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「手軽さ」がRPSの自由を殺す

※20190405、ハッシュタグなどについて追記。なお、初っ端からシモい単語が飛び出しますのでご注意ください。


最初にひとつ、お聞きしたい。

あなたはもし、全く知らない人から、「あなたのことズリネタにしてます!」と言われたら、どう思うだろうか?


さて、note初投稿にも拘らず、しょてっぱちから訳の分からんだろう質問をさせて頂いた筆者だが、朝右衛門という名前でこれを書いている。同じ名前でtwitterもやっている。
中身は程々に年季の入ったオタクであり、また、近頃では腐女と呼ばれるようになった性癖もごりっごりに持っている。今は3次元同人と呼ばれる中でも、K-POPのあるグループをメインにのたのたと活動中だ。
この時点で「うわあ…」と思われた方、悪いことは言わないのですぐに回れ右なさった方がいい。あなたの為にも、私の為にも。

また先にお伝えしておくが、この話の中にはおはようからおやすみまでの間に役に立つような事は出てこない。夕方のタイムセールで得が出来るような情報もない。美容の助けになることも貯金が増えることも、もちろん体重が減ることもない。徹頭徹尾、RPSというものについての話である。
これまた長い話になると思うので、最初の質問の答えについては、最後にもう一度訊かせて頂ければ幸いだ。

RPSの意味

ではまず、皆さんはRPSという単語をご存じだろうか。
これは日本で言うナマモノ(nmmn)、3次元同人などの呼称と同じく、「Real Persons Slash」の略で、「実在の人物に対する個人的欲求を元にした妄想、また、それに基づく創作」を指す。
元々は映画やドラマの登場人物を対象に生まれてきた二次創作を指すが、少なくとも日本の3次元同人内におけるK-POP界隈では、RPSと言う単語の使い方はもっぱら「アイドルグループのメンバー間恋愛妄想」を指すことが多いため、この話ではそちらの意味で統一して話を進めることにしよう。

それでまぁ、このRPSという単語だが、例えば「RPS 鍵」などと打ち込んでtwitterでちょっと検索をかけてみると、そこそこヒットすると思う。何故かと言うと、かつての同人サイトやpixivなどと同様、twitterを「自身の二次創作の発表の場所」として使っている人たち、そしてそれらに関して言及する人たちが多いからである。

つまりは好きなカップリングの名前と並べてこの単語を打ち込めば、私も推しカプの作品が眺められる訳で、腐った身としては願ったり叶ったりの環境と思われるかもしれないのだが、今のところそのために検索をしたことはまずない。

なんでかと言われたら、RPS、つまり3次元同人における二次創作物は、そのおおもととなる妄想ツイートを含め、本来であれば絵でも文章でも、検索してさくっと読めたり見られたりしてはいけないものだからだ。
Rのつくような作品(年齢規制作品。二次創作の中では往々にして、性的描写が含まれる内容であればひとまずR18とする傾向にある気がする)ならなおさらである。本来、二次元ジャンルの作品でも同じことが言えると思うのだが、その点はひとまず置いておく。

そうは言っても特にK-POP界隈では、現在では半分位その前提が通用しない。どんなふうに通用しないかの一例を、下にちょっと並べてみようと思う。

アイドルを対象とした個人の妄想、またそれに基づくメンバー間(中には他グループのメンバーと絡ませたり、モブと呼ばれる第三者と絡む場合もある)の恋愛描写・性的描写のある文章や絵が、twitterをメインにpixivなどでも何の制限もなく見られる。

●そう言った作品を冊子にしたものの配布・販売告知などが、二次創作活動をしていないようなファンのみならず、その他大勢にも見られることを希望している(最近で言えば「#平成最後の~」など、多数に見られることが前提になるようなハッシュタグをつけた)状態で出回っている。

●特定のカップリングに関するアンソロジーの執筆陣募集・発行告知・更にはネットプリントでの印刷という形などでの発行を、これも不特定多数が見られる状況で周知する。

二次創作作品で冊子を作成する際、同人誌即売会のような二次創作専門のイベントに参加するのではなく、応援しているアイドルのコンサート会場の一角でBL描写のある冊子を配布する。その冊子に関するアンケート、配布を希望する人数の数量調査なども、鍵なしで行われる場合が非常に多い。

