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心配性って人生損じゃね?

こんばんは。

突然だが、皆さんや皆さんの周りに「心配性」な方はいるだろうか。

私自身は心配性とかけ離れている人間なのだが、大学の友人には心配性の友人も多い。まあその具体的エピソードとかは置いといて、本日は「心配性」について思うところをざっくばらんに書いていきたい。

(以下、初心者が書いた粗雑な文が続きます。読む方は覚悟を決めてどうぞ。また、あくまで私が思っていることを書くだけのNoteであり、私の考えが確実に正しいなどとは全く思っておりません!)

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余計なことを心配し、他人を気にし、一歩踏み出せず臆病に生きてしまう。これは、私が絶対に今後社会人生活を進めていくうえでしたくない生き方だ。なぜそう考えるか。それは私の小中学校時代のエピソードにある。少々長くなるが、ぜひ読んでもらいたい。

私自身、物心ついた頃には心配性だった。小・中学校時代は住んでいた土地柄もあり、やや荒れた学校に通っていた。そのため先生も崩壊しないよう必死の指導を行う。時には体罰を交えて。(当時は10年ほど前ゆえ、まだギリギリ体罰が許容されている時代だった)。そんな土地にも関わらず真面目に育っていた私は「先生に怒られないようにすること」「友達を怒らせないこと」だけを考えた小学校時代を送った。得たものは真面目に勉強したことで得た多少の学力と、当たり障りのないことを言う「薄く・広い」人間関係構築能力である。狭く深い現在の交友関係とは完全に真逆だ。

また、同級生の大半が同じ中学校に進学するため、もちろん中学にもやんちゃな生徒は多い。そのため「これをしたら先輩や不良に目を付けられるのでは」、すぐにそう考えてしまう癖がつき、それが悪化し「目上の人が言うことは全て正しい」と考える癖ができてしまった。これが中1。

ただ、私も人間。思春期はやってくる。行動にこそ出さないが、心の中で「先生のやり方は間違っている」と思うことが増えた。そして迎えた中学2年の冬に、事件は起きた。3年時の修学旅行で行く、企業見学の班決めのことだ。なんと、学年が荒れすぎた故に先生方が勝手に見学班を指定したのである。しかも、私の班は「真面目な学生4人と、学年1の不良」というとんでもない班だった。不良は当然のごとくぶち切れ、残された私たちもせっかくの修学旅行が台無しになることが確定したため不満しかない。こんなにもLose-Loseの班決めがあって良いものなのか。私の心の中に、人生一の怒りの感情が湧いた瞬間だった。

怒りに任せ、めちゃくちゃ怖い学年主任のもとに一人で向かい、

「こんなの誰も得しません。先生方は不良と優秀層を同じ班にすれば不良も真面目に動くと思っていると思いますが、絶対逆効果です。途中で不良同士で固まり、取り返しがつかなくなるに違いないです。もうそれならいっそのこと不良だけを集めた班にしてください。」

そう言い放ってしまった。このような趣旨だったが、おそらく当時は中学生ゆえ、もっとぐちゃぐちゃな主張であったと思う。また、明らかに言いすぎであり、先生方の苦労も知らないのに利己的な主張をした私が悪かった。

当然、その先生には部屋中に響き渡る声で怒鳴られた。私が先生の立場だったら当時の俺をボコボコにしていると思う。笑

これが、私が中学2年生にして人生で初めて「心配」を打ち破り、「行動」したエピソードである。このエピソードは人生の恥ずかしいエピソードランキングで上位に入るが、それと同時に人生のターニングポイントとなったエピソードでもある。一番怖い先生に立ち向かい、(めちゃくちゃな論理ではあるが)自分なりの主張をすることができた。当時の先生には本当に申し訳ないが、今の自分の行動力を醸成してくれたのはこの出来事があったからだとも思っている。

それからは、高校・大学と「周りの目を恐れずに行動すること」を大事にして生きてきた(具体的なエピソードはここでは省略)。もちろん、他人に迷惑がかかる言動は倫理的に良くないのでそこは気にしつつだが。そして、これからも「怖がらずに何でもやっていきたい、挑戦していきたい」という抽象的な人生観ができた。私が入社する予定の企業は、典型的なお堅い日系企業だが、そんな環境の中でどう自分らしく挑戦的な人生を送れるか。そこにワクワクしている。積極的に・チキらずに行動し続け、「会社史上初」となる何かを成し遂げることが今の私の大目標だ。

そんな考え方をしている今の私だからこそ、周りにいる「心配性」たちに腹が立つことも多い。また、大学の雰囲気(田舎の国公立)的にも安定志向で勝負しないタイプの人が非常に多いようだ(インターンシップや企業の方からのお話を聞いて知った)。「たった一度の自分の人生、勝っても負けても挑戦してみた方が楽しくね?」と安定志向の周囲を見てそう思いつつ、人には人の生き方があることを頭に入れ、口に出さぬようぐっとこらえる。自分のやり方を他人に押し付けるのは、自分もされたら嫌だから、。

ただ、あらゆるジャンルの本を読んでも「行動しない人が成功した」なんて話は少なくとも私は聞いたことがない。だから私は、今後も自分の中の「心配性」を打ち破り続け、ハチャメチャな人生を送り、最高だったなと思い出にふけりながら人生を終えたい。

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最後までお読みいただいた方がいましたら、ありがとうございました!

今後も「行動」「主張」を大切に、日々を生き抜いていきます。

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