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【泣】少年野球に熱中した父親の末路(7)

 今週の土曜日も雨で試合は延期。台風の季節なので仕方が無い。

 雨の日はとりあえずバッティングセンターに行くが、100キロのボールを2セット打ったところで混み始めてきたので早々に引き上げて映画を観に行った。私には興味の無いアニメ映画だったが「学校の友達がみんな観ているからこれで話が合う」とミツキは嬉しそうだった。

 ふと長男イチタとの記憶がよみがえった。
 雨の日でも、いや雨の日だからこそと浮かない顔のイチタに部屋で基礎トレーニングをさせた。元プロ野球選手の動画を見ながら、何が正しい動きか自分でも分からないくせに、ああでもないこうでもないと繰り返しやらせた。
 妻が「せっかく野球がないんだから映画でも連れて行ってあげたら?」と生ぬるいことを言って助け船を出すのが腹立たしく、みんな頑張っているのにサボらせる気か、イチタがレギュラーを外されたらどうすると語気を荒げたりして、今思うとなかなか痛々しい父親だった。

 ―――話を前回の続きに戻す。

 イチタが6年生に進級すると私はますます熱中した。いよいよ最終学年で総仕上げの年だと身が引き締まった。
 新6年生のチームは、キュウジ君の卒団で戦力は落ちたものの、全体的に底上げされてそれなりに勝てるチームになっていた。
 キュウジ君の父親もキュウジ君の卒団に併せて監督をやめるはずだったが、親たちがお願いして残ってもらった。皆気合いが入っていた。

 イチタは新チームではレフトを守った。
 6年生になったら内野かピッチャーをやりたいと言っていたがそれは叶わず、背番号は7番をもらった。
 「好きな番号を選んで良い」というシステムだった背番号はその年から監督が決めることになった。4年間つけた21番から7番になったイチタはさして嬉しそうでもなく、私はといえば7番をもらえてホッとしたと同時に、1番をもらった子がやけに自慢げなのが気になった。

 監督は変わらず勝つことにこだわった。
 そしてあるとき、こども達を集合させてこう言った。

 「三球三振のサインを作ったから覚えるように」 

 

 


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