[誤字訂正版]【回想(その1)】みんなの俳句大会(白熊杯):【がちな勝手に賞】私設「あなたの句は私の推しの一句でした!」賞発表
みなさん、こんばんは(^^)
今回の「勝手に賞」は、みんなの俳句大会(白熊杯)の【予選ラウンド】及び【決勝ラウンド】で、私の推しの一句として推させて頂いた方、全員に、私設「あなたの句は私の推しの一句でした!」賞を贈らさせて頂きますね!
みなさんの俳句、ひとつひとつに、私なりの解釈で、コメントさせて頂いております。
多分に「ズレ」があるかもしれないこと、ご容赦頂けると幸甚です。
なんだかよくわからない奴が、なんか言ってるぞ^^;
とか。
何だこりゃ?(◎_◎;)って。
ちょっと、クスって笑ってもらえるのが大好物なので。
がち(※)で!
※印:真っ向勝負、小手先ではない正面からの本気のぶつかり合い。
本来の句の意図とズレズレでも構わない!
真面目に!(いや、以前の「勝手に賞」もちゃんと書いてたつもりなんだけど^^;)
書いてみました!
その「ズレズレ」さ加減を楽しんで頂き。
笑って赦して頂けるだけで本望です(^^)/
そうそう、お土産として、こんな綺麗な方程式「スキ」を、是非、お持ち帰りください、ね❤
それでは、まいります!(ニヤリ)
【予選ラウンド】
すみません^^;
私が推したばっかりに、決勝ラウンドに行けた方の確率が、まさかの1/8とは(T_T)
でも、一生懸命、応援させて頂いていました。
残念なのは、当時、コメントを書く勇気が私にはなく、申し訳ありません。
この記事では、そんな私の味わった結果を、言葉に変えて、コメントさせて頂きました。
Aブロック
静脈の透けしてのひら六花
人を恋しく想う歌なのか?
ひとり物思いに浸っている歌なのか?
それとも、嘆きの歌なのか?
静脈の透けしてのひらと六花の儚さから。
胸の隙間に染みてくる様な感じがします。
どこか、別れの歌を口ずさんでいる様にも感じられて。
差し伸べた華奢な手のひらに重なる六花の儚さが。
それを際立たせている様にもみえます。
その透けしてのひらの先に何があるのだろうか?
と、そう思わずにはいられません。
愛に。
そして、夢に生きてきたのに。
無駄に過ぎた時間を。
ただただ嘆いているだけなのか?
それとも、誰かを憎みつつ。
死を覚悟しての静脈の透けしてのひらなのか?
叶わない思いが心に刺さったままで。
人恋しさを引き立たせてしまう様に。
そんな悲しい恋を憂いているのでしょうか?
六花が、透けしてのひらの上で、まるで白いかげろうの様に・・・・・・
空に舞っていく光景が目に浮かんできます。
私の妄想なんだろうけど^^;
想い出を浮かべてみても。
悴んだ心の空は、その白いかげろうが舞うままの中で。
先が見えない。
視界も、心の中迄、全てが白の世界。
ホワイトアウトの様にも感じられて。
なんだか、切なくなってきます。
誰が、そうしたのか?
教えてくれたら、ぶん殴ってやりたい!
Bブロック
深深と雪雪と唯六花
この句を一目見た時、削ぎ落とした言葉の潔さ。
そして、選び抜いた言葉の鋭さ。
負け戦と分かっていながらも、散り花だけは、この六花の様に。
綺麗に舞い、ひっそりと静まりかえった雪の墓標で眠りにつきたい。
まるで、戦国武将の辞世の句のように感じました。
ただ、読み方を違えると、句の様相が一変します。
冬の冷たさの中に秘めた想いを忍ばせた句の様にも感じられる一途な恋歌。
この句は、「唯」を名詞で詠むのか?
それとも副詞で詠むのか?
その選択を選ぶ自由が有る様に感じました。
恋歌として詠んだ場合、「深深と雪雪」は、独りになった心の中の冬景色。
それを虚しいと詠っている様に感じられます。
では、書かれていない心音は?
・もう誰の声も届かない状態
・明日を生きる意味を失った状態
・死ぬ覚悟が出来ている
・愛する人との別れ
でしょうか?
