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『スメル テリブル』

『スメル テリブル』

セーラは都内の葬儀屋でアルバイトをしていた。将来自分の身内が亡くなった時の為に万全の備えをしておこうというのがセーラの考えだった。

「大好きな家族が死んだら、わたし、挙動不審になったり発狂してしまうかも知れない。そんなの嫌だ!」

備えあれば憂いなし。若いうちから死という得体の知れない恐怖に対して自分の精神を慣らしておこうとセーラは考えたのだった。セーラは自分で自分の感情がコントロール出来なくなることを極度に嫌う傾向があり、周囲からは時々、「超完璧主義過ぎる」と言われてからかわれたりもしていた。だがそれもセーラの良い所でもあり、皆から愛される理由でもあった。

セーラは葬儀屋の仕事をとても気に入っていた。その厳かなセレモニーに心が落ち着き癒されていく実感があった。癒されると言っても、まあ、大して心が傷んでいたわけではないけれども。

そんな職場にちょっと風変わりな先輩がいた。中村さんというセーラよりも少し歳上の女性なのだが、仕事の帰りにセーラはセンベロでおごって貰った事があった。

「リスカって知ってる?」
ガヤガヤとした店内で中村さんがセーラに聞いてきた。セーラと同い年のリンちゃんも一緒に呑んでいた。
リスカがリストカットの省略であることはセーラはもちろん知っている。セーラはリスカなど一度もしたことがない。だが、その時一緒に飲んでいたリンちゃんは、日本の若者のメンタルヘルスについて興味を持ったらしく、色々と聞きたがった。リンちゃんはベトナムの留学生だ。リンちゃんは良く食べるし良く呑むし良く喋るし良く笑うし、一緒に呑んでいて楽しい人だ。

「最も重要な哲学的テーマは自殺です。フランスのカミュという作家がそう言っています」

とリンちゃんは言うのだが、

「それはかつてベトナムがフランスの植民地だったことと何かしら関係しているのか知らん?」

などとセーラは酔った頭の中で薄ぼんやりと考えていた。
でもリンちゃんは将来は薬剤師か看護師になりたいと考えていただけで、何処の国の植民地とかは全然関係がない。

「アムカとかレグカとかネクカっていうのもあるんだよ」

と中村さんが言う。
技を増やして喜ぶ人が多いのだと。
ゲームのキャラがバージョンアップしていく感じに似ているのだとか。
「職業柄、自殺願望とか希死念慮とかいったものに興味があるっていうか」
と中村さんは言うのだが、「職業柄ではなくて、それはただ単に自分の趣味なんじゃねえのかよ」とセーラは心の中でツッコミを入れるのだった。「仕事を理由にするんじゃねえよ」と。

中村さんには区役所で勤務している旦那さんがいる。結婚四年目だ。子供はまだいないがそのうちに作る予定だとか。でも将来自分たちに子供が出来たとき、子供のメンタルが崩壊してしまうのではないかと妙な心配をしている。こんなダメな世の中では、メンタルが崩壊しない方がおかしいのだとか。
「子供がメンタル崩壊?崩壊してんのはあんたでしょ!」とセーラはまた心の中でツッコミを入れつつハイボールをグイッとやった。

「旦那とは大学のサークルで知り合って普通に恋愛をして、周りから反対されるような事もなく普通に結婚して今は普通に生活していて、だから私には普通コンプレックス?みたいなのがある」

などと中村さんは言うけれど、普通コンプレックスなどというのは自分が幸せであるということの見え透いたアピールであったり、単なる言葉の置き換えに過ぎないことは何となくセーラには分かっていて、あえてツッコミを入れる事もなくスルーした。

中村さんはかなりSNSにハマっていた。お気に入りの検索ワードが「死にたい」とか「自殺」だと言うのだから、かなり病んでるなぁ、とセーラは思う。
「死にたい」と書き込んでいる人に対して、「山や海で遭難するとお金がかかるし捜索が大変」だとか、「ロープがないなら電気コードでも大丈夫」だとか 、中村さんはそんなリプばかりして、「これは一種の啓蒙活動」と言って憚らない。

「何だか取り憑かれてんなぁ。共依存じゃね?」とセーラは思った。SNSを通じて知り合った人の中で、今まで誰一人として死んだ人などいないと中村さんは言う。毎日毎日死にたいと書き込んでいる人がいて、どう言ったら早く死んでくれるのか悩んでいるのだとか。
本当に優しい人なのだ、中村さんは。

「他人から何て言われたら死にたくなる?」 と中村さんは聞いた。リンちゃんはさっきからトイレに行っていて戻って来ない。

人間にとって最も死にたくなるフレーズとは何なのか?
中村さんはそれが一番知りたい事で、その疑問が解明出来た時には中村さんにとっても人類にとってもとても大きな一歩となるのだとか。
中村さんは最強の殺し文句とは何なのかを日々研究し続けているのだった。

「何と言えば人を死に追いやる事が出来るかだって?可愛いふりして全く危ない思想を持ったお方だぜ、この中村さんは。将来は最強の母親になれるわ。てか、殺し文句って本来そういう意味なの?」

セーラは考えた。色んな答え方があるだろう。殺し文句を使う相手にもよるし、場所や状況によっても違ってくるのだろう。
だが今はそんなことを考えていても仕方がない。少し気が利いていて、より普遍的で自然な回答が要求されていると感じていた。

セーラ達のテーブルの上にはブリの照り焼きが置かれていた。
「スメル テリブル」
「えっ?」
「スメル テリブル」

中村さんは黙って少し意味を考えてから、とても陽気に笑い出した。

中村さんはちょっと変な人だったが、まあまあいい人だった。でも若くして大病を患い、呆気なく亡くなってしまった。まだ40歳手前だった。まるで何かに憑かれたような亡くなり方だった。葬儀屋で働いているにも関わらず、いや寧ろそこで働いているからこそなのか、「もっと生きている人ややる気のある人にお金を使わなくちゃダメだ」と生前から言っていた。中村さんの葬儀は彼女に相応しく極々簡素なものだったそうだ。


おしまい

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