見出し画像

僕らはそれに抵抗できない【備忘録】

読んだ気で積読になっていた「僕らはそれに抵抗できない」を読んだので備忘録を書き残しつつ、アップデート出来る思考があったのでまとめながら書き記す。

読んでなかったことを後悔するくらい、実のある良書でした。
表紙にもあるように”「依存症ビジネス」の作られ方”の裏側にある人間の行動嗜癖(こうどうしへき)を軸に「人間の抗えない行動」について詳しく書かれており興味深い内容。
※2019年の書籍なのでちょっとだけ今と状況が違う部分もあるかも

「行動嗜癖」(こうどうしへき)は、主に心理学や精神医学の文脈で用いられる用語で、特定の行動や活動に対する強烈な欲求や依存症のような状態を指す言葉です。具体的な行動に執着し、それをコントロールすることが難しくなる状態を指すことが多いです。

ChatGPT

GPTに聞いてみると上記が出てきたけど、主には昨今のSNSやゲームなどスマホ社会の依存症についての内容が主体。
書籍では40%の人が依存症ともいわれ、誰もが無縁の話ではないという。

自分も依存症に片足を突っ込んでいる、もしくはどっぷり浸かっているかもしれないことを知るきっかけになった。
誰かがデザインした依存ビジネスにどのくらい抗えてないのかを知っているといないとでは大きな違いである。と、書籍を読んで改めて感じる。
その依存に「抗う方法」を自分なりにまとめてみたので参考になれば幸いです。

また、ゲーム開発者としてはその依存症ビジネスを作っている側でもあり、一定の方法論は知識として有しているが、その深層で起こっている人間の抗えない行動の深掘りは興味深い。
依存症と呼ばれる行動嗜癖を作り出すことの方法論や理解、また倫理観など、造詣を正しく深めておくことは作り手の責任にも繋がると感じた。

この記事の結論

書籍の内容をまとめようとすると膨大な時間がかかるので、そういった部分はゲーム開発関連記事の中で個別の展開に譲るとしてこの記事では2つの視点からまとめを記載したいと思う。

  • アップデートされた知見と考察

  • 僕たちは依存症と付き合いどう生きるか

「アップデートされた知見と考察」まとめ
・現代の生活を支配する「目標」という呪い
・フルマラソンを4時間1分で走るのは敗北であること
・好きであるかということ(好感) = 欲しいこと(渇望) ではないということ
・当たりに偽装したハズレは敗北という認識をもたない

「僕たちは依存症と共存しどう生きるか」まとめ
・自分の遠い将来に幸せになる確率を高める活動を積み上げること
・日常的に行い、仕組みによって習慣化すること

以下に解説していく。


【アップデートされた知見と考察】

現代の生活を支配する「目標」という呪い

人の生活が目標追求に支配されるようになったと筆者は言う。太古の昔の目標といえば生き残ること、生存のためでしかなかった。
しかし、現代では食べ物もエネルギーも豊富にあり、人は登山やマラソンのような生存に必須ではない苦行をあえて選びながら、達成の先に新たな目標を追いかけ繰り返す。往々にして目標を達成すればするほど達成の喜びが目減りしていく。と述べている。

この事実に対して改めて、「目標」とはなにかを考えさせられる。

身近な生活に置き換えるとわかりやすい。
例えば、私達はSNSで「いいね」をもらうことで承認欲求を満たし、フォロワーを増やすという目標を掲げ、たくさんの承認を得られるほど、もっと高い目標を掲げて際限のない目標達成を繰り返すこと自体が目標になっている。
インターネットを覗けば、存在することも知らなかった目標がたくさん見つかり、自分の意思に反して抗うことの出来ない目標を課せられるのが現代であり、それが目標という呪いである。と述べている。

ハッとなった実験
人は退屈するくらいなら電気ショックを選ぶ
何もしないでいるだけの実験で予め不快な体験としての電気ショックの手段を持たせ実験に臨んでもらったら、何もしないことに耐えきれずに不快であることが分かっている電気ショックを行った被験者が多かったとのこと。