そうであれば、「深深と雪雪」は、あきらめを詠っているのかもしれません?
では、「六花」は、どんな想いを詠っているのか?
ここが謎でした。
「唯」を名詞だとして詠むと、もう負け戦だと分かっているのだから、取り立てて言うほどの価値・意味もないと、今の現状を、この言葉で切り落とします。
その後の「六花」に至っては、死して地表に降りたときにも美しい死に様でありたいと願う戦国武将の矜持が込められている様に感じます。
日本語では、例えば、「(一人でトイレに行けなくなる)本」のように、一見すると、意味解釈が不思議な名詞修飾表現(連体修飾表現)があります。
それって、どんな本なのか?
この表現において、修飾されている名詞は、その前の修飾句にある述語の主語、または目的語ではありません。
これらの表現を理解するためには、トイレを「ひとり」で行けなくなるように、表面上には現れない「」内の情報を文脈からくみ取る(推論する)必要があります。
実は、句切れである「唯」と「六花」の間には、この名詞修飾表現(連体修飾表現)的な詠み手の想いが込められているのではないかと感じました。
これが、言葉のもたされる意味(シニフィエ:「概念」または「特徴」「イメージ」ということ。)を多義化し、ふくらませうる揺籃(ゆりかご。比喩的に、物事の発展の初期の段階。)である俳句の片言性なのかもしれないな~と感心しました。
この表現、エモくて、とても好きですねぇ(^^)
そうであれば「唯 六花」を、どう解釈すべきか?
副詞としての「唯」の意味には、「何ということなく。むなしく。」という意味と。
「ひたすら。」という意味があります。
このどちらの意味の言葉を選んだのか?
ここは少し慎重に判断しなければいけません。
もう少し、深読みしてみると、「唯」を女性の名前につける時の想い。
それは、大切な人という気持ちを込めて。
唯一無二の存在であることを伝えるメッセージとしてつけたいそうです。
そうであれば、「唯 六花」は、そんな命も凍る辛い状況であっても。
「でも、私は、今も。あなたのことを好き。」と言っているようにも聞こえます。
美しく「花と散る」のも悪くないけど(^^)
どうせなら、こんなに惚れられる男になりたいね!
全て、私の妄想ですが^^;
Cブロック
シャリシャリと音符の見える雪みぞれ
(決勝ラウンドでコメントさせて頂きますね(^^))
Dブロック
寒月や部屋に命を刻む音
もう、これ。
詠んだ瞬間。
うん、うん、そうだよねって共感しかありませんでした( ノД`)シクシク…
命を刻む音が心に沁みてきます。
私事で恐縮致しますが、そう思う理由。
海外出張のため、日本を出国する前に、介護施設に入院した母。
その10日後ぐらいだったでしょうか?
もう、打合せを終えて、ホテルから空港に向かう支度途中の早朝。
出発直前に掛かって来た電話で、母の危篤を知りました。
飛行機に乗って帰ってきたのですが・・・・・・
どう帰ってきたのか、記憶が定かではありません。
そんな状態で病院に駆け込んだ時。
見えたのは、動かない母の寝姿と。
このピッピと命を刻む機械の音だけが聴こえる暗い病室。
それから、亡くなまでの数日の間。
母の足を手で撫でてあげると、ベッドサイドモニタの表示が変わるんですよね。
まるで会話しているかの様に。
言葉で二度と会話することは、叶わなかったけど。
その変化が母からの返事だと、そう思って。
もっと生きていて欲しいという願いを込めて。
母の足を手で撫でていました。
それも叶わなかったけど。
あ!^^;
自分語りばかりで、ごめんなさい。
でも、この句に感じる命を刻む音は、私の思い出と、とてもリンクしていたので。
敢えて、書かさせて頂きました。
だからかな。
寒月が、なんだか憎たらしく感じます。
二人の大切な時間を、邪魔しないでくれ!
Eブロック
朝散歩みつけてパリン初氷
もう、見た瞬間、可愛い過ぎるわって思ってしまいました!
この句は、反則です(^^♪
パリン、ってやめられませんよね!
