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ミュージシャンなんてもう言えない 2021.05.08

【本日の自家焙煎珈琲】
ゲイシャG2
珈琲を飲みながら本日も綴ります。

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『あの頃の誓いがね、どうやら忘れられているようで。』

僕が過ごした青春時代はCDが全盛期のころ。沖縄系が強くて、モー娘。が最強で、ビジュアル系が絶対正義でTKが制覇していたころ。

その少し前はチェッカーズやBOOWY、X JAPAN、THE BLUE HEARTSなどの伝説的なバンドやユニットなどが、おそらく僕らが触れてきた世代の音楽シーンの先駆け的存在だった。

その世代よりもう少し前、歌謡曲と言われていた時代の音楽を、まだまだティーンの自分たちは「古臭い。大人はなんでそんなのが好きなのか」と思っていた。どう考えても今流行の音楽がかっこいいに決まっている。歳をとったって、かっこいいものがかっこいいのは当たり前だと。

当然大人たちはその流行りの音楽を見て聞いて「うるさい音楽だな」と吐き捨てるように言う人もいたけれど、僕ら若者はジジイの言ってることだと無視を決め込んだ。

青春時代が過ぎ、20代前半。まだまだ色々なことが可能な年齢だ。
そのころELLEGARDEN、10-FEETなどのオルタナティブや、PIZZA OF DEATHの面々が台頭してきていて、落ち着いてきたビジュアル系と入れ替わっていた。

青春時代に触れた音楽が少し前のBOOWYやXなどがメインだった僕は、どうにもこのオシャレなメロコアなどの音楽がなんとも居心地悪く、食わず嫌いをしていたりした。少し遅れて聞くようにはなったものの、周りのすでに当たり前な温度感にはなんともついて行けてないのは分かっていた。

やはり青春を過ごしたモノこそ正義で、なおかつ最高に憧れた氷室京介という人の代名詞「孤高のボーカリスト」という存在のせいか、僕は少しずつ道をそれながら何故か天の邪鬼になっていった。

気づけば音楽フェスなどには乗り遅れ、たまに付き合いで遭遇するも「自分それではしゃぐタイプではないので」と斜に構えていた僕は、どれだけ滑稽な姿だっただろう。

はしゃがなくなった僕は友人とカラオケに行っても選曲が変わっていた。歌唱力を高めたかった僕は、気づけばバラードしか歌わなくなっていった。

バラードを歌い始めると、歌謡曲の素晴らしさに気付き始めた。60年代から80年代のものの良さに気付き、なおかつ德永英明がカヴァーしたシリーズは大当たりし、そのラインナップを自分のモノにしはじめた。

そして時は過ぎ。
ミュージックステーションをぼんやり見つめた昨日の金曜日、久々のタモさんだった。
だいぶ様変わりしたMステに感心しながらも、冒頭の特集を見て急に恐ろしくなった。

ランキングの内容が全く意味がわからない。
誰だ?何だ?どこで流行っているんだ?聞いたこと無いぞ?

天の邪鬼を限界まで突き抜けた僕は、ティーンの時に誓ったことなどとうに忘れ、あの頃のおじさんになってしまっていた。

ただ、救われたのはその楽曲たちのどれもが「かっこいい」のだった。
「あの頃の音楽が良い、最近の薄っぺらい音楽なんてわけがわからない」
なんてクソみたいな感情を持たなかったことに心底安心した。

インストールしたまま使ったことのなかったTikTokを起動して、クスクスと笑ったり、すごっ!と驚いたり。若者の恐れ知らずのクリエイティブなネタのオンパレードにMステが終わるまでどっぷり浸かった。

僕は最近は電子音楽をメインにやっているので、今ある程度の流行りや前提的なムーブメントは把握していたつもりだったけど、本当に動いている流行はもっと先に進んでいたし、Mステで流れている時点でもう少し遅れ始めているのだろう。

僕はもっと音楽を作りたい。昔の音楽が悪かったわけでもなんでも無い。ただその頃のまま止まっているようでは、音を楽しんでいるとは言えない。

どんなにクラシック音楽を奏でている若者だって、時代の影響を力に変えてどんどん進化している。King Gnuの常田大希を見れば一目瞭然だ。彼の作る音楽は常識を忘れさせる。

「古きを知り新しきを知る」という言葉があるのは知っている。だから、新しきを知り古きを改革することがアーティストには必要なのではないだろうか?

このままではミュージシャンと言えないところに向かっている。懐かしの音楽をコピーしてはしゃぐのはそれはそれで楽しい。しかし、僕は音楽を作る人だ、それで満足していてはいけない。

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