穏やかな心地よさが一定期間続くとき、適量の苦痛で打ち破りたいと考えるのが人間。
この結果は非常に興味深い。
何かしらの刺激を求め続けるのが人であり、上述した目標もしかり、達成するために目標を課せられようとするのが人、何もせずにいられないに繋がってくるわけか。

脱線するがナヴァルラヴィカントさんの書籍の文章が浮かんだ。

「人間のあらゆる問題は、一人で部屋に静かにすわっていられないことから生じる」

この言葉はブレーズ・パスカルという人の本にある言葉とのこと

そういうことだったのか、と。

フルマラソンを4時間1分で走るのは敗北であること

フルマラソン参加者のゴールの記録データから言及されている内容。
キリのいいタイムの前にゴール者の人数が多くなっている現象として、キリいい目標設定した時間を切るためにがんばった結果であり、目標設定のパワーであると述べている。
タイトルにあるように、だからといって4時間のキリのいい設定タイムを超えたら敗北なのか、といえば決してそうではないはず。
なのに、人はそれをクリアすれば達成、敗北として感じる、自分が定めただけの目標であるにも関わらず。

ここにある学びは
目標を設定することというのは、達成することで次の目標をさらに求めてしまうということ。(一見悪いことではないように思える)
それは、永遠に満足出来ない旅であり、目標を達成出来ていない間は敗北失敗のストレスを感じ続けるという犠牲が伴うと述べている。

目標設定が必ずしも悪い訳では無いのだろうけれど確かに、目標を掲げるという行動プロセスに弊害があるという認識を持てたことは目からウロコだった。

改めて、ナヴァルラヴィカントさんの言葉が浮かぶ。

欲望とは「欲しいものを手に入れるまで不幸でいます」という契約を自分自身と交わすことである。

この言葉と繋がってくる。点と点が繋がるとなんだか嬉しい。


好きであるかということ(好感) = 欲しいこと(渇望) ではないということ

少し咀嚼しきれてないところもあるが
好きであるから、それを欲する。というのは至極当たり前のように考えるが、ここで主張しているのは、「好感をもつということ」と「欲すること」は別である。とのこと。

例として、ドラッグ中毒の人がドラッグによって得た快楽は脳が覚えているということらしい。
副作用としての苦痛やストレスがあり、ドラッグに対して頭では嫌悪感をたとえ抱いたとしても快楽中枢がそれを欲するのだという。
要は、嫌いなのにそれを欲してしまう。
渇望好感とは比べ物にならないほど排除しにくいという。

甘いものを食べると、血糖値の乱高下で眠くなったり頭がぼやーっとするのも分かっていて嫌悪感があるのに、糖分のあるものを欲しくなってしまうのはそういうことか、と理解した‥。
糖分はドラッグ並みの中毒性があるとも言うし、確実に抜け出さないといけない課題であることはここで認識した。

話を戻すと
「人間は意思決定するときに好きかどうかというよりも、欲しいという思いを優先させる」
この事実は心に止めておきたい内容だと思った。

ゲームに当てはめるとすれば、ガチャがまさに当てはまる。
キャラが別に強いかどうか関係なく欲しいという意思決定が抗えない行動を生んでいるのだろう。心当たりがある人も多そうだ。

ゲームに限らず多くのビジネスでこの特性を活かしほしいと思わせるデザインされた罠が多くあることは想像に容易い。いかに、脳の特性を理解し抗えない罠を避けることが出来るかは現代を生きる上で必要なスキルになっているのかもしれない。


当たりに偽装したハズレは敗北という認識をもたない

文中にあった例として
カジノにあるスロットマシンについて、かけた枚数によって、1回で賭けるライン数を増やし小さな払い戻しを出やすくしているゲーム上の仕組みがある。
これを「当たりに偽装したハズレ」と記載している。
実際に何かしら当たる確率が高くなるため、小役の当たり(実際はハズレと同義)が出やすい。
しかし、人はこれを当たりであると認識し、スロットマシンへの依存度を高めているとのこと。
実験の前提条件としてギャンブル経験が少ない被験者ということなので、多少熟練者では結果が変わりそうだが、本書では上述した好きであることと欲していることが違うという主張と同様に、当たりに対してたとえ偽の当たりであったとしても脳が勝ちと判断してしまうことに危険性があるとしている。

