだ時の分だけ。

時は重なり、わたしの時となる。

時は重なり、あなたの時となる。

繰り返す時の中で、いつしか、その時と時が重なりあっていく。

その未来に向かって、また、今日が始まる。

つかむべき時と、重なり合う時を得るために、今日も迷わず歩いて行くだけだ(^^)

【補足】
記憶は、日々、どんどん積み重なり、記憶の底にあるものは、だんだん見えなくなってくる。

自分にとって大切な記憶。

それを、一体、どう残したらいいのか?

一般的には、映像や写真で残して行くのだと思うけど。

それができない時は、自分の中にある記憶をたどって、洗い出して、刻みつける必要がある。

昨年、下記の絵画展を観る機会に恵まれた。

・参考資料
生誕90年、画業60年。待望の個展「ゲルハルト・リヒター展」は東京国立近代美術館で2022年6月7日から10月2日まで、豊田市美術館で10月15日から23年1月29日まで開催。

東京国立近代美術館「ゲルハルト・リヒター展」

ゲルハルト・リヒター展  ゲルハルト・リヒター ペインティングDVD

映画『ゲルハルト・リヒター ペインティング』

映画『ある画家の数奇な運命』

この記憶については、自分の解釈が自由にできることや、知識や背景次第で読み取るメッセージが変わってくるのではないかと思う。

また、写真は、その場の光景の一瞬を捉え、且つ、止まった時間を切り取ると同時に、その被写体の空間も切り取っている。

そういう切り取った感覚が、前述のリヒターの絵画を、更に、写真のように見せていると評されていた。

また、この点について、リヒターは、普通だと思っていた写真が、後から普通でないものになると、その効果は、ベーコンやダリの作品のデフォルメよりも、遥かに強烈なのだと述べていた。

たぶん、私たちの記憶も、一瞬の光景を捉えて時間を切り取っていると同時に、空間も切り取って記憶された後。

その人独自の手法で、その記憶を、精密に模写した記憶のイメージを微妙に暈すフォト・ペインティングの様にドラマティックに描き替えている?のではないかと感じる。

なお、以下の記事にある様に、記憶を映像化する技術も開発中であり、色んな知見が得られて面白かったので紹介しておく。

・参考記事

・参考図書
「ユリイカ 2022年6月号 特集=ゲルハルト・リヒター ―生誕90年記念特集―」

【参考資料】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?