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【泣】少年野球に熱中した父親の末路(4)
長男イチタが2年生の秋に入団したとき、チームの人数はイチタを合わせて16人しかいなかった。6年生は2人、5年生は3人。あとは4年生以下で、試合は大抵ボロ負けだった。
イチタはいつもボールボーイだった。
大きなヘルメットとブカブカのユニフォームに背番号21をつけて、白いタオルでボールを拭いては球審に渡しに行くのだが、いつもそのタイミングが分からず「ほら、今いくんだよ!」と、コーチに笑いながら怒られていた。
ちなみに背番号は自分の好きな番号を選んで良いと言われて、イチタが自分で選んだ。「誕生日が21日だから!」と。
私は練習にも試合にも熱心に参加し、そのおかげですぐに監督や先輩保護者から認知された。自分の居場所ができると土日が来るのがさらに待ち遠しくなった。
太陽の下で季節の風を感じながら体を動かす清々しさと、子ども達の成長を手助けしているという自負が、私をより一層休日のグラウンドへと駆り立てた。
3年生になったイチタが、2試合に1回ぐらいの割合で試合に出してもらえるようになると、私はますます熱中した。次は打てるか、エラーをしないかとハラハラしながら見守り、まぐれでヒットなど打とうものなら、その夜はビールを片手に何度も何度もその動画を見返した。
相変わらずチームは弱小だったが、時々相手チームが自滅して思わぬ勝ちを拾うと「祝勝会」と称してファミレスで飲み会が開かれた。子ども達は学年関係なく仲が良く、大人達もまた弱小チームらしいちょっと自虐的な冗談を言い合っては笑った。
妻もまた、あれだけ拒否していたお当番を「ホントにうちのチームは弱いなぁ」と楽しそうにやっていた。
振り返ってみるとあの頃が一番楽しかった。
試合に勝っても負けても楽しかった。
イチタが試合に出ても出なくても楽しかった。
活躍してもしなくても楽しかった。
それが大きく変わったのが、イチタが5年生になる春だった。
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