などなど、書き連ねておきながら剥いた白目がちょっと戻らなさそうになるのだが、やはりメインとしては「鍵をかけないアカウントで二次創作を公開している」という事態が多数を占めた結果がこうなっていると言える。

ここでひとつ誤解しないで頂きたいのは、K-POPの二次創作に携わる中でも、きちんと公開範囲を限定して公開している方もいらっしゃるということだ。
サイトがパスワード入力制、あるいはURL申請制であったり、pixivであればマイピク限定公開にしたり、鍵垢ならそもそもフォロー申請をして許可されなければアカウント自体が見られない。また、上記のような公開形態にする際、予め検索避けを施しもする。RPSという作品の性質上、二次創作を公開するならば、こういった手順を踏むのが筋と言える。

ならなぜ、その手順を踏む人と踏まない人がいるのか。これに関してはRPSを取り扱うということの意味と、その結果生まれてきたルールやマナーの必要性を理解しているかいないか、或いは知っているか知らないか、ということで分かれてくるのではと思われる。

では、「実在の人物を対象にした個人的欲求による妄想や、その結果の創作物(RPS)を作成し取り扱う」ということは、そもそもどういうことなのか。

例えば、あなたが

興味を覚えてくれたか暇つぶしに見つけてくれたか、いずれにせよこの文章を見てくれているそこのあなた。あなたが、RPSの対象になったとしよう。

その場合、あなたはあなたの同僚、友人、同級生と言った間柄の相手との関係を勝手に妄想され、興奮され、創作される。実際の関係がどうあろうがお構いなしだ。しかも、妄想している当人は大してあなたと親しくないどころか、見ず知らずの人間である可能性すらある。
そしてそれを何も制限せずに公開されたとしたら、あなたとその誰かが写っている写真に、実際はまったく事実とかけ離れた会話文やストーリーが添付されて出回ったり、そこから出来上がった絵や文章には、恋愛描写のみならず性的描写まで含まれることがままある。それは妄想した当人やその周囲にとどまらず、見ず知らずの人間にめちゃくちゃ拡散された挙句、もしかしたらあなたやあなたの友人、同僚、同級生の目に入ったりする。
まったくの悪意なく、ただ「めっちゃ萌えて書(描)きたいから書(描)いたよ!」「この二人萌えるでしょ!」「こんなに仲いいってデキてるってことだよね!」というような、発信側のはなはだ一方的な言い分と一緒に。

とまぁ、あなたが男性であれ女性であれ、だいぶ怖いと言うかなかなかのセクハラと言うか、まずいい気分では居られない展開になると思うのだが、いかがだろうか。

こうしてみると極端な書き方ではあるが、RPSというのは、原則として、生身の人間に自分のたいそう個人的な欲求をぶつける行為と言えると思う。

冒頭でとんちきな質問をさせて頂いたのはそのせいでもある。
もちろん極論であるし、ズリネタが人に限らない人もいるだろう。とは言え、RPSの創作、あるいはそれのおおもとになる妄想をしているという事を前提とすれば、個々人で認識は違えど、「自分の満足のために他者を使った妄想をしている」という点では少なくとも通底しているのではと、私は考えている。

What is love?

そしてこういったRPS作品は、絵であれ文章であれ、概して作成者の推し、つまりK-POPで言えば好きなアイドルグループの中でも作成者が取り分けハマっている子、が主に書かれたり描かれたりする率は高いと思うのだが、そこで訊きたい。

鍵なし垢で推しに関するRPS、またはRPS要素を含む妄想を無制限に公開している方は、推しにセクハラしたいんですか?と。

もちろん反論なさる方もあるだろう。この二人が好きだからみんなに知ってほしいとか、同じメンバーの組み合わせが好きな人に見てもらってつながりたいだとか、中には、自分の作品が色んな人の目に触れて推しやグループの名前が広まれば、結果的にファンの獲得につながるからいいんだと言い切っておられる方もあった。なるほどなるほど。

でもそれ、RPS要素の無い(ここではメンバー間の恋愛・性的妄想が入らないことを指す)FFやFAでも出来ることですよね?