確かに、子供の頃の記憶が、そう言っています(^^♪
これを、大人の女性が、笑顔で楽しく遊んでいるところを見せられて。
可愛いと思わない男性はいないはず!
ん?
朝散歩だと、誰にも会わないのかな?(?_?)
「パリン」は、英語で「crack」または「smash」と言い。
「smash」には「粉砕する、粉々に打ち砕く」といった意味があるので。
全然、可愛らしさのかけら「ゼロ」ですからね(^^;
また、ひらがなの「ぱりん」も、固いものが勢いよくわれる音だけど。
プラス「こ」をつけることで、可愛さと親しみのもてる雰囲気が益々出てくるものの。
冬の朝なら、やっぱり、この「パリン」の響きがとても合っていて。
私は、とても好きですねぇ、この言葉の音色が(^^♪
そして、初氷を、「パリン」「パリン」って、踏みつけて行けば。
そこは、もう、音楽の世界♪
生き生きと、活気をもって(con brio(コン ブリオ))氷を割る楽しい気持ちが表現されていて。
朝散歩なので♪
ついつい、「パリン」とやってしまう気持ちって。
肩ひじ張らずに、気楽に(comodo(コモド))かな。
または、軽く(leggero(レジェーロ/レジェロ))朝のスッキリとした想いを滑らす感じで。
たまに、割り損ねて、不協和音も奏てみるのも味があってイイね(^^♪
みなさ~ん!
寒い朝に、散歩に出かけて、薄く張った氷を発見したら!
合言葉は「パリン」で、氷を割ってやろうぜ!
Fブロック
手まり突くてんつく地突く未来衝け
この句を一瞬観て!
「く」の三連発で、陸上競技の三段跳びをイメージしてしまいました。
「け」の箇所は、大事な場面を表していて、まさに世界新記録かあああ!ってな感じがして。
おおお!
なんだかスポーツしてるぜ、この句はと、思った次第です。
てまりさんの手前恐縮致しますが。
最も古いものは、「蹴鞠」と呼ばれる足を使った遊びでしたが。
やがて手を使って遊ばれるようになります。
江戸時代に入り、てまりの素材が変わって弾むものになると。
てまりを「つく」遊びが盛んになったそうです。
そして現代も遊び方は、さほど変わりありませんが。
てまりのつき方を、人生に例えている。
現在・過去・未来のそれぞれを。
手毬のつき方の加減で変わる手毬の高さで比喩しているのかなって、そう感じます。
その高さだけど、何故?
「てんつく」は、ひらがななのか?
もし、「天を衝く」だと、非常に高いこと。
また、すばらしい勢いであることのたとえになってしまうので。
「未来衝け」での意志や気力が盛んなことを表す事の妨げになるからかな?
「てんつく」「地突く」だと、多少の違いはあれど。
だいたい同じ高さがイメージできるので。
巧みな表現だなって、そう感じました。
だとしたら、最初に私が感じた三段跳びのイメージに。
やっぱり近いのかなって、改めてそう思います。
三段跳びでの記録を伸ばすカギがホップ(「てんつく」)・ステップ(「地突く」)の重要性なんだけど。
ホップ時に、ステップ(「地突く」)でのバランスと助走スピードを殺さずに跳ぶ事を意識する事が大切だそうです。
そして、身体のバランスを保ち、助走スピードを生かしたステップ(「地突く」)は、必ず飛距離が伸びるそうです。
だったら、この句は、とてもバランスが良くて。
最後の未来への大事なところである「衝け」は、大飛翔の予感しかありません。
何かスポーツでも、していたのでしょうか?
そう思わせる身体のバランス感覚も感じられる句。
マッチした言葉の落ち着かせ方が巧みな句。
そして、スピード感を生かした言葉の言い回しを感じる句。
もう、身体(句)能力高すぎますよ(◎_◎;)
勝てる気がしない(^^;
もう、この勢いのまま、未来へ、行けぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!