また、偽りの当たりだとしても、光るもの、演出、音などで装飾されると理性では分かっていたとしても脳は当たりと勘違いするとのこと。認知によって、良い結果として増幅されるのは本当らしい。

ゲームの世界でも過剰に褒め称えたり演出を豪華にすることで、過剰に成功を装飾することはセオリーとなっているのはこのためだ。

自分自身はこのド派手な演出に対しては、一部懐疑的に思っていたところもあったのですが
ビギナーズラックでの成功体験による脳が感じた認識は簡単に変えられないという事実を知り、脳が成功体験を覚え、判断を下していると考えると概ね納得した。思考では分かっていても脳が反応してしまうということか。

自分が起こしたアクションに対してド派手なフィードバックがあれば人はそれに依存してしまう要素となりえるわけだ。



そして【僕たちは依存症と共存しどう生きるか】

自分の遠い将来に幸せになる確率を高める活動を積み上げる

本書では長い目で見て幸せになる確率を高める活動をせよという。
前述した「目標を立ててはいけない」の解がここにある。
正直、遠い未来の幸せに向かって行動することは目標を立てることと違うのか、とは思うところがあるが
自分なりの解釈としては、行動嗜癖に陥り偽物の目標を目指してしまわないこと、他者との比較、デザインされた依存ビジネスなどに暗に設定された誰かの目標を目指すことを強いられていないかを問うことだと解釈した。

そこには、目標達成までの負の感情達成後の満たされない欲望繰り返されるだけだからである。

自分の人生は自分でコントロールせよ、そのために日々を犠牲にすることなく自分の意思で積み上げ生きよ。と。

日常的に行い、仕組みによって習慣化すること

手垢の付いた教訓ではあるが、この書籍の言わんとする文脈はちょっと違う気がした。
依存症から逃れ、かつ今を犠牲にせず、仮初めの目標に一喜一憂せず
習慣化する仕組みを構築し実行せよ。と考える。
まずは依存症となり得る行動からの断捨離。
そして距離を置く仕組みと積み上げやすい環境づくり。

この書籍が他と違うところは、目標という餌を掲げるなと言っているところ。その餌が感情の起伏を起こし、今を犠牲にしたり欲望を持ちすぎたりすることに繋がる、それは一種の依存的な反応なのではないか。

自分にとっては腹落ちする考え方だったので思考がアップデートされた感が多いにあった。


最後に

この書籍の気になった点として、書籍の終盤に向かいゲーミフィケーションを取り上げており、ここでは巷にあふれるゲーム要素を使えば良い行動を強化することが出来る。
といった内容について事例を含めて紹介をしており、それはそれで興味深い内容ではあるのですがゲーム畑の人間からすると理解済みの内容ではあった。

正直、ゲーミフィケーションは万能ではないし、依存症を作っているのもゲーミフィケーションと言えるわけで、良し悪しの両側面を持っている諸刃の剣でもある。
本書にも「だからこそ正しくゲーミフィケーションの力を正しく使おう」と書かれていた。

実際はそれを取捨し実行することが一番難しい。。ましてやこの依存症社会で自分で考え、良い行動を見抜き、設計し、実行する難易度は高い。

これが出来ないから、人は無限の泉に寄せられていくのである。
やはり「僕らはそれに抵抗できない」気がしてくるが

それに抗おうとする知識は手に入れることが出来た、気がする

自分にとって将来幸せになるであろう確率を高める活動を積み上げる
日常的に実行出来る仕組みを作り習慣化し、依存から距離をとる
行動嗜癖とよい習慣は紙一重

自分のために考え、書くこと、積み上げることは
己の糧にきっとなる。を積み上げる。
誰かの役に立つ、かもしれない。

苦手ながらも書くことを積み上げてみる。


ふとイチローの名言が改めて響く
「ちいさいことをかさねることが、とんでもないところに行くただひとつの道。」


長文、読んでいただきありがとうございました。

ゲームを作ることって実は一番血肉になるのはこういう知識だったりする

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?