見出し画像

【泣】少年野球に熱中した父親の末路(14)

 年明けからようやくバッティングを許されたジロウは、6年生に進級する頃には打撃練習でホームラン級の当たりを連発するようになっていた。
 そろそろ代打で出してもらえないかと期待したが、K監督はまったくその気配を見せなかった。レギュラーは完全に固定され、ベンチの子は一度も出番をもらえない週末を何度も過ごし、気がつけばゴールデンウィークを迎えていた。

 その日の試合もジロウは終始ベンチで声を出していた。
 私は頼まれて球審をしたが、相手ピッチャーは速球を外角低めにうまく投げ込み、うちのチームはその球を打ちあぐねて負けた。
 天気の良い昼過ぎの試合で、私は熱中症になりかねないほどの暑さに耐えて球審をしたが、試合後、テントの下の日陰に座って指示を出していたK監督に手招きされた。

 「内野さん、もっとうまくやってよ」
 
 意味がよく分からずポカンとしていると、K監督は不機嫌そうにこう続けた。

 「球審も含めて野球なんですよ。今日はせっかくうちのホームの試合なんだから、そこが分かってないんだよね」

 つまり微妙な球はうちのチームに有利になるように判定すべきだった、そうすれば勝っていたかもしれないという意味だった。
 私は苦笑して「ああ・・・はぁ・・・」と答えるのが精一杯で、怒りと暑さで頭に血が上り、思わず審判道具の胸当てをバッグにたたきつけた。
 あらゆる罵詈雑言が喉元から飛び出そうになるのを必死に抑え、誰にも挨拶せずに帰宅した。もう球審も何もやるもんかと決意した。試合に出ている子どもの親だけですべてやれば良い、なにがワンチームだとビールをあおった。 
 父親同士の関係にも嫌気がさした。皆が「内野さん意地になって頑張っちゃって」と笑っているような気がした。以前のような楽しい週末はもうどこにもなかった。飲み会に行っても無邪気に盛り上がれなかったし、試合に勝っても心は躍らなかった。他の子の活躍はむしろ不愉快で、誰かが怪我でもしたらジロウが試合に出られるのにと思うようになっていた。

 妻はそんな私を「本当にいい加減にして!」と突き放した。ジロウが怪我をしてから家庭の雰囲気も悪くなっていった。

 私はそうした不愉快な状況と感情から逃げるために、2年生になったばかりのミツキを入団させた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?