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【一冊一会】橋川文三「歴史と危機意識―テロリズム・忠誠・政治」


まず、人類の歴史を、大雑把に俯瞰してみる。

①ゲノム解析からヒトは、一種ということは明らかである。

②所謂、人種はないというのが現在の科学から出される結論である。

③とは言え、アフリカを出て世界中に広まるようになって5万年が経過している。

④その膨大な年月を経て、人類は、様々な地域での環境に合った選択を行った結果、遺伝的特徴のある人口集団が存在することになった。

⑤現代社会を支える科学技術も、経済システムも、ヨーロッパやアメリカ発が主流であり、それが世界へと広まったにも関わらず、未だに、先進国と発展途上国があるというのが基本認識である。

⑥その原因は、人間そのものではなく、地理的要素にあると考えたのが、ジャレド・ダイヤモンドの「銃・鉄・病原菌」である。

その前提を踏まえた上で、そもそも、この流れは、人類にとって、適切だったのだろうかという問いが考えられる。

確かに、専門分野の外に目を向けると、未来へのヒントが見えてくるとは思う。

また、環境を変えるよりも、外へ目を向けた方が良い場合も多くある。

但し、現代において世界は、グローバル企業を代表格として、外に目を向け過ぎではないだろうかと考えさせる事例は枚挙にいとまがない状況である。

もう、大小の違いは有れど、目に見える情報だけで仮に判断したとして、どの国家も、一部の人間が好き放題やってるだけの様に見える。

中野剛志氏は、「ヨーロッパ各国が戦争を繰り返すなかで、試行錯誤をするうちに、知らず知らずのうちに、貨幣制度も中央銀行も資本主義も、そして国家すらも生み出されてきた。だから、国家から目をそらすと、資本主義を正しく理解することができない。」と指摘していた。

また、同氏は、「たとえば、あるとき国民の大多数が食糧自給率を高めるために農業を保護すべきだと考えるようになったとしても、国際条約によって農業関税率が決まっていれば、どうしようもありません。国際条約によって国家主権が制限されているために、民主主義が機能しなくなるんです。はっきり言って、グローバリゼーションとは、民主主義を制限することなんです。」とも指摘していた。

この指摘だけでも推定できる通り、スタンダードが複数存在し、その中で不都合が発生すると、より力のあるものに都合の良いルールが適用される不完全な世界であり、今の私たちの社会の有り様は、そんなに誇れるものなのか?という問いを、新たに持つことも可能である。

人は、誰しも、少なからず、歴史に学んでいるはず。

しかし、人類の多面で多義の歴史経験から、良きと悪しきの二分法から脱せられたとしても、適切な教訓を得る事は、そんなに簡単なことではない。

それは、善と悪のパラドックスも考慮する必要があるからである。

例えば、カント、アドルノ、ホルクハイマーは、悪が実は善であることを主張している。

ニーチェは、善と悪は同じであると主張していた。

存在論、仏教思想においては、悪事はよくないとしている。

そんな多種多様な思想世界の中で生きざるを得ない私たちの未来は、どうなるか分からないのが事実である。

その私たちの世界は、善と悪の両面あるとして、論理より直感を信じて賭けてみることが、時には必要となることも多く有るのではないかと推定できる。

私たちは、同じ世界を共有して生きているが、主観まで共有することは絶対にできない。

それは、誰かの幸福が誰かの不幸になってしまう悲劇に気付くまで、多大な時間をかけてしまう負の歴史がそれを物語っている。

分かり易い例であれば、経済発展を享受していた公害問題などでは、露骨に世界側が少数に対して無知という構図があった。

では、世界は、元から狂っているのか?

世界は。

国家は。

人は。

私は。

正しい選択肢を選ぶ事ができるだろうか?

ヨーロッパやアメリカの人たちが、彼らの地域に留まったと仮定した場合、言い方は良くないけど、余計なことをせずにいてくれたら、世界は、どんな歴史を刻むことができたのか簡単に推測してみる。

①それぞれの社会がゆったりと文化を育むことができたかもしれない。

②各国が内発的な便利さを求めていく世界ができたかもしれない。

③その場合、豊かさと、貧しさの判断は、その地域限定になるが、他の世界に介入しなければ、その世界独自の分かち合いの世界が生まれる可能性がゼロではないかもしれない。

昨日と違う今日が有るのは、良いことだとは思う。

だけど、スピードや変化は、国や人、それぞれで異なるため、現代の様に、偏った技術等がスピードで一律化される世界は幸せだとは考え難く、そのスピードで画一された世界が、大きな格差を助長しているとも考えられる。

そのスピードを緩和させるためにも、外向きより内向きの仕組み作りを、以下の点について、具体的に防災、インフラ整備、教育、科学技術などについて考えるべき時期に来ていると思う。

①仕組み作りを考えるめの総合的なシナリオを決める。

②シナリオの運用に必要な手段を考える。

③手段をどのように使って挑むかを考える。

④シナリオを遂行するために②項と③項を踏まえたプロジェクトを立てる。

できない理由を考えることは容易い。

もう遅いからと考えれば、そこでストップして、そこから先には進まない。

始めてみれば何が起きるか分からないし、新たな可能性も広がってくる。

遅すぎるということはない。

だから、どんな時からでも、自分も、国も、世界も、今どう考え、動くかにかかっている。

【参考記事】
「グローバル化すべき」と言う人が、完全に“時代遅れ”である理由
https://diamond.jp/articles/-/231347

世界はすでに、各国が「利己的」にならざるを得ない危険な状況に陥っている
https://diamond.jp/articles/-/231363

この生きにくい「資本主義社会」を救出する唯一の方法とは?
https://diamond.jp/articles/-/231383

この残酷な世界を「普通の国民」が生きるために、絶対に知っておくべきこと
https://diamond.jp/articles/-/231385

【参考図書】
「善と悪のパラドックス―ヒトの進化と“自己家畜化”の歴史」リチャード・ランガム(著)依田卓巳(訳)

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