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【泣】少年野球に熱中した父親の末路(21)

 2ヶ月も更新が滞ってしまいました。
 私の稚拙な文章など誰が読んでくれるのだろうと思っていたのですが、意外にも多くの方にコメントをいただいて驚きました。ありがとうございます。
 末っ子ミツキの引退試合の様子とその後の私について、ようやく落ち着いて書けるようになりましたので、良ければ最後までお付き合いください。


 ミツキの最後の試合は昨年12月の最初の土曜日に行われた。
 地域の小さな大会で参加チームは10チームだった。うちのチームは準決勝で、あのガラの悪い因縁のチームと対戦することとなった。長男イチタの時と同じだ。

 相手ピッチャーはサウスポーでその日はやけに調子が良く、3回までうちのチームは2安打に押さえ込まれた。しかしこちらもピッチャーが素晴らしい立ち上がりを見せ、守備のファインプレーもあって互いに一歩も譲らない息詰まる展開となった。
 試合が動いたのは4回表。疲れがでてきたうちのピッチャーが相手チームのクリーンナップに捉えられ、四球やエラーも絡んで4失点。しかしその裏、こちらもクリーンナップが頑張って3点返し、その後もお互いに得点して6-5で5回まで終了した。

 ミツキは9番レフトで先発出場。試合前の練習でバッティングの調子があまり良くなく監督に打順を下げられた。3打席の成績はファーストゴロと四球と空振り三振。先週のバッティングセンターでは良い調子だったのにと、私もスコアラーをしながらベンチで歯がゆい思いをしていた。

 大会規約では「7回または90分」と定められていた。
 6回に入るときにすでに75分が経過しようとしており、私は監督に「時間制限が先に来そうですね。この回が最後かもしれません。」と伝えた。

 交代したうちのチームの3番手ピッチャーは、ゴロ2つとフライ1つで3人のバッターを早々に打ち取り、あっさり6回の表が終了した。
 しかし6回裏のうちのチームの攻撃は6番からで、その日下位打線からは1本もヒットが出ていなかった。制限時間が迫っていることを知らされた子ども達は「絶対打てるぞー!」と声を張り上げながらも、あきらめの表情を見せ始めていた。

 6番は初球を振ってゴロ。ベンチからため息が漏れた。
 7番も早々にフライで倒れ、あっけなく2アウトになった。
 ガラの悪い相手チームは例のごとく「あっとひとり!あっとひとり!」と手拍子を始めた。
 しかし8番が2球目を背中に当てられて一塁に出ると、うちのベンチも「よーし!このランナー返すぞー!」と少し息を吹き返した。わが子の最後の試合を見ようと集まった親たちも金網越しに「ここからここからー!」と声援を送り、相手チームの下品な手拍子をかき消した。
 
 6回裏、1点差を追うツーアウト1塁。
 ミツキはネクストバッターズサークルから打席に急いで向かった。
 実はその少し前、手袋をはめながらミツキは私にこう尋ねてきた。
  
 「お父さん、試合あと何分?」
 「え?ああ・・・あと5分・・・いや4分・・・」
 「分かった!」

私はもしやと思った。いや、でもそんなはずはないと。

 
  

 

 


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