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【読書メモ】「月と日本建築 桂離宮から月を観る」宮元健次(著)(光文社新書)


古来、観月と日本建築は深く結びついていました。

なかでも、

・八条宮智仁親王によって創建され、「日本の美のシンボル」と称される桂離宮。

・斜陽の将軍・足利義政が晩年の情熱のすべてを傾けた銀閣寺。

・豊臣秀吉が「不死身」を祈って造った伏見城。

を語る上で、月の存在を無視することはできません。

日本文化に重要な痕跡を残した彼らは、どんな月を眺めていたのでしょうか?

「泣きたくなるほど美しい」

ドイツの建築家ブルーノ・タウトは、亡命先の日本で桂離宮を見て、このような感想を残しています。

さて、この本によりますと、桂離宮は、大変月に関係深いようです。

襖の引き手や欄干に月の字の意匠が使われていたり、

「月波楼(※1)」

「歩月(※2)」

「月見橋」

「月見台」

といった月に関する名称が随所に見られます。

※1:
月波楼とは「月は波心に点じ一顆の珠」という歌から採ったといわれており、池に映る月影に真珠のような輝きを見ていたかもしれません。
なぜなら、当時の人々の夜間の視力というのは、現在の私達とは格段に違ってしまっているはずです。
だからこそ真珠の輝きと形容されたのでしょうね。

※2:
月の光のあたる月下を歩くこと。
月の夜、風雅を楽しむために歩くこと。

また建物も観月を意識して、高床で軒の出の短い作りになっているそうです。

通常の寝殿造りでは、中心建築は南を正面にしているそうですが、なぜか桂離宮の主要建築である書院群は東南29度を向いています。

著者は、この東南29度が、創建時の中秋の名月の月の出の方角とぴったり一致していることを突き止めました。

さらに同じ年の春分、冬至の月の出は東南9度、東南54度で、春に用いられる「笑意軒」「園林堂」等の方位、冬に用いられる「松琴亭」等の方位とそれぞれ一致しており、あきらかにに月の運行を意識した構造になっているのです。

この本の内容は、建築についての考察だけではありません。

古来より日本では、月に対する関心が強く、離宮創建時も宗教的なものや、遊興としての観月が盛んに行われていたものの、こうも月にこだわった離宮を生み出すほどに、八条宮智仁親王、智忠親王親子が月に魅せられた理由を探るため、二人の数奇な人生についても触れられています。

ところで、桂離宮の簡素な美と対照的と言えるのが、日光東照宮です。

あまりの過剰な装飾に、上述のブルーノ・タウトは、「建築の堕落」と言って酷評したそうです。

同じ時代に建てられながら、あまりに対照的なこの二つの建造物は、しかしかなり共通する人物達の手で作られています。

一体、何が両者に、こうも大きな違いをもたらしたのか。

著者は、

・勝者のシンボルとしての東照宮

・敗者のシンボルとしての桂離宮

という機能に注目しています。

前者は、北極星を、後者は、月を意識した構造になっているそうで、敗者と月のつながりが指摘されています。

銀閣寺を生んだ足利義政も、敗者として、月に魅せられた人物として取り上げられています。

乱世へと衰退してゆく幕府、大飢饉による荒廃などの現実に背を向け、理想の美的空間、銀閣寺の造営に打ち込んだそうです。

しかもその打ち込みようが尋常でない。

まさにルナティックなのです。

銀閣寺について、月との関係、構造の謎、西芳寺との関係などの考察は、非常に興味深いです。

書中、”再生”、”往生極楽”、”侘び”、”幽玄”、”未完”、”虚構”・・・月に関するさまざまなキーワードがでてきました。

これらはまた、桂離宮の泣きたくなるような美しさを成す要素でもあるのでしょうね。

では、日本人はなぜ月を愛でるのでしょうか。

著者は述べます。

「日本は湿度が高く、夕焼けや月がより美しく感じられる風土を持っている。

とりわけ夜間照明の未発達であった時代には、漆黒の闇に光輝く月は大いなる驚異であった。

ゆえに古来月を眺めることは、日本人にとってなくてはならない生活習慣の一部となった。

夜間照明としての月、暦としての月、信仰としての月。

月は日本文化の中に深く根ざして今日に至っている。

とりわけ、月は花鳥風月に取り上げられる通り、自然の中で最も重要な芸術の題材の1つともなった」

さらに著者は、次のように日本文化と月について述べます。

「西欧では観月の風習はほとんど見られない。

日本人にとって観月は、信仰と遊興をかねそなえた風習であるとともに、自然と人生を結びつける行為の1つであったといってよい」

「日本において古来、『月待ち』という風習を行なうのが常であった。

すなわち特定の日に集団で飲食を楽しみながら月の出を待って拝むのである」

本書の記述でとても刺激的だったのは、「楼閣建築の誕生」について述べられたくだりでした。

日本独特の風習である月待ちは、日本の庭園建築における観月の文化を育てました。

中世の庭造りのバイブルとして知られる「作庭記」には、床が高く軒の出が短い建築を「楼」といい、楼とは月を見るための建築であると定義しています。

【参考図書】
「「作庭記」の世界―平安朝の庭園美」(NHKブックスカラー版)森蘊(著)

「日本庭園学の源流『作庭記』における日本語研究―影印対照翻刻・現代語訳・語の注解」萩原義雄(著)

何故軒が短いのかというと、中天した月を何物にも遮られることなく室内から眺めることができるからです。

また、なぜ床が高いのかといえば、月の出を一瞬でも早く見るための工夫なんですね(^^)

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