実際、アカウントをRPS要素の無い表垢と、作品や妄想ツイートを載せる裏垢に分け、裏垢には鍵をかけて、⚫⚫(例えば好きなカップリング名などを入れて)についてそういったお話がされたい方はこちらにお願いします、と誘導している人もいる。
中にはFF(ファンフィクション)やFA(ファンアート)という名称がRPSと混同されているパターンも見かけるが、FFやFA=RPSとは限らない。メンバー間の恋愛・性的妄想が入らなくとも、FFやFAは成立するからである。3次元同人の二次創作は、RPS要素ありきで成立するもののみではないのだ。

なお、K-POPはそもそも公式がカップリング売りしてるじゃんとか、本人の目に入るかどうかわからないという意見も一定数見かけるが、運営のカップリング売りは当人たちにとって「仕事」であり、そこから個々人の頭の中で勝手に派生した妄想までも有名税の一部として容認し、歓迎して当然と言うのであれば、その言い分はサセン(芸能人の私生活までを侵害して追いかける、過激なストーカーのようなファンを指す)のそれと変わりないのではないだろうか。
また、本人の目に入るかどうかわからないという言い分は、いつ本人の目に入ってもおかしくないと同義であることを記しておく。twitterのアカウントを持っているアイドルは決して少なくないし、推し本人がもっていなくてもメンバーが持っていたりもする。単なる確率の問題である。

自分なりに応援するつもりでツイートしているんだから煩いことは言わないでほしいと言う方もおられる。なるほど確かに応援のかたちはひとそれぞれだ。好きでやっていることに口を出すのは野暮というのも一理ある。

そこで一つ訊きたいのだが、みなさん、#●●で妄想、などというタグのついたツイートを見たことがないだろうか。
これはK-POPでRPS的な妄想ツイートによく使われているが、これに限らず、本国(韓国)でメディアなどが主催する音楽祭のための投票用タグや、直接的には関係がなさそうであるものの、不特定多数に見られるだろう事が予想されるタグ(最近で言えば「#平成最後の●●」など)を用いてツイートされているものもある。
これらはハッシュタグというものの性質上、当然ながら、該当ツイートの拡散を目的として使われている。見てもらい知ってもらい広めてもらうのが目的なのだ。これはRPSという単語があらわす概念の性質と、真っ向から反するものになってしまう。

ではここで、さっきの例え話をもう一度持ってこよう。

援けに応えると書いて応援だが、あなたは、自分や自分の友人などを対象にして、まったくの第三者の妄想や性的嗜好を受けて好き放題に表現された作品を突きつけられた時、「ああこんなに私と●●の事を好いてくれているんだな」「この人はこんなにも私と●●の事を応援してくれているんだ!」と、好意や感動だけを感じて、それらを自分たちへの援けとして受け取り、応じることが出来るだろうか?

また、RPS作品の探し方が分からなくて見れない人がいるから、鍵をかけて見られなくするのは可哀想だとおっしゃる方もいる。逆に、「RPS知らないからツイで必死に探して見るしかなかったのに!鍵つけろって言ってる奴死ね!」という内容のツイートも拝見したことがある。

逆に聞きたい。
twitterで必死に探す前に、なぜRPSがどういうものか、調べることをしなかったのか。スマホもPCも手元になかったのだろうか。しかしtwitterは見れているのならなお不思議だ。ぐぐるてんてーに打ち込めば2秒で済んだのでは?と本気で不思議に思うのだ。

そしてそういった人たちがどうしても【あなたの作品】を読みたいなら、鍵垢だろうとフォロー申請したり、申請条件などがあっても熟読してメッセージを送るなり何なりすると思う。
その手間が面倒だ、それなら見られなくてもいいと省くなら、その人たちが求めていたのはあなたの作品ではなく、自分の好きなカップリングのFFやFAを簡単に見る事の出来る「手軽さ」だ。

