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八ヶ岳・みんなのテラコヤで、ぼくは何をしたいのか?

こんにちは。

オンラインでつながれる人同士で、やりたいことを企画してどんどん動いちゃおう!という、プロジェクトラーニング・スクール(base campus)を仲間と一緒に開設・運営している一人、おとわです。

タイトルにある「寺子屋」というのは、現在の義務教育が始まる前の江戸時代にあった、今の言葉で言う民設民営のフリースクール

平成30年度の文科省の統計では小学校が20,095件(日本の人口:約12,600万人)だけど、日本全国で最大16,560軒(江戸時代の日本人口:約3,400万人)もあったとのこと。人口比にして3倍以上(6270人に1件の小学校|2053人に1軒の寺子屋)もあった軒数だけを見ても、市民が自主的に運営するフリースクールという仕組みが、それぞれの街で当たり前の存在としてどれほど根付いていたか、とってもイメージしやすいかなとおもいます。

今の学校は公設公営がほとんどですが、民設民営なのでそれぞれ違って特色があったはずで、学びの場自体が多様性に富んでいて子どもと親で選べる選択肢があったということと、地域に根付いていたことからも地域の人と一緒に学びの場を作っていったということが言えそう。
それは現代の教育や学びの場が、一度立ち止まって改めて向き合う視点ではないのかな?と。

学校の勉強って、みんなは好き?

ぼくは好きじゃなかった。そして、勉強は大事とわかっていても本当に楽しくなかった。

遊びたい気持ちを抑え込んで、やりたいかどうかもわからない勉強を、感性豊かな時期に、一日中机に向かってノートに書いて覚える。とにかくつらかった。

そして、覚えたいかどうかという自分の興味関心に関係なく、覚えているかどうかを採点されて順位付けされる。
早生まれで体も小さくて、どんな順番でも全部後ろの方だった自分には、毎日が「できない自分」「努力=美徳」と向き合わされているようで、とってもヤな気持ちの毎日だったことを今でも鮮明に覚えていて、「やったらできる子やのに!」と自分に言い聞かせることで、なんとか学校に通っていた原体験。

その反動なのか(←言い訳w)、なんとか入った大学では「社会に出たら勉強するのだ!」を言い訳に、自分がその時本当にやりたかったバスケットボール部に入って、部活の仲間ととにかく遊びたくて自由三昧に過ごして。その時期が本当に楽しかった!
本当にやりたかったバスケを通じて「努力=美徳」には二種類あるということを知った。やりたいことに向かえる努力やりたくないけど我慢できる努力。我慢することも必要な場面はあるけど、やりたいことをできずに我慢ばっかりはしんどいよね。
社会に出て、人並みに仕事をして稼げるようにならないと「できない自分の存在意義がない」というような考えに囚われたり、勉強しないと周りに置いて行かれるという焦りも抱えたりしながら、友達から「本を読む病気」と言われたことを今でも覚えているくらいに、とにかく本を読みあさった自己学習の原体験。

しばらくたって自分の興味・関心で選んだ本を読むという習慣がついてきたころに、企業研修などで教える立場(今までと異なる教えてもらう反対の立場)を経験させてもらったことで気がついたことは、やっぱり「勉強も学びもとても重要」ということと「どうやら順番が違うんじゃない?」ということ。

本来の順番は「活動→座学」じゃないのかな?

義務教育も義務じゃない学校も、文科省の教育基準法や学習指導要領に基づいている学校の教育制度では、国語・数学・理科・社会、英語・体育・図画工作、物理・科学・IT・リベラルアーツなどなど、とにかくいろんなことを座学で学んで、座学で学んだことを社会に出てから活動(主に、労働・経済活動)に生かしましょう!という「座学→活動」がフォーマットだったりする。

でも、実際にぼくが社会に出てみて感じたのは全く逆で「活動→座学」というパターンなのではないか?ということ。
例えば、①プログラミングやってみる(活動)!②できないことがたっぷりある!③できないことができるようになるために本を読んだり講座に通う(座学)。

自分でできていないことや学びたいという認識がないと、意欲もわかないし身にならない。ぼくが企業研修を担当させてもらう中で一番大事だと感じたのは、講座の中身よりも「なぜ、この講座を学ぶ必要があるのか?」という参加者の動機だったりする。
座学の企業研修のような画一的で型にはめた学びの場では、全くインストールされないのだけど、いまだに座学→活動フォーマットという方法が前提になっていて、効果の薄い企業研修があちこちで開催されている。

そして、塾も含めて、勉強や学びというと、いつ使うかわからないけど覚えることや覚えておくことが、どうしても労働や経済活動とつながってしまっていて、他の選択肢があまりないような世の中になってしまっている。
AIやロボットが、人間がやりたくない労働を担ってくれる世の中が現実になりそうな未来がかなり近づいていて、気づいた人たちから「学ぶ対象の比重がクリエイティビティ(創造性)」にシフトしているのに。

小学校に入る前の子どもたちって、ルールや競争、経済や労働などの過去の大人が作った大人の事情を全く気にせず、土で遊んだり動物触ってみたりおもちゃで遊んだり絵本を読んだり、その時・その瞬間・その場所・そこにいる人と一緒にやりたいことをやっている。そんな小さな大人たち(スウェーデンでは、子どもを小さい大人として接するそう)を見ていて思うのは、クリエイティビティが求められる時代は小さい大人から学ぶことの方が多そうということ。

