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📒肩書きより大切なもの。

人は様々な肩書きをもっています。

ある会社の社長。
ある分野に精通するプロ。

博士とか教授とかメダリストとか資格保持者とか、いろいろ。


肩書はその人が努力をして獲得した地位や資格。素晴らしいものには変わりはありません。
社会的な信頼もあるし、わかりやすい指標の一つです。肩書きがあればなにかと頼みやすい。絶対的な保証があります。


しかし、その肩書きに自分が安心してはいけません。


昨年、私はスポーツカメラマンのはしくれになりました。キャリアは全くといっていいほど足りません。仕事と趣味とでは撮影方法も向き合い方も違います。プロという称号をいただいたとはいえ、甘んじてはなりません。

大切なのは常に『自分の腕』である。

撮影を仕事にできたことに喜び、プロという肩書きに甘えてしまったら成長は止まります。伸びしろはないでしょう。肩書きを得たことで、より一層精進しようという謙虚な気持ちが必要になります。いや、むしろ大前提です。

肩書きやキャリアや称号は、自分が培ってきた技術そのものです。通過点であって、とっておしまいということにはなりません。絶対にです。

むしろ肩書きをゴールにしてしまったら、それ以上の力は得られません。衰退するのみで、進歩は望めません。胡坐をかき、変化や進化を拒めばそれまでです。

肩書きは相手への信用につながるもの。自分への安心材料にしてはなりません。

手塚治虫さんの代表作であるブラックジャックでも『肩書き』について触れています。


「あいにく私は 賞とか肩書きとかが 大っきらいでねえ」

手塚治虫 作 ブラックジャックより抜粋

医者という肩書ではなく、自分という『人間』で勝負をかけています。大事なのは常に己であることを作中で伝えているのです。

カメラマンだから依頼する。

ではなく、

かなねーさんに頼みたい。

自分の腕を評価してくれるといいますか、私という人間に任せたいと思っていただける人材でありたい。そう考えています。だからこそカメラマンの肩書に自分が安心しない。

もっと上手くなりたい。
自分の満足する一枚を残したい。
写真の先にいる、多くの人に喜んでもらいたい。


誰かを勇気づける作品になれたらいい。
その瞬間をとらえるために、私は今日もシャッターを切ります。


もちろん力を入れすぎず。他人を軸に考えるのではなく、あくまで矢印は自分に向けます。自分がどうしたいか、どう考えるか。その先にお客様や人がいることを念頭に置きます。肩書きに甘んじない。頼らない。それは自分を戒めるためです。

謙虚な気持ちをもって、これからも着々とキャリアを積んでいく所存です。







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