また、上記のような意見をお持ちの鍵なし垢の方々の傾向として、RPSという単語自体に鍵やパスワード設定のような効果を期待して使っているのでは、と思われる状態もよく見かける。
要は、アカウントのプロフィールや固定ツイなどにRPS取り扱いなどと記載しておき、「この単語の意味が分からない人、嫌悪感を覚える人は当アカウントの閲覧をお控えください」という意図、またその旨を表記した文章とセットで使われることが多数見受けられるわけだ。
鍵もつけずパスワードも設定せず、自由に作品を公開しながら、また同じものを好きな人と繋がる余地を多めに残しながら、自分の作品を閲覧する対象を選別する。これは大変便利である。

とは言え、これは対策としては充分と決して言えない。「私は私の好きなことをしているだけ、あとは見る側の自己責任」と突っぱねるだけでは、ただの個人的な主張であって、RPSを取り扱う際の対策にはなりえないのだ。
ここにもある種の「手軽さ」を求める意識があるように思う。そこに生じる責任を認識せず、あるいは自分のものと思わず、好き放題に楽しみだけを追求できると言う「手軽さ」の幻想を。

そしてこれらの「手軽さ」が、結果的にRPSの自由をじわじわ殺していく。

殺す自由は誰のもの?

では、RPSの自由とは何か。これは二次創作物全体に通底することかと思うが、要は「自分の『好き』を好きなかたちで表現する自由」、ということではないだろうか。

「好き」という感情はとても個人的なものだ。そこから生まれる妄想も同じく、BLが好きでも百合が好きでも夢が好きでも、ただ好きでいる分には誰かに容易く否定し得るものでもされていいものでもない。その「好き」をどんな風に表現したいかということも同様である。妄想や表現を禁止しきることはできない。すべて個人の裁量の話だからである。

だがそれがいざ頭の外に出て、絵や文章と言った形をとって表現された、その後の話ならまた別だ。

そもそも二次創作というものは、その対象が2次元であろうと3次元であろうと、権利者にその存在を「黙認」してもらって成立している。決して、表立って歓迎されるものではない。
当然、その行為や創作物が公式、運営に帰属する権利を侵害する、或いは3次元なら本人たちの名誉を著しく損なうと判断されれば、権利者からは相応の措置をとられる可能性もある。
最近では、某子供向けゲームのキャラクターを対象とした成人向け二次創作に対し、会社が訴訟を起こした前例もあった。権利者が「二次創作の禁止」を通告した時点で、当然ながら創作活動は出来なくなる。

ここで言っておきたいのは、何が権利侵害や名誉毀損に当たるとして訴えるかは、権利者の判断に一存するということだ。

つまり、二次元でも三次元でも、二次創作をしている者が原作や公式や運営や本人から訴えられてしまえば、まず己の言い分が通ることはないと思った方がいい。「黙認」されたフィールドで成立している活動というのは、そういうことである。

また、現時点(20190402)時点ではK-POPとして独立したイベントは存在せず、大型イベントもオンリーイベントもJ禁などの他RPSジャンルと抱き合わせ開催のため、イベント開催に繋がり得る創作環境としてのK-POP界隈で何かあれば、他ジャンルにも迷惑をかける可能性があることも否めない。
そうでなくとも、「えっあんな危ないジャンルと一緒にイベント出来ないよ無理無理やめて外して」というような判断をされてのイベント中止もあり得る。そういった行動をするのはいくら一部のファンだけだと言っても、蚊帳の外から見れば、十把一絡げで「あのジャンルはファンのマナーが悪いどころか、3次元同人のルールすらろくに守らない」という判断をされても仕方ない。毒が一滴入ったコップの水をあなたは飲み干せるだろうか。そういう事だ。

とまあつらつら並べてみたが、今、二次創作を無制限で公開している人がこれらの事情を踏まえ、考えて、なお「私は何かあっても責任取れるもん」ということで、鍵もつけずプライベッターの公開範囲制限もパスワード設定もpixivの公開範囲制限もせず、時にはハッシュタグを使って、己の妄想や作品を自分ではコントロールできないネットの海に放流しているのだろうか?

