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⚾大切なのは期間ではなく、中身の濃さ。


いつはじめたかではない、どれくらい向き合えたか。

先日、とある記事が目に入った。社会人野球のバイタルネットに所属する、江村伊吹投手の活躍を紹介するものだった。

江村投手は北越高校を経て、大東文化大学に進み、現在は新潟県に拠点を置く、バイタルネットでプレーをしている。初めて見たのは、彼が大学三年生のとき。首都大学二部リーグの優勝校決定戦だった。三年生とは思えない堂々とした振る舞いと、気持ちのいい投げっぷり。こんな素晴らしい投手が、二部リーグにいたのかと驚いた。その後、入替戦でも快勝し、一部リーグに昇格を果たした。

これだけの実績を残す投手なのだから、きっと子供のころから有名だったに違いない。私の先入観だった。というより、大学や社会人まで野球を続けるのだから、そうに決まっている。凝り固まった価値観が、私の中で『常識』と化していた。しかし、実際は違ったのだ。

野球を本格的に始めたのは中学1年の秋。小学校低学年から地元のサッカーチームに所属し、中学もサッカークラブに入ったが、厳しい練習の疲労に成長痛が重なり、膝を故障。数カ月後には長時間走り続けるのも難しくなり、「仲の良い友達がいた」野球部に移った変わり種だ。

何と、江村投手が本格的に野球を始めたのは中学生からというのだ。この事実には心底驚いた。私の常識を覆した。上手な選手は、小さい頃から野球をやっているもの。ずっと、そう思っていた。そうに違いないと思っていた。疑いもしなかった。幼年期からボールと共に生きて、英才教育を受けてきたものと思うではないか。でも、事実は違ったのだ。どれだけ偏った『固定観念』を抱いていたのかと、反省した。

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どれだけやってきたかではなく、どれだけ中身の濃い時間を過ごしたか。遅咲きと表現されているが、決してそうではない。頭角をあらわすタイミングは人それぞれ。その瞬間を逃さず、コツコツと積み上げてきた結果だ。その中で、むやみに時間をかければ良いというものではないと改めて学んだ。それは野球に限らず、仕事でも同じことがいえる。質の高いサービスを提供するには、提供する側の知識が必要とされる。経験がものをいう現場では『内容』が重視される。時間だけが過ぎて、何も身につかなければ意味がない。肝に銘じておきたい。

アマチュア野球の最高峰でプレーする選手たちは、豊富な知識と経験がある。センスだけでここまで生き残ることはまず無理だ。技術向上につとめ、研究を怠らない。自身の分析ができているからこそ、あの緊張感の中で戦うことができるのだろう。

求めるべきは、質。

もちろん、量をこなさなければならないケースもある。しかし、その量に『意味』を見出すことが何より大切だ。それを自然とできていたからこそ、江村投手はルーキーにしてマウンドを任せられているのだろう。堂々と投げるその様は、見る者を魅了する。これから先もずっと応援したい選手だ。


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