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本当の自分とはなんだ?


 私のお店に来る業者さんと何時間もくだらない話で盛り上がり、彼が帰り際によく、 「社長と話ししたら面白いけん、 元気になるわ~」 と言い残して帰っていく。 彼いわく、私は普通の人とは考え方が違う変わり者、ある意味、変人だと。 (もちろん誉め言葉として)それで飯が食えればどれだけ楽かと思うわけだが。 (笑)

 前回のペルソナの話でもあるが、 人はそれぞれ場面や状況に応じて仮面 (ペルソナ) を被る。私も例外ではなく、 少なからず仮面を被っている。 ただ、 彼の前では素直に腹の底から思っていることを話すし、 彼もまた腹を割って話してくれていると思っている。 だから面白いの
だ。とまぁ、そんな私のくだらないエピソードはどうでもいいとして、本題に戻ろう。

 私が最初に知ったペルソナとは、前回書いた内容とは少し違い、 『人は必ず表と裏の二面性があり、表の顔にペルソナを被り、本当の顔、すなわち裏の顔は隠している。 』というものだった。まぁ、ここまでだと、 「まぁ、そんなのみんなわかっているよ。」と思うだろう。その筆者はさらに、 ユングは 「その表と裏の顔の差が大きくなるど、 人はストレスを感じ、そのストレスにより精神崩壊を引き起こす。」 引きこもりや鬱などがその例だと。 また「表
の顔(仮面)をこれが自分だと言い聞かせ、自分の裏の顔(本当の自分)を否定し続けるとその結果、裏の顔は闇落ちし、その裏の顔(なりたかった自分)と近い性格の人や容姿、思想、生活スタイル等を否定し毛嫌いし、攻撃する場合もある。」と書いてあった。

 私はこの解釈の方がスッと入ってきやすいなと思いながら、 ユングについて調べてみると、 上記とは違う解釈のものも出てきた。 それが前回紹介したユングのことだ。   ユング心理学は7つの心理があると書いてあった。

 また話が長くなるので、 ここでは話さないが、 今回話しているペルソナは、 そのユングの7 つの心理を要約してペルソナとしてまとめているものだとわかった。7 つの心理の中に、前回話した影 (シャドウ) やそのほかにコンプレックスなどがあるのだが、 私が感じたユングの解釈は、人はいろんな顔(仮面)を持ち、裏の顔は隠し生活している。その仮面が分厚くなればなるほど (裏腹な体裁や容姿、 言動を起こすなど) 外しにくく取れなくなってゆく。それが裏の顔を無意識の中に陥れる。 いわば、 コンプレックスやトラウマ、 闇落ちである。そこからさらに分厚く重く仮面がのしかかってくると、 最終的に耐えられなくなり、 仮面を割る作業、すなわち精神崩壊へと進むのでは?と考えた。

 では、どうすればうまくいくのだろうか? これを考えることがまた面白くなる。 「本当の自分を見つけよう!」 「本当の自分はそこにある!」 「自分探しの旅に出よう!」 言葉で言えば簡単で、人は自分じゃない他人の「本当の自分」なんて気にもせず、仮面を被り、綺麗言を商品のキャッチフレーズのように使うのだ。 私が思う 『本当の自分』 とは、素の自分を認めること。悪い事を考えたり、汚い言葉を想像したり、人を恨んだり、妬んだり、そんな自分も自分の中のどこかに必ずあると認め、それを自分はこんなことも考えちゃう人間です!と少しでも表に出せるかどうかだと思っている。 (すべてをさらけ出せ!と言っているわけではない)人により大小はあるものの悪は必ず自分の心の中にある。 (ちなみに私はそれを悪とは思っていない。 自分の中から出たただの感情と思っている) その悪を消そうとし仮面を本当の自分と偽れば、必ず差が生まれる。その悪を認め、なぜその悪が生まれたのか?自分はその悪とどう付き合っていくか?悪とはなにか?本当の自分を探し出し、それを認め、 自問自答を繰り返すのが本当の 『自分』 探しなのかもしれない。

 そんな話を気心知れた友人でもいれば、話してみるといい。 「なにこいつ?頭おかしくなったんじゃね?」と
思われるかもしれない。 まぁ、 それぐらい他人にとってはどうでもいいことである。 ただ、現代の引きこもり問題や鬱などを考えると、このユングの心理学は全くもって間違っているものでもないのでは?と私は感じる。 世の中に社交というものがある以上、 すべての仮面を取ることはできない。 だが、 自分のことを正直に話せない人間同で、 どうして対話ができましょうや。 仮面を被り、 お互いの腹を探り合いながら話を進めるのは、 私の考えからすると、 それは対話ではなく交渉である。 まずもって自己紹介の時点で、 仮面を被って綺麗言しか言わなかったら、それで仲良くなったと思う友達は本当の友達だろうか?素の自分の一部でも人に見せられるほどの少しの余裕でもあれば、人はもっとうまく付き合えるのではないかと私は思う。

 さて、 なかなか本題にたどり着かないのだが、 今回は私の解釈とゆうことで許してもらいたい。 次回は私が読んで感じた、 その本の筆者のペルソナ解釈についてお話しようと思う。

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