個人的な見解だが、答えは絶望的にNOだと思う。自分たちの行動に責任が発生しており、何かあればそのジャンル全体が危険に晒されかねないのだ、と知らない節すらある。
そしてそれを誰かから指摘されたときの言い分として、非常に多く見てきたのは、「何で私だけ気を付けないといけないの」「だってみんなそうやってるじゃん」と言うことだ。更には意見した相手のやり口がおかしい、という声も出る。
たしかに人間なんでもハマった時は初心者だし、その時に見かけたやり方があちこちでまかり通っていれば、それがオーソドックスなのだと判断しても仕方ない。そしてその気軽さ、楽さに馴染んでしまうと、ルールやマナーは聞かされたところでただの面倒な雑音だ。また、意見するにも、その仕方によっては必要以上に攻撃的であったり上からであったりと、素直に聞ける内容であるか疑問の場合もある。そうなれば今の時点で問題が無いのだし、みんなやっているのだから余計なお世話と思うだろう。
だから鍵をかけないし、ハッシュタグも使うし、誰かの作品が本人たちの目に入るのを羨みさえする。
それでもまだ意見された時は、「RPS書(描)いてると結局叩かれるんだよねw」「注意するなら●●さんもでしょ」という言葉も出回るし、そう言った意見に賛同する人々もたくさんいる。

そういった言い分になる理由を分からないとは言わない。だが言っておく。オタクだろうとジャンルが何だろうと、個人の嗜好を理由に叩かれたり責められたりされる謂れはどこにもない。そしてそれは裏を返せば、叩かれる理由が「それだけだ」と思っていることに問題があるのだと。

二次創作に携わる上で自分自身の負うべき責任を果たしておらず、或いは責任を負う代わりに存在するルールやマナーを守らずに起きたことを、自分の嗜好そのものやジャンルのせいにするのは、只の幼稚な責任転嫁だ。転んだ時に「地面が悪い」と癇癪を起しているのと何も変わらない。

3次元同人の二次創作に携わるなら、知らないでは済まされない。知らないのならば、知って欲しい。

そして、「別に未練ないから今が良ければそれでいい」「アカウント凍結されてもまた作るから別に構わない」「ルールやマナーよりも今の楽しさと手っ取り早く承認欲求満たされる方が大事」「名前も名乗らない意見とか聞く意味ないし」と考えて行動しておられる方。

率直にお伝えするが、あなた方の未練はどうでもいいし、凍結されようとアカウント閉鎖をされようとかまわない。あなたたちが好き放題やった結果のリスクがあなたたちだけのもので済むなら、そもそも最初からこんな記事は書かなかった。
それでも悲しい事に、あなた方のふりまくリスクはあなた方だけのものではない何かあった時にあなたたち本人が活動をやめたり、二次創作をしなくなるだけでは、何一つ解決しなくなる火種を撒いていることを、そして焼け野原になった時に迷惑をこうむるのはあなた方ではなく、マナーやルールを守って二次創作活動をしていた人たちだということを、頼むから知って欲しい。
そのリスクを知った上で、公開範囲を制限するかしないか、改めて考えることだけでもして欲しい。

どんな形であれ、自由には責任が伴う。だが、個人でとり切れる責任などごくわずかなものだ。なにかあっても責任をとれないからこそ、何かを起こさないためにルールやマナーがある。
3次元同人でいう所の、「RPSを取り扱うのであれば公開範囲を制限し、その作品は本人や関係者、また一般人の目に触れないようにする」という不文律は、そのために出来てきた。「自分の『好き』を好きなかたちで表現する自由」を少しでも守るために、先達の方々が作り上げてきた防衛策だ。

何度でも言うが、「好き」そのものはそれだけで否定されたり迫害されたりしていいものではない。ただ、その取扱いにおいては配慮と注意が必要であるというのはどんなジャンルでも共通と言える。

極論として、何をズリネタにしようと個人の自由だが、例えば学校や会社で、或いは駅や空港などの公共の場所で、「このAVマジ抜ける!」と雑誌なりDVDなりを掲げて大声で叫んでいる人を見て、あなたはそれを当然だと思い、好意的に受け止めることが出来るだろうか。まして掲げられているのが自分の雑コラだったらどう思うのだろう。3次元同人の二次創作における節度の必要性とは、そういうことに起因する。

