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乃木坂46『帰り道は遠回りしたくなる』に、理不尽の中を清々しく生きる方法を感じた


乃木坂46の23rdシングル、『帰り道は遠回りしたくなる』が11月14日に発売される。
先日、発売に先行してMVがYouTubeで公開された。

今回はその内容を見ての所感を書きたい(このシーンの誰々がめっちゃ良い!みたいな話はありません)。

今年いっぱいでの卒業を発表し、今回がラストシングルとなる西野七瀬を送り出すように、歌詞は新しい世界へ踏み出す人の背中を押すものになっている。

一方MVでは、西野扮するごく普通の女子高生が、ある朝の些細な出来事によって2つの人生に分岐していく様子が描かれる。
学校へ向かうバスに乗り遅れないよう、必死にバス停へ走る西野。
ギリギリで駆け込み学生たちの注目を浴びながらも、無事学校へ向かう描写に続いて、途中でメガネを落としてしまい、バスに乗り遅れてしまうシーンが描かれる。
メガネを落とす/落とさないというごく小さな出来事が分岐点となり、ここから物語は2つに分かれて進んでいく。

メガネを落とさなかったルートでは、美大への合格を果たし、ごく普通の学生として、勉強や遊びに明け暮れる。
メガネを落としたルートでは、割れたメガネを手に呆然と次のバスを待っている西野に、芸能スカウトが声を掛ける。その後オーディションに参加し、合格した西野は、アイドルとしての日々を歩む。
パラレルワールドではあるが、別々の時間軸ではなく1つの時間軸に2人の西野がいるという設定で日々の描写が進んでいく。


2つの人生が最も大きく関わり合うのは、最後のライブシーンだ。

美大生西野がアイドル西野の所属するグループのライブを観に行く、というシーン。
ライブの最中、美大生西野はアイドル西野を見て、目の前のステージでセンターに立つ自分を想像する。一方、アイドル西野は美大生西野を見て、普通の学生として友達とライブを楽しむ自分を想像する。


ここで、考えてみたい。


そのとき2人はどんな感情だっただろうか。


美大生ルートとアイドルルート、どちらが良かったのだろうか。
平凡ながら、好きな絵に取り組み、友人たちと笑い合う毎日か、
華やかながら、過酷な練習や挫折に苦しむ日々か。

自分とは全く違った人生を歩み、自分にないものを持つ相手を目の前にして、どう感じただろうか。



その答えは、クライマックスで示唆される。

ラストシーンでは、ライブ終わりの大歓声の中、美大生西野とアイドル西野が互いに文字で感謝を伝え合い、笑い合って終わりを迎える。

感謝には、常に「あなたのおかげで」という意味が含まれている。
あなたのおかげでこう思えた、あなたのおかげでこうなれた…感謝にはいつもそういう想いが付随する。感謝とは、自分自身の現在地を肯定し、胸を張っているからこそ生まれる感情だ。

美大生ルートとアイドルルートのどちらも、この2人にとってはきっと等しく正解だった。自分とは違うルートを進んだ自分自身に羨ましさを抱きつつも、「そっち側だったら良かったのになあ」というネガティブな感情になっていない。自分の進んできたルートに対して「この人生で良かった」という気持ちが揺らいでいない。他人の人生と自分の人生、どちらに大してもも肯定感を持っている。


だからこそ、ラストシーンの笑顔は本当に清々しい。



僕にとっての人生の最大の転機は、中学受験をしたことだ。

当時まったく中学受験など考えていなかったが、6年生で同じクラスになった太見くん(仮名)に「受験しないの?」と聞かれたのがきっかけで興味を持ち、受験をすることになった。

その学校に入って得られたものは、今の自分の構成要素の大部分と言って差し支えないと思う。あの中学受験がなければ、今の自分はない。
当時の友人たちともよく会うし話すが、やはり彼らのことが好きだし尊敬している。彼らに出会えて良かった。今後の人生でもこれに勝るような出会いはないかもしれない。

そう思える環境があった学校に通えたのは、あのとき太見くんが声をかけてくれたおかげである。多分太見くんはそのことを覚えてすらいないだろう。でも、その些細なひとことは、僕の人生を大きく変えた。

太見くんと話していなかったらどうなっていたかは知らない。どんな人生になっていたのか、想像もつかない。
もちろんその学校に入ってすべてが上手くいったわけではない。それまでの友人たちとはなかなか会えなくなった。勉強でも部活でも悔しい思いを何度もした。大学受験では浪人もした。
それでもなんとか辿り着いた現在地は、道半ばながらも良いものに感じられる。あのときの分岐は、きっと正解にできたのだろうと思う。



人生は理不尽だ。理不尽に良い思いをすることもあれば、理不尽に悪い思いをすることもある。
そして、たったひとつの偶然で未来は大きく変わる。
誰かひとりの未来が変われば、その人に関わる全ての人の未来にも影響する。
風に吹かれた1本の樹の振動が、その枝葉に伝わりざわめくように、たくさんの人生が複雑に絡み合っている。

そんな中で「正解を選び続ける」なんてことをしようとしても、なかなかしんどい。何か思い通りにいかないことがあると、その選択は不正解だったと思えてしまう。その選択で得られたものもあるはずなのに、見えなくなってしまう。そして意味のない後悔に苛まれたりする。

でも、選んだ選択肢を自分の手で正解にすることはできる。
誰の人生にも大量の「たまたま」があって、未来は簡単に変わってしまうけれど、どの未来が良いかは誰にも分からない。だから今この道にいる自分だからこそできることや、その途中で得られたものを大事にすることが、選択肢を正解にする第一歩だと思う。


どういう道筋を進むことになったとしても、それが正解かどうかはその道筋を歩き始めた後の自分が決める。

そういう生き方は、清々しい。


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