見出し画像

⚾️結局、どれだけ選手と親しいか選手権で『優勝』したいだけ。

物凄く皮肉たっぷりなタイトルができあがった。

が、

それだけ根拠というか、理由があるわけだ。

野球を見に行って何年経ったか数えるのも面倒くさい。弟の野球にはじまり、今は大学・社会人野球を中心に観戦している。それをきっかけにしてカメラを始め、少しずつ仕事ももらえるようになった。

現在に至るまで様々なことがあった。色々な人にも出会った。一生の友ができたり、お世話になる人ができたり、逆につまんない人もみてきたし、足を引っ張る人も話が通じない人もたくさんいた。

最近というか、まぁいつの時代もいたけれどこれまた厄介な人種がいる。



選手とどれだけ親しいか勝手に競う人間。



球場に何度か通えば、そりゃ顔が割れたりする。あれあの人よくくるなと、選手が挨拶してくれたりもする。ただそれだけ。それをとかくやいのやいのという連中が存在する。それだけに留まらず『私はあなたよりもこの選手と仲良しなんで』と、暗に伝えてくる人もいる。あれね、面倒くさいったらありゃしない。ああそうですか、としかいいようがない。

観戦をはじめて十数年も時間が経つと、やれどの選手と仲良いとか、やれ誰と喋ったとか、そんなことはどうでもいい。私もいい歳なので、そんなことよりさっさと好きなことで目標を達成したいと思っている。

時々貰い事故でその『マウント合戦』に出くわす。その度にこの人らは何と戦ってるのだろうか、疲れないのだろうかと思う。勝手にどれだけ選手と親しいか選手権に出場しているのだ。いいよ、トーナメントなんて。あなたが優勝で。優勝したいんだろう。

どんなときも選手選手。いやいいんだよ。選手を尊重し、応援することは素晴らしい。ただ、そのコネクションをアクセサリーのように扱うのは、自分の首を絞めるだけ。どんどんいい宝石がほしくなって、しまいには人を妬んでおしまい。つまらないし苦しいよそんなの。まぁその前に、選手はアクセサリーなんかじゃない。

どの世界にもマウントの取り合いが存在する。そういう人は、何がなんでも優劣をつけたがる。別に勝手にやってくれてて構わないけれど、その気がないのに勝手に同じ土俵にだけはあげてもらいたくない。

好きな物や趣味を否定しないけれど、自分がどれだけ素晴らしいかという、おかしな『自己肯定感』を高める素材に人との繋がりは利用しない方がいい。あくまで自分がどうかであって、人との繋がりが自分の能力に影響するわけではない。君が凄いんじゃない、選手が凄いの。

―――


人生色々な人がいると毎度思います。前回書いた、話が通じない人間に共通する事柄があります。それはとにかく人との繋がりを強調し、自分の本来の力には触れない。要するに、周囲の人の力頼りなのです。

自分の価値を示すのに、他人を用いるのは意味がありません。自分がどう思うのか、自分が何を成し遂げたいのか、そういうことを考えられる人間でありたいです。

いつもマウント取られて苦しいですという方がいたら、どうぞ安心してください。相手は自分に自信が無いだけです。自分のもつ力に気が付かず、繋がりをひけらかすことしかできないのです。

マウントを取って『凄いね』といわれても、ただのリップサービスに過ぎません。誰も気にしちゃいないし、虚しいだけです。なぜなら、自身の実力ではないからです。他人を引き合いに出すのではなく、自分という人間の価値を高める。そこに重点を置く必要があります。それもこれも、自信のなさが起因するのでしょう。自らを高める力が、さらに必要になることは間違いありません。そのときあなたはどうしますか。自分に矢印を向けて、改めて考えていきたいです。


いただいたサポートは野球の遠征費、カメラの維持費などに活用をさせていただきます。何を残せるか、私に何ができるかまだまだ模索中ですが、よろしくお願いします。