Gブロック
ねぇ聞いて雪降る音を心音を
そんな仕掛けがあったとは、まったく知らずに、「スキ」押してました(^^)
この句を詠んでいたら。
ふっと、GReeeeNの「雪の音」が浮かんできました。
私のコメントは、この歌が、代筆して頂いている様です(^^♪
GReeeeN「雪の音」
「ねぇ聞いて」には。
どうみても「両片思い」なのに。
関係を壊すことを恐れて伝えられずにいる心音を感じます(^^♪
伝えたいのに伝えられないもどかしい気持ち。
胸に秘め続けた心音。
大人になって。
すっかり、恋愛で一喜一憂することもなくなりましたが^^;
「雪降る音を心音」は、雪が降って寒くても。
アナタの存在で、私の心は温かくなる。
素直な気持ちと願いが表現されているようです。
また、「雪降る音を心音」は、どのくらい近くであれば聞き取れるのか?
1センチメートルくらい?
それとも1ミリくらい?
「雪降る音を心音」の裏には。
私とアナタの気持ちが。
1センチメートルでも、1ミリでも良いので。
どうか同じ気持ちであって欲しい願いも込められているように感じます。
なんだかピュアな気持ちが蘇る気がしますねぇ(^^)
雪の魔法があったとして、それは、どんなものなのか?
多分、今回の大会で目にした「雪」達の句の様に。
日常を非日常に変えてくれる魔法のようなものかもしれませんね。
恋愛で悩めるうちが幸せなのかも。
大人になると、いろいろあるからなあ^^;
精一杯の強がりも時が経てば!
きっと素敵な思い出に変わっていくと信じています。
この句の2人?が(^^)
悩みもがきながら、本当の幸せに辿りつけることを願っています!
Hブロック
くたくたの大根オゾン層崩壊
目に止まった瞬間、その世界観に圧倒されました。
理系脳なので。
何故、大根なんだ?
その因果性は何?って。
どうでも良いことを、しばし考えていました^^;
さて。
この句を観て、私が、ぼんやり感じたこと。
そういえば、どこからが、オゾン層なんだろう?
あれ?
そういえば、どこからが空なんだろう?
子どものときから、ずっと、私の頭の上と空はつながっていたはずなのに。
だけど、それが、どこからはじまるのか?
教科書には、書いていないんだよね^^;
視点が、どんどん下がってきて。
くたくたの大根に、どうしてなってしまったんだろう?と。
自分の視野の狭さに気付かされます。
そういえば、と思い当たることが実に多いことに気付かされます。
そういえば、どこからが大人なんだろう?
そういえば、どこからが恋人なんだろう?
そういえば。
そういえば。
そういえば。
・
・
・
そこには、きっと明確な基準などはなくて。
どうなるかよりも。
どうしたいかを知れと、教えられるような、そんな句だと感じます。
・
・
・
で、どこからが空なのか?
禅問答みたいな私見だけど。
たぶん、自分が飛びたいと、思う高さからが、空なのかも。
くたくたの大根とオゾン層崩壊の関係性。
空の高さは、みんなにとって違うんだという事実に気づけるか、どうかがポイントで。
だったら、くらべるより。
どうなるかを思うより。
どうしたいかを考えればいいと、この句から教えられました。
まずは、自分で、自分の基準で決めて。
進めばいい。
だから今は。
大根がくたくたにならないように。
目の前のことを、ひとつひとつ丁寧に・・・・・・
自分の足で歩いていけばいいのかなって、そう思います!
あぁ、あそこが境目だったのかと。
わかる日がくることを信じて!
【決勝ラウンド】
決勝ラウンドは、意を決して、推しの3句の方々へ、先陣を切ってコメントさせて頂いたのですが・・・・・・
あれ?
白さんがコメントしに来てくれていて。
あら?
コメントの格調性が違う(@@)
<追伸>
決勝ラウンドでの推しの3名の方のコメントについては、今回の投稿に合わせて加筆修正させて頂きました(^^)/
シャリシャリと音符の見える雪みぞれ
予選ラウンドから、推しの一句でした。
別な「勝手に賞」にも書かさせて頂きましたが。
音色・音感が聴こえてくるオノマトペと、全体の調子が音楽的で素敵な句ですよねぇ(^^♪
それを、何故、素敵と思ったのか?