その節度を怠ったり無視をするのであれば、結果的にあなたの行動があなたの「好き」を軽んじられたり拒否されたりする原因を作っているし、「好き」の対象や同じものを好きな人たちまでその風評に巻き込むことになる。他の誰かが同じことをしているからと言って、あなた自身がルールもマナーも守らない人になっていることに変わりはない。

「知らない」「面倒」「いちいちそんなことしてたらフォロワーさん増えないし」と踏み越えるなら、その時点で自分の推しや推しへの愛情よりも、自分の承認欲求や「手軽さ」を優先したと何が違うだろう。その時点で、自分が好きなのはRPSの対象になったアイドル達やそのグループではなく、「自分の好きなフィールドでちやほやされる自分」ではないか。

こうした意見をあなたたちに伝えたのは私だけではないのでは、と思う。
だが、名乗らないことで伝わらないと仰せだったので私は名乗った。ルールを守らなくてもマナーより承認欲求を優先しても、私達に意見するなら礼儀を尽くせと言うから名乗った。あなた方はどうされるのだろう。

好き=正義とは限らない

もちろん私にも推しはいる。可愛いしかっこいいし綺麗だし、そのプロフェッショナルぶりと一貫して努力を怠らない姿勢は北極星のごとき人生の指針として尊敬する部分も多々ある。それと同時に推しで妄想もしている。友人と萌え語りしていれば時間がどれほどあっても足りない。本だって何冊も出した。だが、それはあくまで「私個人の楽しみ」だ。特に後半。

そこははき違えてはいけない。私が推しに声に出して望んでいい事は「美味しいもの一杯食べてあったかい布団でよく眠ってね!」くらいであって、自分の楽しみに帰属する内容を「私個人の楽しみを認めて!褒めて!許容して!!」と投げつけるような真似はしたくないし、すべきでないと思っている。そして、その欲求を当然のように振りまくことが彼らのファンには「普通」で、彼らを好きな故だと、RPSが何かを知らずにそれに触れてしまう誰かに誤解させる真似も同様だ。

そもそも、Twitterは決して「三次元同人の二次創作を公開する場所」として適切なフィールドではない。元より拡散力に特化したコミュニケーションツールであり、本来の目的は「見せることでつながること」だ。対して「(同好の士以外の)人の目に触れさせない」という前提で成り立つ二次創作活動とは、前提から水と油レベルに混ざれない。

だからと言ってTwitterをはじめとしたSNSでの創作をやめろと言うつもりは毛頭ない。2次元であれ3次元であれ、今となっては創作の窓口になっている部分もあるだろう。
だからこそそこをどうにか混ぜて成立させたいなら、マヨネーズで言う卵のように、せめて何かつなぎが必要で、今回の話ではそれが鍵に当たるのではと私は思う。酢=二次創作、油=Twitter、卵=鍵、というような。

誤解のないように言っておきたいのだが私は酢そのものも好きだ。料理にもよく使う。ただそれを「美味しいでしょ!」と人が食ってる料理に無断でぶっかけたりはしないし、まして蓋を開けて周りの人に向かって振りまくこともまずしない
服についてしまえばそれは汚れでしかないし、料理にかけるにしても酢の匂いや味が苦手な人や嫌いな人、噎せてしまう人がいることも考えればわかるからだ。あくまで私個人の好みとして成立するものを、他者に押し付けるのはお門違いなのである

最後に

ここまで長々と書いてきたが、結論として、RPSという単語は、それさえ書いておけば個人の承認欲求を手軽に満たすための免罪符になるものではない。推しに対するセクハラになりかねない行動や言動を、正当化するための言葉でもない。

そして、個人がそれぞれに持つ「好き」を、自由に表現するための場を守るべく積み上がってきたルールやマナーを蔑ろにして、好き放題やってもいい理由には、決してならない。

以上を踏まえ、もう一度、最後に訊きたいと思う。

あなたはもし、全く知らない人から、「あなたのことズリネタにしてます!」と言われたら、どう思うだろうか?
或いは自分のズリネタを公衆の面前で公開し、自慢し、いかにヌケるかを大声で説明することは出来るだろうか?
そして、同じような内容のあなたの言葉がどんな形であれあなたの推しに伝わった時、それを愛情や応援だと言い切ることは出来るだろうか?

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