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完璧主義の話

完璧主義という性質を持つ人がいる。

僕もそう。いや、そうでしたと書きたいけれど、、まだやっぱりそう。

完璧主義がものすごくひどい時は、チューバの個人練習中に

次のフレーズを外したらチューバの才能が無い
次の〇〇ができなかったらチューバをやめた方が良い

なんていう地獄の声を引き出して練習していたこともあった。
・・・もちろん練習なんて、チューバを吹くことなんて楽しく無くなる。

子供の頃は結構天真爛漫でよくヘラヘラしていたようで、今もだけど

小学校や中学校といった”比べられ始める”ところに行き始めてから完璧主義は顔を覗かせる。

試験で98点とってもその9.8割”も”取れたことだけ褒めるのではなく、あと2点惜しかったねと子供に言う、そうするとちゃんと言う通り「次は完璧に!次は完璧に!」その2点を、というか100点満点以外は成功では無いように思え頑張る。頑張れる人はね。

だから音楽なんていう正解のない世界では地獄が待っている。

完璧以外、100点以外、自分のことを褒めることができないから、それ以外はゴミのように思えてくる。自分を褒めることも認めることもできなくなる。迷子だ。

完璧な演奏なんてありえない世界なのだから、だから音楽家は一生勉強し、研究し、練習を続けていく。

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ある高尚な音楽家曰く「自分の演奏に満足した時が引退です。」だそうで
これは今もそう思う。もういいやって思うか、満足してこれ以上うまくなれないなって思わない限りね。

そしてその後、完璧主義をどんどん拗らせていくのだけれど、症状が良くなってきたのはほんの数年前からきっかけは簡単

自分が”完璧主義だ”と気づいたから。

完璧主義っていうのはもっと強烈な人のことだと思っていたし、自分なんてまだまだだと思っていた。それこそが完璧主義であった。

そこからは上で書いた、「間違えたらチューバを辞める」や「いつも自分を監視するような音楽への向き合い方」はやめた

練習をしていてその声なき声が聞こえてきそうな時は休憩をとったり軽い筋トレをして念みたいなものを払う。

録音や録画を見返すような研究の時も「ダメだった」点は探さず、もっと「よくできる点」さらに「よかった点」を改善できる点と同じ数探す

すると、幼い頃に感じていたような自己肯定感が戻ってきた

チューバも、指揮も、通訳も、喋りの仕事も全ていつも自分の中の何かが査定しているような感じがしたけれど、上の繰り返しにより

今、この瞬間に集中し楽しめるような時間が増えた

完璧主義は「完璧でなかったらどうしよう」という未来への不安まで今この瞬間に起こさせる。今この瞬間に一瞬後の不安を感じているためその「不安」は具現化する。そして予想通りの失敗したかのような世界がやってくるのである。

完璧主義、自分自身で気付きにくいが故に早期発見が難しいけれど
もし何かをしている時に不安や失敗の恐怖が襲ってきたらそれはもしかしたら完璧主義故かもしれない

軽減させる方法は上に書いた通り。

あと、実際

世界はそんなに大変ではない
世界はそんなに辛いものではない
世界はそんなに完璧を求めていない
世界の誰かになろうとしなくていい
世界には自分自身は一人しかいない
世界で唯一の自分自身、ありのままでいい
自分が失敗だと思っていたことを「成功!!!」と笑ってくれる人もいる
でもその反対ももちろん、ある
でも何よりも自分がやったことを成功にも失敗にもする最終決定権は
自分自身が持っている

親の教育がとか、誰かに何を言われたからとか、今こういう環境だからとか
色んな理由を持っていてもいい、でもその世界にずっといるのか

それともその世界にいることに気づいて、自分の新たな居心地のいい世界を作りにいくのかを決めるのは自分しかいない、誰も他人の世界、人生に責任は取れない

僕が過去に思っていた、きっと大変だろうなって思ってた世界は、実際はものすごく暖かくて幸せな世界だったこともある

完璧主義の目からはそうは見えないんだけど、完璧主義と気づけた目からは全然違う

これが、誰か今苦しんでいる人の癒しになりますように

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ご読了ありがとうございました。

河野企画史上最大の企画

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