寺子屋がなくなって約250年。江戸時代そのままではなく、現代に合わせた新しい学びの場があって、子どもたちを主役に子どもたちの選択肢が広げたいと考えたのが、みんなのテラコヤをはじめたきっかけ。
これからの世の中が求めている「クリエイティビティ」はそもそも教えられない?し、クリエイティビティを一番持っているのは0歳のとき?かもしれないとも感じていて、子どもたちが興味関心があることを聴かれて教えるという役割はありそうだけど、画一的な知識を大人が子どもに教える時代はもう終わりを迎えているような感覚もある。

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自分の街でやりたいことをやってみる=現代の寺子屋

オンラインのbase campusと同様に、リアルの寺子屋もやりたいことを企画してどんどん動いちゃおう!という場になっている。

まだまだ持ち寄り企画は少ないけども、お寺の文化を生かした
・早朝坐禅
・地元の食材を使った精進料理を作って食べる
にはじまって、
・地域で学び合う人権学習
・高校生企画-これからの教育を考える
・スラックライン体験
・CUBORO体験(将棋の藤井聡太さんで有名になった、木のおもちゃ)
・センサーを使ったプログラミング学習(SCHOOMY
・干し柿を作ろう
・インターネット&パソコンスクール(ネットやパソコンを使いこなす!)
などなど、やりたいことを持ち寄れる場になっている。

お寺のいいところは、住職を通じて、その地域で生まれ育ってきたお寺の檀家さんや地元の人たちとつながれること。今後は地元の方や八ヶ岳界隈に引っ越してきた移住者だけではなく、住んでいなくても、日本人・外国人問わずDigital nomad と呼ばれるリモートワークで働くような人たちにどんどん来てもらえるような、老若男女・人種問わず人が集まる場所やコミュニティになれるかもと妄想している。
八ヶ岳は、都心部からのアクセスもよく、日本の都会と田舎を両方味わえるにはとても素晴らしいロケーションなので、国内でのDigital nomad cityの先駆けになれたら、そして時差を使って世界の人と一緒にプロジェクトができたりすると、ぼくのワクワクが止まらなさそうだ。

なぜ、八ヶ岳なの?なぜ、移住したの?

「おとわさんは、なぜ移住したの?」「移住してぶっちゃけどうなの?」とよく聞いてくださるので、少しだけ。

ぼくが住んでいる北杜市は東京23区と同じくらいの面積に人口は約4万人が住む、面積ビッグで人口スモールなシティ。都心に住んでいると隣に誰が住んでいるかもわからないし、必要最低限しか話さないので「街」という感覚はあまり持てないのだけど、こちらだと市役所や議員さんも身近で自分が住んでいる「街」を意識することがとても多い

移住した理由は「八ヶ岳が呼んでいたから(笑)」!
というのは冗談で、ライフワークとライスワークの境界線がどんどんあいまいになってきている自分の理想の暮らしを求めて。
それでも、まだまだ都内のプロジェクト(リモートワーク中心)が多くて、都内から2時間くらいの自然が豊かなところで暮らしたいと考えて移住したのがきっかけ。

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※写真は移住することも想像していなかった2011年に描いた未来の暮らし。 実は今の暮らしはこの絵のままで、気づいたらこの絵の暮らしに。

・地元の大阪から東京に移住した時は、大阪に自分の未来の仕事がないような気がして、とにかく規模の大きい仕事を求めて。
・東京から横浜に移住した時は、原発事故の影響で少しでも離れて安心できる家を求めて。
・横浜から八ヶ岳に移住したときは、未来の自分が自然の中で仕事と暮らしを営んでいるような気がして、ありたいライフスタイルを求めて。

田舎・山暮らしを選択している以上は都会には関わっていたいともおもっていて、都会の感覚だけでも再生不能なほどに地球環境をバキバキに壊してしまうし、田舎暮らしの感覚だけでも世界のテクノロジーのスピードや価値観と対話ができなくなってしまうので、両方知って、両方往復できて、両方の価値観を持って色んな人と対話できることは、多様性を尊重する未来のスタイルなのではないかな?と考えていたりする。

どんな仕事?専門はなに?と聴かれると「プロジェクトデザイン」「プロジェクトマネジメント」と答えることになるんだけども、移住して4年近くになる中でわかってきたことは、培ってきたそれらの技術と土台になるロジカルシンキングファシリテーションの技術は、どうやら街が抱えている課題や社会が直面している問題を解決することに役立てられそうな感触を持っている。
ぼくも参加している北杜2050というfacebookグループが少しずつ大きくなってきているので、北杜市だけではなく八ヶ岳界隈(ぼくは勝手に八ヶ岳コミューン|Yatsugatake Communeと呼んでいる。に住んでいる人と連携しながら、八ヶ岳の外の地域の人と連携して、住みたい街のモデルケースの一つを作れたらと思っている。
※Commune(コミューン)は、行政区の対象概念で市民区という位置づけ。市民が市民で考える「市の区域」で明確な境界線を引かない。

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関東圏にお住まいの方(車で約2h)、リモートワーカー、デジタルノマド(digital nomad)の方へ!

八ヶ岳ーみんなのテラコヤの予定一覧です。
※場所は以下のお寺をお借りしていますが、お寺への直接の問い合わせはお控えください!

https://base-campus.com/projects/terracoya/

自元寺 〒408-0315 山梨県北杜市白州町白須1364
祥雲寺 〒408-0017 山梨県北杜市高根町五町田1244

お気持ちの投げ銭式(無料もOK)です。気軽に、大人も子どもだけでも、ぜひお立ち寄りください!

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