私は、以前、自分の書かれたものが、クラシック音楽の色んな奏法や表現の様に。
抑揚と韻律にしたがって書かれたみたいな感じになれば。
とても楽しい気分にさせてくれて。
面白くなっていくんじゃないかと考えていました♬
例えば、こんな感じで。
相手に寄り添う言葉を紡ぎたい時。
そんな時は、優しく、やわらかく(dolce(ドルチェ))。
そして、穏やかに、静かに(tranquillo(トランクイッロ))寄り添う感じで表現してみる。
その時、気を付けたい事は、相手に話すように(parlando(パルランド))言葉を選んでみる(^^♪
また、自分の心を奮い立たせたい時だと。
まず、元気に、機敏に(vivace(ヴィヴァーチェ))書いてみて。
ちょっと大げさぐらいでもイイと思えば(^^♪
思い切って、壮大に(grandioso(グランディオーソ))、また、荘厳に(maestoso(マエストーソ))書きなぐってみても良いかなと、そう思っています。
その後は、ちょっと冷静になって(^^;
クールダウンもお忘れなくと、自問自答。
叙情的に(liricamente(リリカメンテ))感情や気持ちなどが、じんわりと外に現れるような雰囲気で文章を記するのも、お洒落なんじゃないかなあ(^^♪
と、こんなことを考えていたので。
この句に出会って、自分の思いにドンピシャでした!
そう、雪みぞれを踏む気分を、前半は、オノマトペからはっきりと(marcato(マルカート))感じさせてくれて。
後半にかけては、その行為によって、気分が楽しくなって。
歌うように(cantabile(カンタービレ))感じさせてくれるところが推しポイントです(^^♪
どの人も寡黙なペンギン冬の街
同調性の高いペンギン。
確かに、寒さの厳しい冬の街に積もった雪の中を歩く人の姿は。
どこか、旭山動物園でのペンギンの散歩に似ているかも(^^)
今、国内の水族館や動物園で見ることができるペンギンは、次の11種類だそうです。
・ケープペンギン
・マゼランペンギン
・フンボルトペンギン
・オウサマペンギン(王様ペンギン、キングペンギン)
・コウテイペンギン(皇帝ペンギン、エンペラーペンギン)
・ジェンツーペンギン
・アデリーペンギン
・ヒゲペンギン(アゴヒゲペンギン)
・イワトビペンギン
・マカロニペンギン
・フェアリーペンギン(コガタペンギン、リトルペンギン)
だとしたら、ペンギンの歩き方にも個性があって、寡黙なペンギンの中に、もしかしたら、コウテイペンギンが紛れている可能性もゼロじゃないかなと(^^)
本大会で、動物を句に入れている方々が、次々と、敗退される中で、生き残ったこの句に賭けてみました!
コウテイペンギンは、さすが「皇帝」といわれるだけあって。
たくましい胸を張り、すくっと直立します。
ペンギンたちは、「ペタペタ」どころか、実は「スーパー体育会系」なんです。
つまり、コウテイペンギンは、ひざを曲げる角度がガチな体育会系なんですね。
あれ?
すみません^^;
句を推しているのか、コウテイペンギンを推しているのか。
意味不明なコメントになりつつありますが。
要は、テイオウ「白熊」君で詠んでいただいた俳句の無念(予選通過ならず絶滅( ノД`)シクシク…)を!
この句(猫背なコガタペンギンからコウテイ「ペンギン」君にチェンジして)へ託します!
(コウテイ「ペンギン」君らしく)上を向いて!
サマーウォーズの栄おばあちゃんもお応援しています!
「これは、あんたにしかできないことなんだ。あんたならできる。できるって」
<ペンギンを含む俳句例>
ペンギンの一羽おくれし春の月/有馬朗人
寒いペンギン考えは今首の中/墨谷ひろし
ペンギンの手はつなぎたし春来たる/丸山工
ペンギン老ゆ南の漁家の奥の海原/森白桜子
日が回る太平洋船員ペンギン見に/高野義大
着ぶくれてペンギン歩きして吾子は/轡田進
ペンギンを見て来て川幅広くなる/岸本マチ子
水に春は来てペンギンは空を見て/千代田葛彦
秋の翳にはペンギン鳥をひとつおく/富澤赤黄男
日本脱出したし皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも/塚本邦雄
小春日や片道だけの乗車券
何度も同じことを言ってすみません(^^♪
でも、何度でも言いたい!
