【泣】少年野球に熱中した父親の末路(5)
駅前再開発に伴い、何年もかけて工事が行われていた大きなマンションや住宅地が一気に完成した。そこに移ってきたファミリー層の受け皿となった小学校のひとつが、うちのチームがホームグラウンドとして使用している小学校だった。
ミツキが5年生の春、こうしてチームの人数が突然増えた。
「前のチームでは、ピッチャーと、キャッチャーと、あと・・・ショートをやってました」
まだあどけない雰囲気を残しながらそう自己紹介した6年生のキュウジ君は、明らかに他の子とは違う体つきをしていた。体格も大きいが、何より体幹がしっかりとしてしなやかだった。キュウジ君の父親が高校野球強豪校の正捕手で、あと一歩で甲子園というところまで行った選手だったと聞いて誰もが納得した。
そんな父親の子がどうしてこんな弱小チームに・・・と皆不思議がったが、中学ではシニアリーグに行くので、6年生の今わざわざ強いチームに入って出番がもらえないのも、誰かからレギュラーを奪って揉め事になるのもイヤだと考えてのことだったようだ。
しかしキュウジ君とその父親の加入は、うちのような弱小チームでさえも変えてしまった。
キュウジ君が先発ピッチャーの試合はほぼ勝てるようになった。
キュウジ君は柵を軽々と越えるホームランを毎試合のように放ち、ショートを守らせれば軽快にショーバンをさばき、キャッチャーマスクを被らせればドンピシャの二塁送球で相手チームの監督さえうならせた。
チーム全体の人数も増え、その年の夏には高学年中心のAチームと低学年や初心者中心のBチームに分けられた。そしてAチームの監督にはキュウジ君の父親が就任した。他の保護者がお願いする形での就任だった。
気がつけばいつも予選敗退だった弱小チームは本部大会に進めるようになり、メダルに手が届くほどのチームへと変わっていった。
私もまた、イチタに多くのことを求めるようになっていった。
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