見出し画像

⚾️自分にしか、自分の道はひらけない。

思い通りの大学野球生活を過ごせた。一体どれほどの選手が、そのように言い切れるだろう。程度の差はあれど、誰にでも必ず壁にぶちあたった経験があるはずだ。

大学まで野球を続ける選手の中には、素晴らしい功績を残した者が数多くいる。推薦組と呼ばれる選手たちは、当たり前のように甲子園出場を果たしている。そうはいかなくても、高校である一定の水準以上の成績を残しているのは間違いない。

学生野球の最高峰である大学野球は、そんなスーパースターたちが集う。いわゆる『野球のうまいやつ』しかいない。当然、競争率が桁違いなのは頷ける。

そんな高いレベルの中で、選手たちは必死になって白球を追う。レギュラーを獲得し、その先の目標を達成するためだ。入ってしまえば、どんな経験をしてきたなんて関係ない。今、どんな力を持っていて、どれほどチームに貢献できるのか。大切なのはいつだって『今』だ。過去の栄光などにはすがっていられない。


選手の数だけ、物語がある。


2018年春。一年生ながらクリーンアップに座り、存在感を示した日本体育大学の三野原愛望(よしの)選手。180㎝をこえる恵まれた体格と、鋭いスイングと珍しい名前とで、一気に私の中で話題の選手となった。

その期待は裏切られることなく、同秋にベストナイン三塁手を獲得した。駆け出しはばっちり、話題性も抜群。この先、どれだけ素晴らしい選手になりゆくのだろう。私は期待を膨らませた。

二年、三年と学年が上がっても日体大の中軸を担った。細かい不調はあっただろうが、それを見せぬほどの活躍を見せた。周囲に話を聞いても、三野原選手はストイックな人物という。実力も人格も申し分ない。これほど積み重ねてきている選手が報われないはずがない。私はそう信じてやまなかった。

四年を迎える前のこと、同じ東福岡高校出身だった大木惇司選手(現:東邦ガス)の背番号を引き継いだことを知る。自慢気にそのユニフォームを見せてきたことが、記憶に新しい。

背番号を見せる2人 写真左 三野原愛望 選手/写真右 石井幸大選手

日体大の一桁番号。そして、自身の高校の先輩の番号を引き継げたことは、三野原選手にとって大きな喜びだっただろう。この嬉しそうな表情を見て、私も思わず頬を緩めた。

ラストシーズン。コロナに負けず(三年次の春季リーグ戦は中止となり、秋のリーグ戦も通常より縮小した形で開催された)、悔いなく走り切ってほしい。そう願っていた。

置かれた環境は厳しいものだった。なぜなら、有望な下級生が続々とあらわれてきたからだ。あれよあれよという間に、内野の競争は激化した。守れるならどこでもと、食らいつくかのように様々なポジションについた。それでもレギュラーの座を維持するには困難を極めた。


これが大学野球か。


そう思わざるを得なかった。上手な人しかいない。そう、みんなうまいのだ。そんな当たり前のことを、私は目の当たりにした。それでもやるしかないから、選手は必死に食らいつく。自分だったらどうだろう。この勝負の世界で生き残れるのか。まるで自分が戦っているかのように、感情移入してしまう。

ついに電光掲示板から名前が消えた。いつの間にか、ベンチからもいなくなった。さすがにおかしいぞと、私は思った。ふと見上げると、スタンドにその姿があった。

さすがに本人に尋ねることはできなかったが、怪我をしたらしいとのことだった。声はかけなかった。上手い言葉も見つからなかったし、根掘り葉掘り周囲が聞くのは、本人が嫌だろうと無言を貫くことにした。

輝いていても、それがずっと続くことはない。逆に、闇も永久には続かない。それが人生だとわかりきっていながらも、一生懸命頑張る者に光を見せてほしい。私はそう祈ってしまう。

そんな三野原選手の引退メッセージは以下のものだった。

4年間恵まれた環境で最高の仲間と野球が出来たこと、支えて下さった全ての方々に感謝しています。この4年間、楽しい思い出も苦しい辛い思い出もたくさんありましたが、その全てが僕の財産です。
今後の野球人生ではこの経験を生かして、もっと輝けるように頑張ります。
そして、お世話になった家族や友人、指導者の方々に恩返しがしたいです。 
本当にありがとうございました。
http://nittaibaseball.com/news/16329


楽しい思い出も苦しい辛い思い出もたくさんありましたが、
その全てが僕の財産です。

これが大学野球の全てなのだと私は悟った。スーパースターたちが集まり、高みを目指す者が集う。意識の高さ、実力、人間性。どれを欠かしても、この世界では生き残ってはいけない。

苦しくて辛いことも自分の財産だと、あなたは言い切れるだろうか。私はこの言葉を読んで、言い切れる自信はなかった。なぜなら、良い思いをして人生を終えたいと思っているからだ。楽しいことばかりではない人生だとわかっていても、できれば辛い出来事は経験したくない。そんな自分がまだまだなまぬるいと、何かに突き刺されたようだった。

この先、三野原選手はKMGホールディングス(旧:九州三菱自動車)にすすむ。地元に戻り、きっと今以上の輝きを見せてくれる。そう信じているし、これから先の未来にエールを送りたい。


―――

大学野球には、様々な背景を持つ選手がいます。甲子園で大活躍したようなスーパースターや県大会1、2回戦で敗退するチームに在籍していた人。多種多様な人々ばかりです。

そんな様々なバックグラウンドを抱える選手たちが、レギュラーを争います。しかし、大学野球に過去の栄光は関係ありません。積み重ねてきた経験の差はあったとしても、今の実力と姿勢が全てです。少しでも胡坐をかくようなことがあれば、すぐに失脚をします。そういう世界です。

高校の頃に大活躍した選手が腐っていくのを何度も見ました。逆に、無名校出身の選手が躍動するのも幾度となく見てきました。環境やポテンシャル、多くの要素があるでしょう。それでも大切なのは、今何をしているかなのです。

光を導き、切り開いた選手にはある特徴があります。それは、腐らなかったこと。たとえ腐っても、奮起したこと。やるかやらないかの選択を迫られたとき『やる』と決断したこと。その先に未来があるのです。

選手たちの『やる』という前向きな姿勢を見て、私も背筋を伸ばす思いです。苦しみ堪えることがあっても、自分しか自分を救うことはできません。助言や手助けはあっても、それを掴んで這い上がるのは本人にしかできません。他人は自分の人生を走れないのです。野球のように、代走はできません。

辛くても絶対に折れないでなんて、私はいえません。ただ、どんなときも自分しか自分を救うことはできないということは、肝に銘じておきたいと思っています。みんな頑張れ、みんな報われろ。全員を見つけることはできなくとも、私はいつもみんなを応援しています。


三野原 愛望 選手(東福岡高校)

いただいたサポートは野球の遠征費、カメラの維持費などに活用をさせていただきます。何を残せるか、私に何ができるかまだまだ模索中ですが、よろしくお願いします。