この句は、BUMP OF CHICKEN「車輪の唄」と、
宮沢賢治「銀河鉄道」と、情景がリンクし、世界観が繋がっていると思います。
「銀河鉄道999」は、どうだろうと考えてみたんですが、この句に似合わないと思ったから却下。
切符は人生の選択肢。
誰もがそれぞれの切符を買って(人生の選択肢を決めて)来たのだろうと。
そして、夢を持って新たなスタートを切るイメージを連想させる美しさと、片道切符故の儚さ。
ただの妄想だとしても、ここまで無限に拡がる、世界観を演出してくれるこの句に感服します。
そして、片道切符は、私見ですけど、輝いています(^^)
この詩情から、更に、様々なものを背負いながらも「わたしはまだ生きてゆける」と、片道切符が非常にポジティブな感情だなとも感じられて、米津玄師「カムパネルラ」を思い出したり。
また、すれ違いを繰り返しながらも、助けたり助けられたりして心の絆を深めていく片道切符は、前に進む物語であるアニメ「輪るピングドラム」を連想させてくれたりして楽しかったです(^^)
<おまけ>
人間は、誰だって片道切符です。
一日暮らしなんです。
朝、目が覚めて。
これ本当に生きているのかいな。
ひょっとしたら、生きていないのに空想で夢まぼろしを見ているのかもしれないなんて(^^)
寝るときも。
「はい、さようなら。」で休める余裕が欲しいですね(爆)
後戻りできない人生(片道切符)だけど、一日暮らし。
明日は、おまけにもらった一日。
心貧しければ大天地、大ならず。
心豊かなれば小天地、小ならず。
狭い心からは、狭い世界しか見えないけれど。
広い心でいれば。
どこにいても宇宙を感じとれるはず?(@@)
そうやって生きると、毎日毎日が平和で楽しい。
日々是好日ですね♪
【言葉と向き合う時の私の思い等のちょっとした雑感】
言葉を表現するとき。
言葉は多くのものを削ぎ落としてしまいます。
それでも言葉で伝えたいものがあるとき。
「いま一番伝えたいこと」を書く。
その時、言葉は、本当の力を発揮するのだと、そう思います。
そうであれば、本当の言葉は、たぶん、本当の心と同じだと思う。
気をつけねばと心を引き締めたい、とも思っています。
それは、俳句を詠むことも。
書くことも同じではないかと。
楽しくないのに楽しそうにする。
嬉しくないのに嬉しそうにする。
そのうち楽しくなる。
嬉しくなる。
作られた感情ほど愚かで危ないものはない。
そんな想いで書かれた言葉も。
たぶん、おもしろくもない。
おもしろいってのは、とても深いなって思っています。
楽しいってのよりも。
好きってのよりも。
ずっと深いなぁ~って、そう思っています。
だから、味わうこと、味わうこと。
理解するのではなくて、味わうこと。
だからこそ、書かれなかった言葉はなんだろう?
俳句にしても。
文章にしても。
それを、私は、一番知りたいと思っています。
そのためにも、じっくり味わうことを、心からおもしろく楽しまないとね(^^)
そんな思いで、私の感覚で味わって、推しの一句とさせて頂いています。
「知る者は 好む者に 如かず 好む者は 楽しむ者に 如かず」
それが何であるにせよ。
「これを楽しむ」ことが、何かをやりとげる原動力になるように思います。
この俳句大会に参加されたみなさんは、俳句を楽しむことを、心から楽しんでいるんだろうなと、心から感じられるから♪
こちらまで楽しい気持ちにさせてくれます(^^)
人間にとって最大の喜びのひとつが「他人の喜ぶ姿を見る」ことだから(^^)
そんな光景が、この大会には溢れていて、たくさん見せて頂きました。
逆に、お礼がいいたいくらいです(^^)/
まあ~
これまで、へんてこりんな「勝手に賞」ばっかり出してますから^^;
あんまり私の言葉に説得力は、ないんだけど、ねぇ(^^)
でもね。
そんな思いで言葉と俳句に向き合い。
素人ながら「あなたの句は私の推しの一句でした!」賞を贈らさせて頂きました(^^)/
・
・
・
(つづく)
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