「ベイトマンニュース」お久しぶりです。素敵な出来事①
ずいぶんと時間が開いてしまいました。実は日本に里帰りしていたんです。
日本に帰る前は「日本に帰っても書こう!」と意気込んで、いそいそラップトップも詰め込んで帰ったんですが、いざフタを開けてみるとそうはいきませんでしたね。忙しかったのもあるけど、とにかく気持ちが興奮しっぱなしで落ち着かず、全くブログに向き合うことができませんでした。
さて、先週ようやくスコットランドに戻って来て、すぐに仕事に戻って怒涛の日々を過ごし、今になってようやく、やっとのことでしまい込んであったラップトップを開けた次第です。
今からまた私が日常で感じたことをサクサクと書いていくわけですが、めいっぱい充電された日本への里帰りのことを書く前に、まずは旅行前に起こった素敵な出来事について書いていこうと思います。
それではまたお付き合いのほど、よろしくお願いします。
(「素敵な出来事」と書きましたが、そこにたどり着くまでには、まずはしんどい出来事についても触れないといけません。今回はちょっとしんどい事を書きますが、ご了承ください。)
私が生まれ育った日本の家族は、両親と姉、私の典型的な普通の日本のサラリーマン一家です。父は銀行員。真面目で仕事一本で、普段はほとんど父の姿を見ることはありませんでしたね。週末久しぶりに父を見て「あ、お父さん、久しぶり。」なんて声をかけるのが当たり前でした。そんな忙しい父を支える母は専業主婦。子育て、義両親のお世話を一手に引き受ける、これまた典型的な日本の母でした。姉とは2歳違い。これまた普通の姉妹で、幼い頃は仲も悪く、よくケンカしましたね。笑。
まぁこんな感じで、とにかく普通の、別に特別なことは何もない、典型的な日本の家庭で私は育ちました。
そんな普通の家庭に大きな風穴を開けたのは、姉です。姉が高校3年の時に交換留学生としてアメリカのバイセリアというカリフォルニアの小さな町に行ったことで、その後の私たち家族の人生は大きく海外に向かって開いていくことになりました。
姉はそこで一つの家族に出会いました。その家族はおじいちゃんおばあちゃん、父母、(孫)娘2人の、まぁ私たち一家と似たような家族構成の家族なんですが、姉はとにかくこの家族に、ものすごく気に入られ、可愛がってもらったんですね。そしてその後、私たちはお互いの国を行き来し、家族ぐるみで親交をどんどん深めていきました。
このアメリカの家族は、ほんまにすごいんです。もともと「優等生タイプ」ではなかった姉を、厳しくて硬い父を、ふわふわして明るい母を、そして完全に未熟やった私を、完全にそのまま丸ごと「それでいい」と受け入れてくれ、全身全霊で愛情を表現してくれる一家やったんです。いやぁ、そんな風に真っ直ぐ真正面から愛情を表現してもらったことがなかった「日本人」の私たちには眩しく、恥ずかしいほどでしたね。でもほんまにうれしかった。暖かかったです。
そんなアメリカの家族とは、家族ぐるみでのお付き合いが長く続きました。定期的に、そしてかなり頻繁に行き来をし、姉の結婚式にも、私が結婚した後にも、私たちやアメリカの(孫)娘さんたち2人に子供が産まれたあとも、お付き合いは続いていました。
そんなある日、このアメリカの家族に大きな悲しみが訪れました。
ある日突然アメリカの(孫)娘さん夫婦にできた小さな娘2人と、(孫)娘の両親の4人が飛行機の事故で一度に亡くなったんです。この出来事をこうして文章に書くのを今でもためらってしまうほど、私たちにとっても信じられない、ショックな出来事でした。
どうやって乗り越えたんやろ。いや、いまだに乗り越えられていないかもしれない。いまだに受け入れがたいほどの大きな、辛い出来事でした。
突然幼い2人の娘と母親を同時に失った(孫)娘のKの気持ちを想うと、本当に胸が苦しくなります。それは私の想像を遥かに越えた、苦しい、苦しい、時間であったやろうな、と思います。
事故後しばらくしてから、K夫婦はもう一人子供を授かることを決意しました。そして男の子を出産し、その後の人生を歩んでいくことになります。
ごめんなさい。今回はここで一旦終了しようと思います。こんなショッキングな話ですが、必ず素敵な話へと繋がっていきますので、どうぞお楽しみに。できるだけ早く続きを書きますね。
次回に続く
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